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2010年9月

2010年9月30日 (木)

ルナ: そして駆逐艦雪風

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またしても敵前逃亡です。 違いは一目瞭然。 で、どっちがいいか。 ???

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ルナ 月。  そして地球の海。 

帝国海軍駆逐艦 雪風。

注1: 雪風神話   雪風は沢山居た駆逐艦の一隻ですが、帝国海軍が全滅した中で、太平洋の主な戦場に最初から最後まで参戦し、大和の特攻出撃にも随伴して行って生還した、奇跡の艦として其の名が語り継がれています。  宇宙戦艦ヤマトにも出てきますね。

注2:  戦闘旗を掲げていることに御注目。  軍艦旗~ライジングサンを艦尾でなく前橦頭に掲げてある=戦闘態勢にあることを示しています。

注3:  9/30 9:30 映像を入れ替えました。 前と同じものですが欠陥を修正。

≪    源光庵の月

10秋・萩:常林寺    ≫

2010年9月29日 (水)

源光庵の月

些か月見の悪乗り中です。 実は櫛祭の頁が入るはずでした。 しんどいので社前奉納の時代髪型ショウは割愛させていただいて、辰巳明神新橋辺りで待ち受けるべし、と云う目論見で行動したら、今年からコースが変わったとかで空振りに終わりました。 朝は歯が痛くてお医者さんで 麻酔されたばかりなのに踏んだり蹴ったりです。 
 (オマイリしやへんし、バチがあたったんやで!) (いってりゃわかったことや、ほんまにソヤな)
と云うことで、またまたお月さんが出てきました。 (これ、月見に行けんかったのの怨念やで)

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お月さんそのものはこの間からのと同じ前後の駒。 前景は何年か前に鷹峰の源光庵で撮った薄です。 
物凄く安直にブログアップ済みの画をコピーして貼り付けたので、始めからとても軽くて荒い データですが、手法的にも物凄く乱暴で、なんと二枚の薄のレイア間にお月さんレイアを挟んで少し演算してそれでお仕舞い。 薄を切り抜いたりもしていません。 其の割には結果オーライで 此処二三日のお遊びの中ではまだ増しかな? と云う程度になりました。

≪    荒城の月

ルナ: そして駆逐艦雪風    ≫

2010年9月28日 (火)

荒城の月

赤穂城と仲秋の名月の組み合わせは昨日と同じですが、ちょっと”それらしい”作り方をしたつもりです。
タイトルのような雰囲気を、と思ったのですが、未だもう一寸ちゃんとやらねば駄目ですね。

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見ていただいて何某の趣があるでしょうか。  
全く見る価値無しやって?   (ホンマのこというてのも、タイガイにしてほしいわ)

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上と下の違いは僅かの明るさの差です。 城櫓の後ろの木の枝の隙間から少々空の気配が覗くのですが、下の方がその程度がやや大きい、と云う違いです。 もちろん表現、印象としての差はあり、それ故に迷います。
これはバックが白いブログ編集画面で見るのと、バックをグレイに設定して写真の調子がよく判るようにしている本番頁とでは見え方が違います。 それで二枚 とも一旦本番にアップして片方を消そうと思っていたのですが、今朝偶々eoのサーバーがパンクしていて働きません。 確認の為にMacの方でこの本番頁を開いたらまた見え方が違います。 一言で言えば作ったときと同じく、グレイバック上でも迷うことなく上の暗い目の方が良い(もちろん主観的に)のです。
画そのものはMacで作り、デスプレイのセッティングはOSで、フオトショップも然りですから、Mac上での見え方は一応信頼できます。 そうでなければ映像画は作れません。
ただブログにアップしたら95%の人がWinでご覧になるわけですから、アップ原稿はウインドウズで作っています。 其の結果として却って迷いが生じて決められなくなってしまいました。
作者としての敵前逃亡ですが、そのまま二枚ともおいておきます。
(注: 敢えて私見を申し上げると、櫓の後ろにそれとなく空が透けて見えるくらいに見えるデスプレイが適当なものです。 現在私のウインドウズにアップし た状態で見る限り、上は其の部分が潰れすぎ暗過ぎますが、印象としては未だ増し、下は全体的にはこんなものかと言うところですが、その辺りの見え方か今一浅ましい のです。 ひどく違うようでしたら、ウインドウズでも最近は(7から?)デスプレイのセッティングが出来るようですから、調整なさるようお奨めします。)

≪    赤穂の月

源光庵の月    ≫

2010年9月27日 (月)

赤穂の月

本日休業というのは文字通り本日休業なんで、毎日休業していたら廃業になってしまいます。
此のブログの本日休業カテゴリなるもの、ものすごエエカゲンなものの集団ですから、名は体を表していて丁度かも知れませんが、多少真面目なものは他の”なんとなく””とりあえず”カテゴリに入れていく。
すべて 「どうぞ御勝手に」の類ですが、昨日のスッピンのお月さんの後、少し遊んだ部分を並べます。

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曰く、赤穂城の月。 もちろん嘘っぱちです。 ただ城は確かに播州赤穂五万石の隅櫓、お月さんはまさに仲秋の名月。 あちこちの観月祭に行き損ねた腹いせに家の二階から撮ったものです。

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寄せ集めると色々問題がありますが、この場合は色。

始めにこんなものかと拵えたのが、これですが、どうも月光の雰囲気がない。


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それで修正してみたのがこれですが、ナンカもう一つ。

まあこれでも良いかと思いながら、常套手段をとりました。
足して2で割る、と言う全く主体性のないやり方でそれがトップの(一応の)完成品。
ただこの場合は二つの画を重ねるのに元データからやるのが面倒でアップ用に出来上がったものを使いました。
此の二枚、実は少しトリミングが違います。 サイズは同じにしてありますから、画の構成要素の大きさが変わっています。
これを重ね直すのは至難の業。
今回の場合はエエカゲンに強行していますので、現在の大きさ(700*1050pix72dpi)以上にしたらボロが出てもちまへん。

でも折角作ったので、全部御開帳いたします。


   

≪本日休業:10/09/26・名月    ≫

荒城の月    ≫


2010年9月26日 (日)

本日休業:10/09/26・名月

また山の話?  いいえ、もうちょっと遠くの話です。 
22日が仲秋の名月、あちこちで月見の催しがありました。 曰く、大覚寺大沢の池、上賀茂と下鴨神社、八坂神社、植物園。 当ブログお馴染みのところは大抵何かなさいます。 特に手近の上賀茂さんへと用意はしていたのが、全体の天気予報はもちろん、京都市北区のピンポイントも衛星画像の雲の動きも現実の空模様も、どれを見ても、これはアカン。 降らんまでも月は見えんわ。
と思って、タイガースがまた負けるのを(此の晩は勝ったんやったかな?)見ていたら、実は結構な日よりだったようで、そのことをリンクいただいている女流プロお二人のページの結果で見て 「こら、アカンわ」
しょうがないのでこの日の前後、家で撮った写真で何かやってやろうと企てていますが、その前の本日休業です。
休業日につき何も手を加えていないスッピンのお月様をどうぞ。

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9月21日21時21分  ほぼ天頂   97%の満月  100%は23日ですね。

G70~300/4.5~5.6     f11   1/320     iso100    AF  ME
α350 (フリーアングルライブビユーでないと、首が痛くなるのでα900はペケ)

≪    本日休業:10/09/25・山は見えない!

赤穂の月    ≫

2010年9月25日 (土)

本日休業:10/09/25・山は見えない!

本日休業なんですが、実は昨日一昨日の街歩き、堀川正面~新町正面~京都駅が下敷きになっています。
あのくだらん長い”山が見えるか”のページ自体が、時間稼ぎ場所塞ぎだったのですが、動機が不純なせいか、後で見ると欠陥だらけでした。 そのひとつが、三条通りから南を見たら”山が見える”という件。   
本日休業:10/09/21・山は見えるか? の挿図6、 南にも山が写っているけど、そんなこと有り得ない!?  それが次の日の地図に山並みを落とすに至って、益々その感が強くなってきました。 そして地図を眺めている内に、新町通の南への軸線上に在る或るものに気がつきました。  
そや! アイツやったら”山”並に立ち塞がって居よるかも。

かつて京都に景観論争と云うものがありました。 高い建物を建てることの是非を巡って仏教界が拝観拒否という(いささかどこやらのいっしんきょうなみのじつりょくこうし)をなさったりした騒ぎですが、そこで一人歩きしていたのが45mと云う高さの目安です。
法令上の数値があるだけで、実際上此の問題に有意なものではないと思うのですが、時移ってバブルの時代JR西日本が京都駅の改築を企てられました。 有数の建築家を指名してコンペティションをされて、素晴らしい案が集まったのですが、いかんせん規模が膨大でどの案も相当な高さになる中で、45mで頭を押さえて当選したのが現行の建 物です。
結果的には万里の長城的な巨大な横幅になってしまい、東山などから見ると市街地の真ん中に障壁としてどっかり座っているので、景観としては果たして??なのですが、三条から八条までの距離であの高さなら・・・
と、言うことで再検証しようとしたのが、動機なのです。

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と、言うわけで、正面通新町の交差点に立ちました。
北と西(本願寺さん)の眺めは既出ですが、そのときモッタイをつけて載せなかった南の光景がこれです。
赤信号の向こうの突き当たり、茶色い建物が駅前塩小路通の中央郵便局で、通常の31mの高さ。
その上を乗り越えて見えるのが1ブロック先の駅ビルで、これは伊勢丹の西端から駐車場の東端辺りでしょう。 (外見上は一連のものです)


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少し下がって七条手前あたりから見た駅ビルです。 素っ気のないガラス張りですが表面的な模様も多少有り、棟のジョイント部分に多少の高低有りで、全体として遠目に見て、慌て者が山と見間違えた~と云う疑いが強くなりました。

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前に載せた写真(挿図6)です。

どう見ても山のように見えます。 遠目の色合いと大きさが、他の三方の山の姿とも類似です。
しかし一旦疑いを持って、かつ正面通辺りから詳細を撮影してみると正体が現れました。
その目で以て此の写真の部分を拡大して照合する(下図)と、やはりこれは駅ビルである。
と云うのが結論になり、南に山が見える??と云う不思議さはなくなりました。


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と云うことで本日のお仕事、いや違った、本日は休業だった!
は終わり、なんですが、 もう一つ、地図で示した北山の稜線についても自分で疑問を持ち始めています。
またまたそれをネタにして本日休業をするかも知れません。

≪    新町通:正面から駅

本日休業:10/09/26・名月    ≫

 


2010年9月24日 (金)

新町通:正面から駅

正面通は何しろダイブッツアンのま正面の通りですから、東西に長く権威?格式?ある通りです。 本来は。  今は中程に東本願寺と其の外苑である渉成薗が挟まって居て、今日の行程は新町通で終点です。     

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其の突き当たりもお寺でした。 綺麗な付近案内図や消火設備などが整えられています。

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交差点に立って振り返ります。

甍が重なって堂々たる姿です。

(なんでぼうえんれんずやな?)


