本日も休業:光信の地獄図
本日”も”休業タイトルはこの夏頃横行していました。 入院と救急搬送を繰り返した頃ですが、その中の救急エントリー的頁で,多くは何かの残り物でした。 此のページもでっち上げたものの一つなのですが、テーマがテーマなので、その頃の心情としては些かシリアスすぎる?のか、積み残しになっていたものです。 お正月も近いし滞貨一掃と云うこともあって、今此処にアップします。 但し中味はそれなりに真面目でシャンとしたものですよ。 以下は当時作成したままです。
本日も休業也タイトルの頁は今後とも増殖しそうです。
昨日(此の文章を書いたときの昨日です)は晴れやか、華やかなモノ(本日も休業:櫛祭余聞)でしたので、一転、恐ろしげで暗い話題と行きましょう。
光明山引接寺(こうみょうざんいんじょうじ)と云うより千本閻魔堂と言った方が良いでしょう。 閻魔堂狂言、千本六斎、精霊流しに普賢象桜と話題豊富、当ブログでもお馴染みのお寺で、織田信長が上杉謙信に贈った狩野永徳筆国宝洛中洛外図にも描かれている名刹です。
(千本閻魔堂でGoogleしたときの当ブログです)
処が昭和49年不審火で本堂や狂言堂が全焼してしまいました。
そのせいでいまも仮建築で門も塀もない状態ですが、御本尊の閻魔大王始め眷属一統は旧の侭にお座りになって、こっちを睨んでおいでです。
其の仮本堂の両側面に古びた板壁があって、一見正直なところ薄汚れているだけですが、実は此処には永徳の長男、安土桃山時代真っ盛りに狩野派の総帥だった光信筆の地獄図が描かれて~居ます、と云うべきか、~居ました、というべきか~なのです。
はっきり言って普通に見ても何も見えません。 僅かに窺える痕跡を頼りに撮影し、後処理の手だてを尽くして幾らか判るようにしたのが、此の写真です。
その気になって目を凝らせば、両側面上部に椅座した閻魔様らしいお姿がかろうじて見えます。
その他の情景は最早全く判りません。
光信という人は親父さんの様な豪放雄坤な絵そのものではなくて、大和絵的な優美な美しさを取り入れようとする画風でしたから、当時は余り評判が良くなかったようで、祥雲禅寺の大仕事などは長谷川等伯にとられていますが、実際にはきちんと自己表現ができる大画家だったと思えます。
この絵なども完全であったら国宝か、重要文化財は間違いなしだったでしょうが惜しいことです。
(写真は向かって左側の壁です。 右側はもっと酷くて全く何も掴めません))
見えない名画をなんとか見ようと、とりあえずこんな作業をした奴が居た、と云うのが本日の頁の存在理由でしょうか。







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