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同じく、北の方を見ています。

(ますますクサイな、 つぎは南の方か?)
(それはまだです)
(?)


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南へ、駅の方へ、ビックカメラへ向かいます。 東本願寺も今大修理中。
(注: タイトルを始め、単に”駅”という言い方をしているのはJR京都駅のことです。今は兎も角昔はこういう言い方で通りました。 ”正面から駅”と云うタイトルも、一般的な表現でなく特定の通から特定の地点へ、という意味になります。 その感覚で一番奇異なのは地下鉄烏丸線の駅名”京都”でしょうね)

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やはり此の通りにはお寺が多いです。 当然お東さんの流れでしょうね。 でも皆ささやかな生活感があっていいお宅です。

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七条の通りに出ました。 この辺りは私にとって盲点なのですが、オヤ と思う建物が目に入りました。  真ん中にフジラビット。 右にAD1922-2002.2 と掲示されていて 凄く曰くありげです。

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こう言うときにものを言うのが,リンク頂いているyume_cafeさんの”京都一人歩き”です。

富士ラビット

富士ラビット 「なか卯」

そうそう、日光社。
外車デーラーやった! 京都でのええクルマは皆そこのシールが張ったッた!
そして富士ラビット。 
戦後のスバル、富士重工。 翼もがれた隼の中島飛行機が作ったスクーターやがな。
免許証なんか要らん頃、ボクも走らせたことがある、あのスクーター屋さんやんか!!

(注: スクーターなるもの、富士(隼)ラビットと三菱(0戦)ピジョンが世に出たときに、免許証は今の電動補助自転車と同じ扱いでした)

建物は国の登録文化財です。

 


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新町通を駅へ向かいます。 建物の横には此の看板。 これも一癖ありそうな喫茶店のようですが、その時は朧な記憶だけでしたのでパス。 実は相当へばって休むところを探していたのに此のお店、階段で二階へ上がるのはいいが下で靴を脱ぐ仕組み。 私は今●●のせいで足が腫れていて、一旦靴を脱いだら大騒動になるものですから・・・・

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相当怪しげな足取りで駅の方へ。 ふと見ると東側に新しい建物が・・・ そう、丸物の跡~失礼、近鉄百貨店跡に出来たヨドバシカメラです。 もうすぐオープンの筈ですが、貧乏な京都でビックカメラと二軒張り合ってやっていくのは大変でしょうね。 (私は新宿の頃からこっちの方が馴染みなんで・・)

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お馴染みと云えば、ここの前を通ったので表敬撮影?です。

お馴染みというのはおかしくて、「お世話になりました」、と云うべき~つまり此の五月、等伯展の帰りにひっくり返った折、救急搬送された先ですので。


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と云うわけでやっと目的地のビックカメラまで辿り着きました。
此のお店はJR京都駅に密着していて、二階に改札口があるくらいですから、向こう側に山陰線~嵯峨野線の電車が見えています。 そのあたりがヨドバシと戦うときのメリットでしょうね。

私の方は完全にヘバッテ、前にあったお店で休憩。 抹茶アイスの掻き氷で冷却。(未だに暑いですもの)

一応ブログ二日分を稼ぎましたが、実は・・・・
明日、
本日休業・・・・。



≪    正面通:堀川から新町

本日休業:10/09/25・山は見えない!    ≫

2010年9月23日 (木)

正面通:堀川から新町

このブログ、本来的には京都のお祭りなんぞのイベントを追っかけて、合間に社寺を廻る。 それで365日が埋まる。 と云うのが理想型で、過去二三年は概ねそうだったんですけれど、此処へ来てそうも行かなくなりました。 要するに●●のせいでついていけなくなったんです。 そこで悪あがきをしてあの手この手を使います。 当然”質”が低下します。 今のところ未だアクセス数などには明らかではなく、逆にやや増えつつあって、おかげ様で連日300人以上おいで頂き、この頃の特徴としては当日アップのページに直接アクセス頂く~つまり最上級のお客様ですな~が多いことで、大変感謝して居ります。有り難いことです。
例によって長い前口上があるのは  (どうせナンカ下心があるんやないか?)(コーゆう奴がいるんはエエことやろか、ワルイことやろか?)
其の通りでして、昨日まで続けたあのええかげんな”やま”を張るページ、未だ続きそうなのを、幾ら何でもとリョーシキを働かせて無理をして割り込みを謀り、町歩きの頁をでっち上げた故にです。     

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内輪話は置いといて、出掛けたのは西本願寺の真正面の正面通。 堀川から新町迄行って、そこから下がって駅まで歩きます。
表向き?必要な用事はビックカメラで1テラのハードデスク(ストリップ)を買うこと。 この頃データがデカクなってDVDでは保管するのに時間と費用ばかり掛かるので、去年辺りからバックアップに使った1Tのデスクを外してそのまま仕舞うようにしているのです。 
それがなんで駅まで乗らずに西本願寺前でバスを降りたのか。
表向き?は、正面通のキャラクターにあり、一日分のブログ(+α)が稼げそうだからです。

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そもそも正面通とは~これ結構深い歴史的な因縁のある通りでして、其の名の通り正面にあるからですが、西本願寺の正面から東へ、東本願寺に当たって一旦切れてまた東へ、鴨川を渡って東山山麓まで続きます。
其の正面にあるのは豊国神社。 元もと京の大仏殿方広寺の楼門真正面になるところです。
もちろん勝手に出来たのではなく、これは豊臣家の全盛時代に大仏殿と本願寺を繋ぐ真正面中軸線として策定され、徳川の時代になってそれを分断する目的もあって、今の位置に東本願寺が建てられた、と言っていいのでしょう。

写真は西本願寺前。 東側の宿屋などの商店のならびです。

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堀川通は此の辺で東に振れて拡幅し、もう少し下のJRの線路を越えるとまた少し振れて油小路(あぶらのこうじ)と名が変わり高速道路につながります。 このような大路が小路というのも変ですが、この門の存在も変。 元もとは現在カメラが立っている軸線上に西本願寺の外囲いの塀があったのを、戦時中の強制疎開~焼夷弾攻撃から防御する防火空白帯を作る為~に依って撤去され、境内も空地になってしまった名残です。 (堀川、五条、御池、紫明の大通りはこうして出来ました)

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今は門だけがぽつんと残って、ことに前の写真の角度つまり通りの延長上から見ると奇妙な印象です。
しかし此の角度から見れば正しく正面通り真正面の本願寺外郭を囲う門、としての存在感が戻ります。

(ちょとシャシンのマジックもあるんやけんどな)


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前の写真を撮った位置からの左後ろです。 此の通のこの辺りのキャラクターとは100%仏具仏事関係の商店街、と云うことです。

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此の通り。 コメント必要なし。 掲示の通りです。

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なんで下の段の”商品”が置かれているのでしょうか? 場違いにも見え、合っているようにも見え。

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詳しくはお店によって色々ご専門もお有りなんでしょうが、此の不信心者のカメラマンには判別がつきません。


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仏壇の新品もありますが、こういったリサイクル??も良いですね。


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油小路の角です。 仏具屋さんだからと云っても、外観がきちんとした京町屋のままのお店は少なくなってきています。

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此の仏具屋さんの団塊は、油小路を過ぎ、西洞院一つ手前あたり迄で終わります。

 


此のまま東へ進んで、新町通に至り、南へ下がります。
(シンマチ? なんやキナ臭いな?)
(バレたか?)

≪    本日休業:10/09/22・見える山は?

新町通:正面から駅    ≫

2010年9月22日 (水)

本日休業:10/09/22・見える山は?

やっと終わってくれたかと思ったら未だ続くの?  ~ そうなんです、モノスゴしつこいでしょ。

何処が見えているのか? 今度はこれが気になり出しました。 山までの水平距離と山の高さ、つまり仰角がどの位なのか、その視角を塞ぐような手近で少し高いもの、つまりビルとかとの関係で変わりましょうが、極めて大掴み且つ純粋に自分の勘だけで地図に落としてみました。
先ず北ですが、これは起点(三条新町・赤点)からの距離が遠くて高い山、つまり日本海と太平洋の分水嶺になっている丹波の稜線が、前にある里山程度の山々を越して上に見えている。 のだ、と思います。(ブルーの手書き腺)
東山はそれに比べて非常に近く、町のすぐ前に並ぶ山並み、つまり東山三十六峰ですから、低く細かい点まで見えます。(いま楢枯れが問題になってます)
西はやや遠いのですが、高さも距離も北や東の中間位で、結果的には同じような大きさに写りましたが、肉眼ではそれほど強い印象はないでしょう。
問題は南で、常識的に言って京都の南は山がない。 あるのは遙か彼方の大阪奈良間の生駒山、其の手前の男山や天王山は低い上に結構遠くて、然も真南にあたる辺りは山崎の地峡部です。 地図上では京阪奈の三角地帯の丘陵の裾に線を引いてみましたが、大いに?です。

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地図で久世郡とある辺りは戦争中までは小掠池が広がっていて、丘陵的なものはその先で然もごく低いものです。 北山よりも遠いくらいですから、昨日の南向きの写真はどうしても解せません。

 (頼むし、もうツイキュウせんといてや)
 (ショーチしましたが、誰かやらはらへんかなぁ)

≪    本日休業:10/09/21・山は見えるか?

正面通:堀川から新町    ≫ 


2010年9月21日 (火)

本日休業:10/09/21・山は見えるか?

山は見えるか? なんか予想屋か占い事、もう一つアヤシゲな印象ですね。 まぁ、そう言えば其の通り、まるきり意味のない作業です。
ところで京都はもともと山城の国、四周を山に取り囲まれた盆地です。 したがって四方を見渡して山が見えるのは当たり前。
 (ちょっと脱線してのお断り: 信州や東北の山国の方から言わせれば、あれは岡であって山ではない、と云うクレームもつきましょう(現実にありました)が、そうむつかしい事は言わないで)   
~それを今更なんで?と云うことですが、逆に京都にお住まいの方の日常感覚では町中の通りの向こうに山が見える、と言うことはそうないと思います。 昔の京町屋、概ね平屋ばかりの頃は大文字が何処からでも見えた。と云う話を聞いたことはありますが、一応二階屋が普通になり、ちょっとしたビルも混じるようになった今日この頃では、日常的に通りから山を見る、という感覚は薄くなっているのではないでしょうか。
それも東山の三十六峰は比較的町に近いゆえに見えもし馴染みもありますが、北山、西山となると、果たして見えるのか?は、むしろ平均的な感覚ではないのでしょうか。
 (アンサンだけ変わってはんのとチャウ?)  (ありうるけど・・・) 
そこで本論の新町三条から四条のあたりから北山が見えるか?と云う話になりますが、物理的に見えることはこの前の鉾の写真で証明されています。(挿図:1)
でも、京都の碁盤目の街区と言っても、実際には途中で折れ曲がったり一旦無くなったりする場合は多いのです。 東西向きの特に大通りでは少なくて、例えば八坂神社の楼門は相当遠くからも見えますが、南北は総体的に長さが長いので、なかなかそうは行きません。
具体的に三条を起点とした新町通に話を絞りますと、北へ向かって下長者町辺りからふらつきだして今出川を過ぎ寺之内で一旦途切れます。 一筋ほど西へ振った形でまた復活して、北大路から北の明治以後の新開発地では、また立派な直線の都市計画道路に戻ります。
更に細かく見ると、例えば一筋上の姉小路新町でも街路の食い違いがあります。 当然町中では31m高さのビルが視野を塞ぐはずですから、遙か彼方の北山まで見通しが利くはずはない・・・だろう、と云うのが固定観念でした。 
それは普通の目の視覚的にはそうなのだが、ところが望遠レンズで引っ張ったら、実は見えている。 でもやはり未だ釈然とはしません。
 Google地図  (適宜拡大縮小して見て下さい)

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挿図: 1

問題の発端の写真です。
新町通の中心線上、三条より200mくらい下でしょうか。


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挿図: 2

新町通三条から北。

確かに山は見えます。 でも一筋上の姉小路のマンションで半分隠れています。 
これは望遠レンズで風景の一部分を拡大して見たものですから、日常的な視角では山の印象が残らないのでしょう。


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挿図: 3

2と同じ場所ですが、道路中央ではなく東の端に寄っています。
(ウイークデイの日中町中は車が多くて物騒でした)
僅かのことで山の形が変わり、風景の印象が変わっています。


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挿図: 4

これは東向き。

東山は近いですから、樹木の様子まで写っていますし、実際其の存在は日常視覚的にも感知していると思います。


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挿図: 5

西を見ています。
やはり山は写っています。

それも結構立派に。


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挿図: 6

南向きです。
これは一筋東の室町ですが、驚いたことに山が見えます。

これこそ、そんなことあり得ない・・・  でもビルの上に確かに稜線が。


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参考:

北大路より北、三条から約4~5Kほど北になる辺りから見た北山です。 
この辺りになると山の存在は日常感覚としてもはっきり認知されていますし、望遠レンズで撮ってみると木々の様子も分かります。 そして三条から見えている稜線とは別物、もっと近くて低い山並みが遠くて高い稜線を隠しているようです。


三日間に渡る大作戦の結論は単純に、望遠レンズで写したら、何時もの視覚と変わって違ったものが見えた。 と云う、極端に平明且つ平凡な話に尽きるようです。
おつき合いいただいて有り難うございます、 お疲れ様でした。  (ホンマに)

≪    三条新町へ

本日休業:10/09/22・見える山は?    ≫

2010年9月20日 (月)

三条新町へ

さて、新町通の三条あたりから北山が見えるか?     全く以て暇人というか、天下泰平というか、無意味且つ興味を持って頂ける同志の存在する見込みがない行為のために、現地へ向かいました。
その行きがけの駄賃のページですから、世にこれほど不要不急なものはありますまい。

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新風館から下へ、烏丸を下がります。 
三条の角に見えるのはみずほ銀行ですが、元は第一勧銀で、その前は第一銀行・・・だったかな?
最早歴史の彼方と迄は言いませんが、実は此のクラシック建築、全くのコピーでして、元々あった建物をブッ壊して同じ外観(と称する)ものに置き換えたものです。
耐震性など多くの問題はありましょうが、やっぱりイージーなやり方、と云うべきでしょうね。

其の後ろは住友銀行の(本来の)京都支店だったところに合併移転後建った新しいビルですが、これも前の建物は(そう古くはないですが)名建築でした。
今の建物は巨大化して、なんかこの辺りの雰囲気にだけスリスリしているような印象で、あまり快感をもち得ません。


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三条通に入って西へ向かいます。
これは次の両替町通の角にあるビル。 文椿ビルと言うらしいのですが、済みません、私は目下の処自前のデータを持ちませんので孫引き です。

此の姿になったのは2004年だそうですから、私はもうリタイヤしています。 
元もとは大正9年建築の木造洋館と云うことですから、此の通りのリノベーションとして評価すべきお仕事でしょうね。


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其の向かい側です。
ここにも比較的新しい立派なビルがあるのですが、一般的には三井ガーデンホテルとも見えて其の入り口があります。
通りに面するところはIEMONSALONKYOTO と言うサントリー系のお店ですが、正体?は写真に見える紋所が示す千総さん。 
つまり室町の大店、言うなればかつての京の都を支えた最大級大商社、三西村家の一つが今も本拠を構えて居られる処です。


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さらに西へ進みます。 北側に未だこうしたホンマモンの町屋も残っています。

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さらに西へ。
辻々で北の方が気になります。
この辺りには三条通で行き止まりになり、南へは伸びていない通りが三つばかりあって、東から 烏丸 (両替町) 室町 (衣棚コロモノタナ) 新町 (釜座カマンザ) 西洞院ニシノトウインとなります。
()書きが行き止まりの通りで、三条より上にしかありませんから、祇園祭の巡行とも関係ありません。


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カメラのレンズを付け替えて200ミリに固定。~問題の写真はフルサイズのα900に300ミリだったので、今日のサブ機(α350)ではこうなります~

が、どうやら北山は見えますね。


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新町を通り過ぎてしまって、(実は此のエセ京都人、通りの並び方をそらんじてないんです) 釜座迄行ってしまいました、
カマンザがほんまに釜座であったことを、そこにあった老舗の看板で初めて知りました。


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東へ引き返します。
烏丸を越えて東洞院(ひがしのとういん)角の中京郵便局が見えています。
これは古い建物の内部を近代化し補強して外装をモデュファイしたものですが、さすがは旧逓信建築の伝統を曳いて、納得のいく仕事が出来ています。


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烏丸の角まで戻りました。 長いレンズをつけたまま、みずほ銀行の角の飾り塔屋越しに烏丸通向かい側のビルを重ねて写しています。
まぁ、一寸ばかりオモロイ光景ですが、向こう側の決して上手な設計とは言えそうにない今出来の方が、正直で良いのかも。


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烏丸三条交差点、西寄りの南観。
現代の京都はビンボーですから、大阪の御堂筋などとは違い、最も目抜き通りの烏丸でもビルの高さは旧来の制限31mで揃っていません。
地主さんに資力がない、作っても需要がない、からですが、中に二つだけチョット高層ビルが並んでいます。
左に見える角張って窓の少ないのと逆に丸みを帯びたのとがそれですが、並んでいて同じ持ち主なのに格好がバラバラです。
今の京都でこれだけの投資が出来るところ、実はこれは烏丸六角東入る北側の六角堂さん、(ビルの裏手です) 別の言い方をすれば、華道池坊流お家元のものらしいです。


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そのまま交差点を渡ります。
地下鉄御池の駅の南端出入口はそこにあります。
広角レンズで北を写すと、烏丸の大通りでも北山は見えはしても印象に残りません。


明日は昨日今日の頁の本来の目標、
「山が見えるか?」
に、迫ります。

(オオゲサ、あほみたい)
(正味のアホかも)

≪    新風館廻り

本日休業:10/09/21・山は見えるか?    ≫

2010年9月19日 (日)

新風館廻り

旅行というものは本質的に楽しいもので、疲れを伴っても苦痛ではなく、むしろ心地良いもの・・・・であると、今までは信じていました。 でもやっぱりトシ食うとそうでも無いところが出てくるようです。
兎に角赤穂御崎までの大遠征?では少々へたばって、とりあえずは二日分ばかりリポートとも言えないページで凌ぎ、記念写真の整理~此は大学時代からの宿命的なものになっていますので~などをして、さて、と廻りを見回すとアップネタが途切れている。
再々お断りしているように、もうノルマ氏の呪縛には掛かってませんが、長年の習慣でやっぱり穴が空くのは”当方の負け”みたい感覚があり、さてなんか無いかと考えたら、そうそう、この前の本日休業で、昭和初期~大正の鉾のニセモノ写真で遊んだ際に、いったい新町通りの三条下がった辺りで北山が見えるのか?
写真には写っているけれど、一寸信じがたいような処があって、一辺確認に行かねば、と書いた事の延長戦をやることにしました。
とりあえずは現像補正した旅の記念写真データを持って、三条河原町のムツミ堂へ焼きに行く、(去年までは家でプリントしていたのですが、それも億劫で)、地下鉄烏丸線から東西線に乗換の際に新町三条へ廻って、交差点から東西南北の遠景を撮る。 
ただしそれだけで帰ったのでは勿体いない・・・と云うことで、烏丸三条あたりでなにがしでっち上げました。 と、たかが本日休業の余録にこれだけの無駄話をして、さて今日の所は今更でも無い新風館廻りの写真です。

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烏丸御池の巨大な駅~よく考えたら地上へ出るエレベーターは一カ所だけです。 平面的な距離があっても、そこへ行かなければなりません(と云う程度にトシヨリになりつつあります)
出たところは交差点の南東側なので、姉小路迄しかない車屋町通を三条の方へ向かいます。 必然的に姉小路~新風館にぶつかります。

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そこの角ッこ。 立派な町屋があります。 先ずは町屋の中でも最高グレードでしょう。 御菓子司亀末広さんです。 
此のお店には現役時代幾らかの思い出がありますが、此の駄文を書くための参考用にGoogle検索などを掛けました。 通り一遍でこの場合には全く場違いなグルメ情報や御菓子の話題のページ等ばかりの中で、私の持つイメージに合った紹介記事がありましたので ここ にリンクしておきます。 
(追加でもうひとつ: お店の商品~(と言う言い方がそぐわない感もある処ですが)~を一通り賞味して記事になさっているページ が見つかりました。 他のお菓子屋さんなら兎も角、此処でこれをやるには物凄い元手と努力が必要なはずで、些か驚いています)
極端に言えばこちらで求めるものは食べる為の御菓子ではなく、格式を持った贈答の品を整える為の場所。 京都くらいでないと一寸存在し得ないお店でしょう。 
もちろん食べたらそりゃ美味しいですよ。 でもお値段なんかを考えたりしてどうこう言うものではありません。

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偶々通った姉小路の亀末広さんですが、向かい側のビルは新風館と云い、今はレストランやファッション関係、イベントホールなどの商業施設です。
此処がまた只者ではなく、元もとは京都中央電話局。 
昭和元年に竣工した、当時の逓信省関係の名建築の一つで、設計者は吉田鉄郎。 京都市有形登録文化財です。
当時の外装をそのまま生かして
2001年に改装オープンし、今もNTTの関連会社のものですが、現代的な企画運営で異彩を放っています。


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新風館は烏丸姉小路の東南側ですが、此処から南は三条まで、西は東洞院までの大きな街区がNTTの領土でして、現在も電話局その他が占領しています。


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新風館はロの字形の平面で、中庭はオープンスペースのイベントホールになっており、其の名はリキュウホール。 

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廻りを囲む3階建ては内側にオープンデッキが設けられて、ファッショナブルなショップや、飲食店等が並んでいます。

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烏丸側の南端が主要な入り口で、其のアプローチ部分なども今様で且つ調和良く改修されています。

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メイン入り口側から烏丸通りを見ています。
辺りのビルも少しずつ新しくなって、よい雰囲気になって来ました。


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烏丸通へ抜けました。 西側正面のフアサードです。

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同じく南西側。 新風館と書いてあるところが、一枚前の写真の入り口で、画面左端のビルが烏丸御池の角になります。
それほど古いものではない、いわゆるレトロ、大正昭和初期の名建築が生きて活用されている一つの見本でしょう。 三条通りに入ると寺町まで多くのそう言った建物が並んでいることはご承知の通りです。   三条通10/03/08:その2
今回はそちらではなく、”山”が見えるかどうかの検証に三条通りを西へ、新町まで行って、ついでにその間の諸々を拾います。

≪    播州赤穂

三条新町へ    ≫

 


2010年9月18日 (土)

播州赤穂

第二日は播州赤穂の観光です。 
ジャンボタクシー二台に分乗して廻るのですが、以前ならば貪欲に修学旅行して廻ったのが、花岳寺の義士のお墓と大石神社、そして城の隅櫓&門までで本丸跡まで行かず、昼食解散でした。 尤も一部元気者は午後に閑谷(シズタニ)学校迄足を伸ばしたようで、本当なら私もホイホイ附いていく方なのですが、もうホンマにあきまへん。   

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花岳寺へ向こう途中に一部ですが元城下町らしい箇所がありました。

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此が花岳寺正面。 町中の突き当たりです。

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御本堂の天井です。 なんとなく写して帰って見たら意外な大迫力。 普段京都でならきちんと筆者其の他由来なども調べて記事にするのですが、全くの観光客でぜんぜん役に立ちません。

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ズボラの極みが此。 義士の列伝どころか名前を並べるのまでも省力化しています。

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四十七士のお墓がある一郭の前にこの碑がありました。

説明掛りの方の解説も上の空。

我がブログの解説も大方はこんな風に受け止められているのかな?

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宝物館で私の関心を引いたもの~幾つかの城の模型~それも最近のものではなく江戸期の物。 此は特定の城ではなくて、甲州流真丸馬出雛形とありました。

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お寺から城跡、大石神社へ。 城は広大なもので大石神社へは裏手から入りましたが、その一郭でのビユーです。 崩れ落ちた櫓の石垣の向こうに聳えるのは現代の大煙突、多分美化センターのもの。

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神社内の一隅。 絵馬堂廻りには大願成就とありますが、その点の御利益は間違いなし?

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神社参道にも大願成就の幟と共に四十七士の像が並んでいます。 今日はその回りで骨董市が催されて居ました。

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それから表に廻ります。 唯一残っている大手隅櫓です。

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そして其の脇にある門。 大手門になるのかどうか、比較的ささやかなものです。 この辺りだけで退散したのですが、後で地図を見ると此の奥に広大な城跡が広がっているようです。

前にも述べたようにまことに皮相な回遊の仕方で、正しく観光そのもの。 今の私の体力気力には丁度釣り合っていて良かったと言うべきかも知れません。 それにしても大遠征!?にしては、貧相な結果となりました。

≪    赤穂御崎へ

新風館廻り    ≫

2010年9月17日 (金)

赤穂御崎へ

同窓会と云うことで赤穂へ行きました。 去年は幹事で比叡山。 行く先は決まっていましたが無事お仕事を終えてBlogの方も収穫があったのですが、今年は旅行そのものもブログももう一つで終わりました。 何しろ平均80歳のジジが16人+介護者で行く旅行ですから、景気のいい話があろう筈もありません。 幸いこんな事を今此処で書いても読む奴は殆ど居ない筈なので安心~尤もどうした風の吹き廻しか、ブログ:ノルマ!!の”名刺”を要求したのが約二人居ましたから、来年絞られるかな。

行く先は赤穂御崎。 わたしは行ったことがないのでホイホイですが、片道2時間半のJR新快速は、およそこの頃の日常では長旅でした。 
其の割には旅そのものにも写真にも余り収穫がなく、今日の所は第一日の宿までの過程、明日はお城と花岳寺などです。

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何しろ山男、ではなく京わらべ (ダレのこっちゃ??) ですから海が見えると狂喜します。 ましてや明石海峡大橋とあっては、シャターするなと言う方が無理。

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明石のお城もちらりと見えました。 どうも播州赤穂というと、どうしてもそっちの方へシフトします。

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で、無事~実際は午前中の事故でダイヤは大いに乱れて~新快速の終点播州赤穂着。 駅は最新型の橋上駅ですが、このような額がお出迎え。

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迎えのバスで今宵の宿へ。 途中赤穂城の石垣に沿って走ります。 五万石にしては結構大きな城跡です。

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お宿に到着。 いま話題のかんぽの宿です。 大変立派な施設ですが、話題の通りに問題は~政治的な話は置いておいて、日常運営のソフト、ハード共に山のようににある、と観じました。

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で、客室に入ります。 赤穂御崎からは少し東よりで、目の前には家島群島と小豆島。 眺望絶佳の東向き斜面に半円形を描いた客室棟があって各室バルコニー付き。

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正面の家島は昔からの採石場。 大阪城始め多くの城の石垣の供給基地でした。

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前の二枚から右へ繋がって、ほぼ南を見ています。 右手の大きな島が小豆島。

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暮れなずんできました。 山の頂上近くまで石切場が迫っているのがよく見えます。

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前の写真の左続き。 海、となると、もうメロメロの傾向あり。 此の山男 チャウ!京わらべ。

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そして一夜が開けました。 東の海に朝日が昇ります。

≪    ハーフサイズの変な奴・コニカレコーダー

播州赤穂    ≫

 


2010年9月16日 (木)

ハーフサイズの変な奴・コニカレコーダー

本日休業で二日過ごし、無事旅行から帰ってきました。
行った先は播州赤穂、京都ではありませんが洛外カテゴリーで少し並べる予定です。 さりながら昨日の今日アップするだけの余力はありません。 そこでのワンポイントリリーフです。

今回から35mmもハーフ版、つまりはオスカー・バルナックがライカで映画フイルム二駒分をスチールに使うことを創案したのものの先祖帰りですが、昭和34年(1959)にオリンパスからPENとして発売され、其の後一世を風靡したサイズのカメラ達に移ります。

第一陣は、その中でも”ちょっと変わった奴”から。

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 92番  「セコ」  「コレクション」  コニカ レコーダー   
2305451  KONOCA HEXANON 24mm F4  ハーフ版AF,AE、自動巻カメラ
電池 単3*2 (ニッカド不可)

昭和59年(1984)発売ですが、此の時代になるとカメラは殆ど自動化されて、元の使用説明書かカタログがあればいいのですが、そうでないとカメラ本体を眺めているだけでは、スペックとして此処に書くことがほとんど無くなりました。 (末尾に説明書からのコピーを転載しておきます)
とりあえず外から眺めてフイルム感度設定がiso100.200.400と有り、手動でオンするストロボのスイッチがある以外に触るところは無く、撮影態勢でレンズ名が誇らしげに現れるだけです。 曰く ヘキサノン。 この頃にはもうレンズ名を書くことも減ってきていますが、やはり特筆大書するに足る伝統の名レンズということでしょう。
ところで、何が変わっているのか、って?
先ずは其の形態。 見たところただの平べったい箱です。 出っ張りが全くないところが携帯に便利ですが、ハーフ判として特筆するほど小さいものでもありません。 特徴的なのは此の形から撮影態勢に入った処にあります。 (写真下)

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ボデイを持って左右に引っ張ると、Z形にボデイが割れて、中央にレンズがKONICA HEXANON の刻印と共に現れ、もう一方の割れ目にはAF,AEセンサーが現れて、更にメインの電源スイッチも入ってカメラが起動状態になります。
このアイデアは残念ながら全くの独創とは言えず、”我が田に水を引く”タイプのコダックインスタマチック126フイルムを使うローライA26の影響を受けているように思いますが、結果的には次に述べる特徴と共に評価されて、グッドデザイン賞を受けています。

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其の特徴は、裏蓋を開けると判ります (写真上) 
此の時代ですからフイルムは放り込んで先端を巻き取り軸に挟むだけ。 後は巻き戻しを含めての全自動。 (なんも変わったところ無いんやない?)
ところが実は此のカメラ、横向きに構えたら横長の写真、縦向きに構えたら縦長の写真が撮れるんです!!
(一寸待って、 アタマおかしいんは、アンタかワイか?)
そもそもライカ版サイズというものは、横に巻かれた映画用フイルムに横長の写真を撮りますが、大元の映画は縦に巻いて送るフイルムに横長の絵を撮るものです。 従ってハーフサイズのスチールカメラは普通にカメラを横に構えたら縦長の写真が撮れてしまう。
その宿命的な欠点を克服するべく、フイルムは縦方向に巻かれるようになっており、それで尚且つ大きなボデイにはならないようにレイアウトした点が、此のカメラの優れたところでしょう。 
なお外装パネルは此処にあるのは黒ですが、他に赤があって表面の格子柄と共にそれなりの存在感ではありました。

 

使用説明書の要約コピー

 型式: 35mmハーフサイズレンズシャッター式オートフォーカスAEカメラ、
 フラッシュ、自動巻き上げ巻き戻し機構内蔵、ケースレスタイプ  画面サイズ: 24*18mm(公称)35mmフィルム使用  
 レンズ: ヘキサノン24mmF4 4枚4群  
 シャッター: 絞りセクター兼用ビトウィーン式プログラム電子シャッター、1/60~1/250秒無段階変速  
 焦点調節: 赤外光によるアクティブ式オートフォーカス機構、撮影距離0.9m~∞  
 露出調節: CdS使用のAE機構による自動露出調節  AE連動範囲: ISO100でEV10(F4-1/60)~EV16(F16-1/250)、ISO400ではEV8の低輝度まで。 フィルム感度目盛はISO100、ISO200、ISO400。低輝度警告輝度はLV10(ISO100)  
 ファインダー: 逆ガリレオ式透視ファインダー、倍率は0.55倍、低輝度警告用赤色ランプ内蔵  
 フラッシュ: フラッシュスイッチONで充電、フラッシュマチックに切り替え。連動範囲は0.9~4.5m。ISO感度切り替えによりガイドナンバー自動変換。日中シンクロ撮影可。充電表示ランプ付き。ガイドナンバー12相当(ISO100・m)。発光間隔は約8秒(新品の単三乾電池使用)  
 フイルム装てん: 簡単確実なコニカEL方式  
 フイルム巻き上げ: 内蔵モーターによる電動式巻き上げ、最終コマで自動停止しフイルム終了表示(R)ランプ点滅表示  フイルム巻き戻し: 巻き戻しスイッチ操作で電動式巻き戻し、フイルム枚数計窓に巻き戻し終了の赤マーク表示  
 電源: 1.5V単三乾電池2本(ニッカド電池不可)  撮影可能枚数: 常温20℃、新品の乾電池で24枚撮りを使用した場合 <フラッシュを使わないとき> マンガン電池・約40本(2000コマ)アルカリ電池・約100本(5000コマ) <全部フラッシュを発光させたとき> マンガン電池・約2本(100コマ)アルカリ電池・約5本(250コマ)  スライドカバー: スライドカバーにより電源スイッチON/OFF、レンズ、 自動測距窓、受光窓などの保護  
 その他: リストストラップ組み込み、ケース(別売り)  
 大きさ・重量: 112.5×77×30.5mm、250g(電池別)

追記:
”変な格好のハーフ判カメラ” と、言えば、あれ。 
キョーセラのサムライ達と言う辺りが一番先に出てくる筈ですが、既に登場済みですので こちら  からどうぞ。

≪    本日休業:10/09/15

赤穂御崎へ    ≫

2010年9月15日 (水)

本日休業:10/09/15

今日こそ正真正銘の本日休業です。

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暑いところの高気圧のせいで無茶苦茶な暑さが続き、、従って雲も入道雲的なものばかりだったのが、昨日のは8月26日の19時、今日のは9月3日の16時半、 幾らか雰囲気がちがいます。 此の異常気候でも季節の移り変わりは、ある、というものでしょうね。

≪    本日休業:10/09/14

ハーフサイズの変な奴・コニカレコーダー    ≫

2010年9月14日 (火)

本日休業:10/09/14

本日休業というカテゴリー、作っては見たものの、名は体を表すどころかレギュラーページよりも重たい・・・  此ではお休みになりません。
もっと積極的に手抜きに努めねば・・・・ (これ、ニホンゴとしてヘンとちゃう) と、反省していたところ (ますますコトバの使い方おかしい) 幸いチャンスがやってきました。
今日から二日間、ホンマの本日休業です。 (ゴルフクラブ屋さんが休みか?)

実は大学の同窓会の旅行が毎年この時期にありまして、去年は幹事を仰せつかって比叡山へ。 それでも霧の山頂での写真など、抜からずブログの方も働いてきたのですが、今年はモウ、アキマヘン。  オリンピックや無いけど参加するのがやっとなので、留守の二日間、つまり此の14,15日を埋めるのに、一生懸命考え努力することは止めて、積極的に手抜きすることに努めます。
などと言いながら、結構文章が長くなって手抜きになっていません~~てな事を、反省する~アホさ加減ですが、写真はやっぱり一枚は要る~~ますますアホや・・・・

で、誰にでも何処にでも日常的な、つまり人畜無害で幾らでも撮れるネタを起用することに決めました。

今日と明日は雲。  唯の夏の夕雲。

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これだけ手抜きすれば、立派に本日休業でしょう。

≪    重陽の節句10:烏相撲・取組

本日休業:10/09/15    ≫

2010年9月13日 (月)

重陽の節句10:烏相撲・取組

取り組みが始まります。 最初は禰宜方、祝方、それぞれの座った順序に名を読み上げられて対戦です。   

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此は奉納神事であり、また相撲のことですから、全ては礼に始まって礼に終わります。   

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細殿正面には斉王代がお座りで、一部始終を観戦なさいます。 
斉王代が真ん中で左右に女童、縁には宮司さんと権宮司さん、庭前には二つの立砂と、お雛飾り宜しくシンメトリイになった見事な構成です。

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取り組みが始まりました。 行司さんも二人居て、交替で捌きます。

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土俵の砂を蹴立てての決戦が続きます。


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何番か終わると土俵の整備。 その辺りは完璧です。

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取り組みの後半は三人勝ち抜き戦になって、いよいよ盛り上がります。

正面側のテントは来賓席です。


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斉王代が座られた細殿前での御前相撲の催しは、整えられた様式美とも言えるでしょう。  やはり京都、さすがは賀茂の里。  (チョト誇大ちゃうか?)

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全ての取り組みが無事終わると、斉王代を囲んでの一同の記念写真撮影です。 このあとカメラマンサービスタイムも設定されていたようです。

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そして会場脇にはこれ、神前お下がりの菊花の酒。 皆さん並んで頂いておられましたが、私は写すだけ。 掛かりの方に勧められても首を振るだけ。
ある意味罰当たりな態度ですが、実は六月の救急車騒ぎは此が引き金、だった可能性もあるものですから。
(ホンマツテントウやで、 そ~ゆ~事ないように、いただくもんやろがな) 
(あんときはシンジンが足らんかったんやろなぁ)

≪    重陽の節句10:烏相撲・烏跳び

≪日休業:10/09/14    ≫

2010年9月12日 (日)

重陽の節句10:烏相撲・烏跳び

     

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9月9日の朝になりました。
重陽の神事は御本殿で10時から始まり、斉王代始め諸員参拝の後、烏相撲は11時からとなります。
例年のことですが未だ残暑厳しく、今年は残暑どころか未だ暑中真っ最中の感じ、昨夜は台風の後遺症もあってすこし増しでしたが、今朝は暑い、暑い。
おまけに今日は見物人も多く、この頃はツアー客?らしき団体が一角を占め、そこへマスコミを始めアマカメラマンなどが蝟集します。
いやが上にも暑いのに早い目に行ってポジジョン決めも必要で、結構な難行苦行にもなりかねません。

行事の次第は昨夜と基本的に同じ、但し葵祭の斉王代が細殿にお出ましになって観戦されるのと、禰宜方、祝方それぞれの神職さんが土俵上での呪術を施され、童子達の名を神さまと斉王代に報告する辺りが違っています。


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先ずはお祓いのために土舎に向かわれる斉王代。
何時ものことながら、この十二単、ことに9月9日には難行苦行もいいところではないでしょうか。
本当にご苦労様です。


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其の点相撲童子は対照的に楽ですね。
今日の気候に一番適した服装?ですから。

因みに赤い布きれは禰宜方の印です。


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神職さん方を先頭に烏跳びの刀弥と相撲の行司さん、それに童子達。 その他一同御物忌川(オモノイガワ)の玉橋を渡って御本殿へ進み、重陽の菊の神事が始まります。

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神事は約一時間。 やがて退出された斉王代は細殿に昇殿されて着座され、烏跳びの神事が始まります。 
禰宜方、祝方  それぞれに烏跳びをして立砂に武器を立てかける所作は、やはり神武東征神話に絡むものなのでしょう。   

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二人の刀弥が交互に、かあかあかあ、こうこうこう とカラスの鳴き真似をするのもそのものズバリです。 八咫烏  賀茂建角身命は恐らく大和盆地の南端から熊野側の山地に勢力を張っていた地付きの豪族で、道案内の功績によって、先ず木津川の加茂の辺りに進出し、更に山城盆地の北端を治めるようになったのでしょう。 

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烏鳴きが終わると、お二人は立砂に捧げた武器類を取りさげ、座った円座も手に持って、再び交互に横っ飛びを繰り返してそれぞれの幄舎に戻ります。


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次の儀式は相撲童子達が御祭神と土俵に拝礼する趣旨のものでしょう。 先ず土俵に一礼して横切り、次に立砂の間から御本殿に向かって礼をし、それぞれ砂の回りを三周します。

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そのあと土俵と取り組みに関しての秘儀が行われます。 此は神職さんが行う作法、呪術の一種ですから、昨夜の”練習”にはありませんでした。 此の神職さんも禰宜方、祝方それぞれに一人ずつついて居られて、それぞれ同じ秘法で土俵を浄め、取り組みの無事を祈ります。 今杓をとって土俵の砂の上に円を描き、なにやら呪術を施して居られますが、此の後はまた土俵上を特別な歩き方で歩いて祈ります。    

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神職さんによって次に行われるのは、今日相撲をとってご覧にれる童子達のことを神さまに御伝えすると言うことです。
自分方の童子の姓名を書いた奉書をとりだして、神様に向かって読み上げるのですが、此は神職が神さまに伝えているのですから、読み上げる声は我々凡俗の耳には聞こえません。


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読み上げ終わると、それぞれの方の神職は細殿に上がって今の紙を斉王代に手渡します。→(表現が不適当でした。素手では決して渡しません、割串に挟んだ奉書を斉王代に捧げます)
斉王代が中央に座しておられる細殿の縁の左右には、宮司さんと権宮司さんが控えて居られます。

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斉王代は捧げられた奉書に目を遠し、記された童子達の名前をご覧になります。

こうした手順を経て、いよいよ烏相撲の取り組みが始まります。


≪    重陽の節句10:内取り式

重陽の節句10:烏相撲・取組    ≫

2010年9月11日 (土)

重陽の節句10:内取式

9月9日は重陽の節句と云い、これは陽の数である九が二つ重なる頃を意味して特に目出度い節句とされています。
また菊の節句でもあり、古来宮中では早朝に菊花に宿る露をとって身を拭い、菊化を浸した酒を神前に供えて此を頂くことによって祓いとしました。
そのことと重ねて此処上賀茂神社では御祭神賀茂別雷神(カモワケイカヅチノカミ=雷神)の祖父に当たる賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)即ち神武東征神話の八咫烏(ヤタガラス)の功業に因む烏相撲という神事の奉納があります。
此は賀茂の里の童子が相撲をとって紳慮をお慰めするものですが、それには独特の作法などが伴います。 そして前夜即ち8日20時から、其の予行演習とも言うべき性格の内取式と云う行事が催されるのです。
此は禰宜方(ネギカタ=西側)、祝方(ホウリカタ=東側)に別れた参加者全員が概ね本番と同じ次第順序に従って行うものですが、相撲をとる二つの組の実力を平均化するための組み合わせ決定なども目的の一つですし、練習なのでやり直しがあったりもし、また夜のことで外来者も父兄などが主ですから、結構のんびり和気藹々と進行して楽しいものです。
今日の頁はその模様をかいつまんで載せ、明日以降9日の本番の模様をお送りします。
本番の烏相撲神事と内取式との最大の違いは、土俵正面細殿に葵祭の斉王代がお座りになって観戦されると言うことでしょう。

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相撲は禰宜方、祝方の二組の童子各12人で取り組みますが、それに伴って神職、行司、そして烏跳び役などの諸役も全て禰宜方、祝方と 二組全く同じ編成で行われます。
社務所で用意を調えた禰宜方、祝方一同は、先ず土舎(ツチノヤ)に至り、お祓いを受けます。
写真先頭の白丁姿の二人(刀祢)が烏跳び役、其の後ろの紺の直垂が行司さんです。

(今年は式年遷宮の用意の一つとして土舎の屋根が葺き替え工事中なので、多少段取りが違いました)


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相撲童子達は行事の始まりと終わりに ならの小川に入ります。 禊ぎなのですが、終わった後のは身体に付いた砂を洗い流すこともあり、子供達は大騒ぎをしてはしゃぎます。
今年は工事の関係で場所が狭く、すこし簡略化されました。

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土俵は二の鳥居と細殿、二つの立砂の間に設けられて三方を招待者用のテントが囲みます。 
練習と云っても神事ですから、先ずは禰宜方、祝方それぞれに修祓。

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そして始まりました。 此がこの行事の目玉。 烏跳びです。
禰宜方、祝方それぞれの刀祢(トネ)が左右の幄舎(アクシャ、写真青白幕で囲われた処)に控えていて、まず弓矢を携え交互に横飛びをして立て砂の前に至り、持ってきたものを立てかけます。 次ぎに太刀を持って同じ事を繰り返し、更に円座を持って跳びます。

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其の円座に座すと、禰宜方、祝方交互に、「カァ、カァ カァ」  「コウ コウ コウ」 と烏鳴きを鳴き交わします。

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烏跳びが終わると、先ず禰宜方の相撲童子達が立って、行司を先頭に土俵に一礼して横切り、立砂へ向かって進みます。

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立て砂の間で神前に礼。 禰宜方は反時計回り、祝方は時計回りに立て砂の周りを三周します。 すべて禰宜方が先で、同じ事が繰り返されます。

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これらの儀礼の練習が終わると、いよいよ相撲の取り組みです。

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二人の行司が交替で捌き、先ずは禰宜方、祝方双方のそれぞれに並んだ順、=概ね体格年齢順?に対戦。
その後は三人抜きの勝ち抜き戦となります。

此の過程で二つの組の実力が平準化するように組み替えが行われます。


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内取式は本番と全く同じ次第、会場で行われますが、見物人は少ないし且つリラックスしています。
明日は正面細殿に斉王代が出御されて観戦されて、マスコミなども詰めかけ、緊張感も増して行事が一層華麗になります。

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土俵の整備は取り組み何番か毎に丁寧に行われます。 これら全ては賀茂の方々のご奉仕によっています。 
今宵の内取式はこのようにして全体の式次第のリハーサルが行われました。

  当ブログ内の 烏相撲  です。

≪    非常持ち出し・・・・

重陽の節句10:烏相撲・烏跳び    ≫

 


2010年9月10日 (金)

非常持ち出し・・・・

”変な奴”が大分続きました。  だんだんそれほど変でもない奴に替わってきて、そろそろ次に移ろうと思います。

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57番 「セコ」 「実用?」  ナショナルラジカメ オートワインダーC-R3  
 B 3410793
110フイルム使用。 ストロボ付き自動巻き上げカメラ+AMラジオ

昭和58年12月15日 松坂屋で8500円  と云うメモがありました。 結構高価だと思いますが、その頃は未だ此のカメラ?ラジオ?も準現役だったのでしょう。  お遊び半分変に真面目な実用半分で中古カメラ市で手に入れたのだったと思います。 実用半分というのは非常持ち出し袋に入れておくためですが、今此の記事を書くために引っぱり出して電池を入れてラジオをつけても混信と雑音が多くて殆ど実用になりません。 最初は110フイルムも袋に入れて置いたのですが、もちろん期限切れで、切れても入ってれば未だ増しですが、それもなくなっています。 袋に入った電池が新しいものに替えてあるのだけが唯一の救いです。
カメラとしてはストロボが付いている以外全く何も操作するところのない、玩具的110カメラそのもの、それにしてはデカイ図体をしています。 これはC-R3という機種名ですが、確か1と2があっての3だったと思いますので、最新鋭機?です。

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次は余り”変”でもない奴です。

 134番  「新」 「コレクション」  ミノルタP’s (ピーズ) グリーン
94127537  レンズ名 無し  f=24mm/4.5のはず。 ボデイ色は他に赤、ブルー、ゴールド
35mmフイルム使用のパノラマサイズ(36*13mm)専用カメラ。
電池 3VリチユウムCR123A*1  デート用 〃R2025*1

カメラとしては軽量コンパクト機の一種、大きさ114.5*61.5*34mm、重さ170gは当時世界一のコンパクトさだった筈です。 パノラマサイズというのは一時の流行でしたが、35mmカメラの画面の上下をマスクして横に細長い画面を撮影し、専用の横長大サイズにDPするもので、その頃のカメラは普及機も一眼レフも皆アクセサリーとしてフイルムゲートに填めるマスクを付属させていた程でした。 プリントサイズは大体89*254mm叉は127*353mmの大きさだったと思います。
其の頃この風潮に悪のりしたのか、変な使命感でもあったのか、(確かミノルタが一番熱心だった)、とうとう専用のカメラまで作ってしまった、と云うのが此のカメラです。 
ものとしてはデート、セルフ、ストロボ付きの他は何も触るところのないコンパクトカメラ。 ただ専用ですから相応の広角レンズを装着していて、其の小さくて可愛い外観は一寸した魅力でした。
ですが、結局は一時のキワモノに終わり、私の処へ来たのは発売4年後の94年で、定価35000円の処10000円での保証書付き新品、そのせいで新品なのに始めからコレクション扱い。 と云うことで、当然今もバージンの侭です。 
でも、かわいいでしょ。 こいつ。

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次回は、この ”変なちいさいサイズ”の35mmカメラから、もっと真面目な一世を風靡した小さいサイズ、つまりハーフ版35mmカメラに話題を移そうと思います。
さりながら第1陣はその中でも”変な格好の奴”から始まります。

≪    京都植物園:10/09/06・日本の森2

重陽の節句10:内取り式    ≫

2010年9月 9日 (木)

京都植物園:10/09/06・日本の森2

     

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此は北門入ったところの池で、噴水の手前です。
縁にこうした演出がされるようになりましたので、セセリ蝶の類がいっぱい群がっていました。


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こちらは日本の森の通称琵琶湖の畔。
この前からアップでは何度か登場しているサワギキョウですが、やっとこさ全体でも見られるようになりました。
背も高くなって色鮮やか、何よりも虫が集まってきます。


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熊蜂とセセリ蝶が主力で群がっています。  熊蜂は迫力はありますが、雀蜂のような危険性は無いので、被写体としては歓迎です。

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薄暗い薄の株の下にナンバンギセルが顔を出していました。
薄の根の寄生植物で、今のところ二箇所の根っこで見ることが出来ます。

ナンバンギセル 南蛮煙管 とはマドロスパイプのことで、二三年前から居るようですが、今年が一番出来が良いみたいで、賑やかでした。
写真が原寸大くらいの大きさです。


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地上に出て居るのは花と其の柄で本体は地中にあり、葉は無くてその機能は寄生する薄に頼って居ると云うことです。

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この猛暑ですが、やっと秋の花が姿を現しました。

おなじみの女郎花。 オミナエシ。


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そしてオトコエシも。

ただ背が伸びるばかりで花はさっぱりのような雰囲気です。


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もう一つ秋らしいもの。

シュウカイドウ、秋海棠。 但しこちらも少し姿を現し始めた程度で、これからです。


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でもこの赤、心が和む赤ですね。

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そしてスズムシバナが咲き始めました。 これは白。

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写真より少し大きい程度の綺麗な花ですが、一日花で朝咲いて夕落ちてしまうようです。
近畿地方より北には居ないとか。

≪    京都植物園:10/09/06・日本の森1

非常持ち出し・・・・    ≫

2010年9月 8日 (水)

京都植物園:10/09/06・日本の森1

兎に角暑いです。無茶苦茶です。 この間からの予定は皆すっぽかしました。 梅津六斎、久世六斎、松尾の八朔祭の内嵯峨野六斎。 六斎だけでもこれだけ。 本来松尾大社のお祭りはギャル神輿の船渡御なんかを含めて 終日お祭り行事があって、その気になったら半月分はブログが作れる。 少なくとも未だ未見のお相撲関係だけでもと、アイデアはあっても行動が伴いません。 で、何時もの手で近場の植物園、私のフイールドである日本の森へ、と志したわけですが、こっちも暑い、暑いだけで植物は皆ダウン、虫達だけが元気なようでした。    

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綺麗な季節の野の花を並べる・・・此が此のページの使命?ですが、今回はなんとなくの情景を並べるのみ。 これはカラコギカエデのプロペラ。 少しそれらしくなってきました。

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赤トンボ。 あきあかね? 確かめるのがめんどくさいので・・・

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ショウロウクサギ クマツヅラ科
大木になる木だそうです。

今回現場で正体が知れたのはこれくらいです。 こちらの熱意が薄れている嫌いはありますが、以前に比べて解説板の設置状態が悪くなってる見たいです。


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今回一番良く目についたのがこれ、 多分ノシラン(熨斗蘭)でしょう。

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岩の上にひっそりと居ました。 そんな状態ですから説明板は無し。
雰囲気から言って蘭の仲間でしょうね。


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こちらは、へたばって腰掛けた岩の表情でした。

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アザミの類?、
とても整っていて栽培種みたい。


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久しぶりに見かけました。 カナヘビ君。 以前は家の庭でもよく見ましたが、蜥蜴のぬるぬるした感触が無く、乾いてスマート。 何処か日本の野生、と云った雰囲気が気に入ってます。

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植物の種類とかでなく、日の当たり具合の写真です。


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これも前の写真と同じ趣旨の写真です。

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帰り道、一番暗い湿った森の中です。 此処も乾燥していて茸らしきものはこれだけでした。

≪    写真機史~大層な大論文:NEX&α55

京都植物園:10/09/06・日本の森2    ≫

2010年9月 7日 (火)

写真機史~大層な大論文:NEX&α55

延々と述べた昨日の大論文を要約しましょう。

1: カメラは作画的芸術的な際限のない要求と、現実の確実な映像的固定や速報性(簡便性も含む)と言う、報道的な要求の両面を満たすべき宿命をもつ。
2: 其の映像を固定するのに、目で確かめる為の手段としては、従来はピントグラスを主として用いてきた。  デシタルカメラの場合にそれに替わりうるものがあるか?。

ピントと構図を合わせるだけなら、純粋なメカ的手段があり、其の方がコンパクトかつ機能的にカメラを纏められる、と云うことは、ライカ系のカメラで立証されております。
しかし写真芸術的な観点、作画という観点からは感光材料と同じサイズのピントグラスで決めるのがベストなのでしょう。
デジの場合、感材であるCCD等が受ける信号を別に流して、目にくっつけて見るファインダー的に使うことも、背面等の液晶に撮影画面よりも大きく映し出すことも自由です。
問題は液晶画面はピントグラスに替わりうるか?~作画的な要求に対して~つまりレンズの一般的な性能だけでなく光学的な微妙な個性等(いわゆる味)までも、おなじように認識可能であるのか?
此の議論に関しては私は結論をもちません、経験不足です。
ですが、少なくとも一般的な機能に関しては、ピントグラスの果たしてきた機能を代換え出来ます。 それもカメラ設計のレイアウト的な制約無しに。
こうした結果、いわゆるミラーレス一眼が成立しました。 
このネーミングの分裂症的不適当さは別として、写し取る物を大きく、且つ絞りの深さやなんかのレンズの特性を確かめながら撮影できると言うことに関しては、ローライ並と言っていいでしょうし、更に明るいところでも見やすく進歩してきた関係上、目は前を見たままでその場の全体の雰囲気を感じ取りつつ必要な部分を切り取るという、今までには出来なかった新しい創造的手法も使えます。
ただ直視ファインダー的な使い方、余分なものが目に入らず構図に集中でき、カメラの保持も確実であるような形にはなりません。 しかし此の点に関してもワイア一本でファインダー状アクセサリにデータを送って直視できるようにするのは簡単なことで、そう言う対応をしている機種もあります。
現在此の流れはオリンパスが首唱したフォーサーズ乃至マイクロフォーサーズ規格に従ったオリンパスペンとパナソニックのルミックスがあり、相当な人気を得ているようですが、画面サイズが小さいという問題があります。
そこへ同じアイデアのCサイズ機としてソニーNEXシリーズが割り込んだ形ですが、今のところ直視ファインダー的アクセサリーはありません。 

(カタログ表紙より借用)_dsc5485

さりながらレンズ交換が出来る高性能機、と云う意味でミラーレス一眼というジャンルがあるとすれば、センサーが解像度だけではなく、一定以上の大きさ、この場合は今やデジ一眼の標準サイズであるCサイズを用いていることが、次世代カメラの(主流になりうる)一形式としての”ミラーレス一眼”の必須要件になるのではないでしょうか。

此の形式は何しろコンパクトであるという点で絶対的な強みを持ちますが、しかしやはりガッチリと構えてきちんとした構図を定めて映像を切り取りたい、という要望は残ると思います。
先に述べたように目の前に広がる森羅万象の中から或る一定の対称を切りだす、と云う作業に両目で全体を見渡しながら液晶画面に映るものを切り取る、と云う今まで出来なかった、且つ極めて本質的な創作方法を採ることが可能であるという半面、在来型一眼レフのような形式が持つ確実さ等が求められた場合、どうなのかなと云ったところが出てきます。 在来型一眼レフの形態そのものはやはりツールとしての一つの完成型ですし、単に保守的な顧客のからの支持もあるでしょう。
というわけで、NEXシリーズに続いてα55&33という新機種が出てきました。 

(写真のレンズはツアイスGTゾナーで、付属のものではありません。)

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実は、「ありゃまたかいな、定期的な新製品の発表かいな」 と思っていたのですが、サンプル機を手にとって驚きました。
ソニー乃至ミノルタαが意識してやったのかどうかは別にして、此の二形式の新型機は相まって完全にフイルムとおさらばした新時代のカメラの祖型になりうるもの~~と感じたからです。
α55&33は相当にコンパクトではありますが、外形的には全く在来型の一眼レフで、マウントはαそのもの、当然在来の多くのシステムアクセサリなども装着できるはずです。 
そしてレンズの真上後方にある接眼部から覗いてピントや構図を定めます。 つまり一眼レフそのものです。

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が、実は此のカメラ、ミラーレス一眼ではなくて、ピントグラスレス一眼だった!

ミラーはあります。(後述) しかし上方へ反射した映像を捉えているのはピントグラスではなくて、AFセンサー。 これは350以後の”真の”ライブビユー機構を組み込んだα一眼レフと同じ発想ですが、アイピースから覗いて見ている像は素子、カタログに依れば0.46型 1.44mドット相当の画素数のものです。 其の結果視野率100%のファインダーに水準器やグリッドライン、或いは自在な拡大像を見ることなど電子的にでなければやり難いものを多数組み込んでいる優れものとなり、ピントグラス時代に理想とされながら最高級機でも100%は実現しなかった夢の機能を持つファインダー、と言ってもいいものになっています。
アイピースとの間に光路は無く、従って在来のペンタプリズムよりコンパクトな感じですが、そんなことよりも此のカメラ、ミラーは固定されていて動きません。
これは今に始まったものではなく、かつてキャノンがペリクルミラーと称して実用化したこともある半透過ミラーですが、撮影映像は真っ直ぐ正面の撮像用CMOSセンサーへ向かい、一部が上方へ反射してTTL位相差検出式のAFセンサーに至ります。
一眼レフの宿命であるミラーの上下運動が無くなり、おまけにフイルムを巻き上げる動作もない。 動くのはシャッターだけなので、つまりは全くのサイレント且つ無振動。
その結果何が出て来たのか、というと、約500gの非常に小型軽量ボデイと、10駒/秒で最大39駒という、プロ用一桁機にもない高性能連写です。
この数字はカタログ上でのことですが、実機を触ってみると、それは全く在来一眼レフ乃至全てのカメラとは異なった印象として出てきました。 
外形は在来の一眼と同じですからホールド性は完璧な上、軽量コンパクトさと相まって撮影動作を始めても連続するシャッター音以外は何の手応えも動作感も無し。 見ようによっては高級感0、玩具的とも言えます。
でも今までにない感覚で、写真を撮る、と云うことの代償に払ってきた従来のものは一体何だったのか。 正直そう感じもし、これこそ真のツール、目と手の延長の道具そのものだ、という感想にもなりました。
もちろん現今のα一眼と同じように”真の”ライブビユー機能も持っているうえに、更にミラーの振動が無くなった関係上、ファインダーを見ずにバックの液晶モニター(此が又見よい)で上下左右にカメラを振り回してスナップすることなども、今まで考えられなかった態勢や視点で自在に出来ます。 (因みにNEXシリ-ズでも頑なに変えなかった、縦位置ライブビユーが不可能という不思議なメカも今回改善しています。)

結論として此の新規発売の二つの形式のαカメラ、これこそデジタル時代に適応した新しいカメラのスタイルを指し示している・・・のでは無かろうか。
正直そう感じた次第で、これが此の文章を書きだした動機です。
何のことはない最後は我田引水のα提灯記事的になり、カメらコレくしょんの記事としても異質ではありましたが、歴史を踏まえ、未来に関する展望を述べた!?大論文を終わります。

追記 1:
オスカー・バルナックたらんとする動きはリコーにもあります。 GXRと言うシステムです。
其の志は壮としますし、製品として実現した実行力には大いに敬意を表します。 今の日本の製造業に欠けつつある美点ですから。
ただ、具体的な方法論となると、全く私には評価、同意出来ないところがある辺りが残念です。
追記 2:
此の2機種を含め、今回の話題に絡むカメラは皆動画撮影機能を持っています。 それもオマケ的にではなく、相当な性能を持ってるようです。
ただ私は三次元映像である写真と四次元(時の経過を含む)映像である動画は本質的に違うものと思っています。 これは単なる観念ではなく、若いときに多少8mm映画も囓った関係からの体験です。 従って動画関係についてはすべてこの”評論”の外にあります。
追記3:
其のオマケ的機能ですが、

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連写機能を生かしたパノラマです。
これは結局デジカメのバッファや演算能力に余裕が出来てきた結果、或いは動画を併設できる余裕の副産物と云うことでしょう。 シャッターボタンを押したまま左から右へ振ると云う、お遊び以上のものではありませんが、一つの象徴的な仕組みですね。

≪    写真機史~大層な大論文:ピントグラス

京都植物園:10/09/06・日本の森1    ≫

注: メカに付いて認識不足の箇所(ペンタ部)があり、7日夜時点で表現を多少改めたところがあります。      (このカメラにプラナー1.4/85mmつけてウツシテみたい!)

2010年9月 6日 (月)

写真機史~大層な大論文:ピントグラス

物凄いタイトルです。 それだけの値打ちがある歴史的大論文です。
(とうとうクルタな) (ショウミや!) 

このカメらコレくしょんなる頁、手持ちのガラクタをネタにしてゴチャゴチャとカメラ数寄、メカ好きの駄文を並べているものですが、なにがしカメラ発達史的な纏まり方もしています。
一眼レフから初めて35mmレンズ交換カメラ、二眼レフ、いまは”変な奴”というサブテーマですが、未だ此の後も続けるつもりで、*ハーフ判とミニカメラ、*レンズシャターシステム35mm&一眼レフ、*限定生産機と大衆機、*OldManと4カテゴリーくらい続ける気で居ます。
(カメラは保ってもオッサン保たへんのとちゃう?)・・・・(ヤメテ!)
処でこの”歴史”はすべてフイルム機の話ですが、いまやデジタルという大命題が此処にあります。 
私自身は08年10月にα900にシステムチェンジして~本当の話はお金が足らないのでα9システムを手放して~脱フイルム宣言をしたのですが、わたしの世代ではたぶん相当な異端だろうと思います。
まぁいわば背水の陣でもあるのですが、実は半世紀前にライカのB&Wで写真を始めて暗室作業を経験し、現役時代には本業に真面目に励んでいて、実用上はネガスイルムを使用。 リバーサルフイルムというものをちゃんと理解し身につけていない、と云うハンデイを背負っており、1/3絞りのセッティングで勝負、シャターした瞬間に全てが決まる、と云う世界に馴染みが薄いのです。
簡単に云えば作品は暗室で作るもの~つまり後処理が大事~今はそれが明るいところで出来る~と云った発想の方が性にあって居る、と云うような処もあるのです。
と、言うことが背景にありますが、フイルムか、デジタルか、と云うような議論を今更するのが、この大論文?!の趣旨ではありません。 もっと大ききな、時代を画す!?ようなお話をしたいと思っています。~~(最終的にはあるカメラの提灯持ちに終わるかも知れへんけども)

そもそも写真機というものは暗箱を通ってくるレンズの光を集約して画像として写し取るもの。
最初はそこに磨りガラスを置いて映像を見ピントを合わせ、感光材料に置き換えてシャッターしました。 ダゲレオタイプの湿板から始まって乾板カメラの時代です。 
其の後連続して写真を撮るためにロールフイルムというものが出来、フレームとピントはメカニカルな手段で押さえるようになりました。  その代表がライカとローライフレックス。
これはつまり光学ファインダーで構図を、レンジファインダーでピントを、と云う全くのメカに頼り、その代わりに軽便性や高速連写を実現する方向(ライカ)と、それらはやはりピントグラスに写す像で決めて本来の写真の質を生かし、その為に幾つかの不便さは我慢する(ローライ)、という二つの流れです。
(下:ライカのデッドコピー機の一つ、ミノルタ35)

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ライカの軽快さ、利便性というものは圧倒的な魅力で写真の可能性を大きく広げました。 一方ロールフイルムを使いながらピントグラスでピントと構図を見るために撮影レンズと同じものをもう一つ載せているローライ、つまり二眼レフは、大きさ重さは兎も角、撮影レンズとビユーレンズが別なために起こるパララックス(視差)の問題が宿命的に有り、またレンズ交換が大変、と云った問題がありました。
(下:ローライタイプの二眼レフミノルタオートコード)

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そこで中をとったような形の一眼レフが出てくるのですが、こちらはレンズと感材の間にミラーを置き、45度上方にピントグラスを置いて、撮影するときにはミラーを跳ね上げる構造です。 画像がより直接的に観察できるのはいいのですが、シャターボタンを押してから実際にシャターが動くまでの間にミラーが上下するなどの複雑な動作が必要なせいで、時間的パララックスが生じますし、またライカ版のような正方形でない画面の場合は縦位置では事実上使えないと言ったような欠点が出てきます。
それらの問題を全て解決したのは、ピントグラスの上に光路を曲げて後方へ送る五角形のプリズム~ペンタプリズムを載せ、且つミラーの上下とシャッターの動きを連動化したクイックリターン機構を搭載したアサヒペンタックスで、丁度戦後復興期の日本の製造業の熟成と相まって、自今カメラのスタンダードになり、且つ日本のカメラが世界を席巻する元にもなったと言えるでしょう。
(此処で一寸した自慢。 私は此の形式の優位性をいち早く認識したので、発売直後に入手して自今主力機として愛用してきました)

Pentax

 (上:世界初の完成型35mm一眼レフ アサヒペンタックス&ペンタックスK)

さてハードの方は基本的に完成して次の飛躍はオートフォーカスの実現でしたが、何れにしても”作画”と云う観点からは、感光材料に転写されるレンズからの光の状態を出来る限りそのままに目に捉えるためにピントグラスと云うものに頼るという、写真機が誕生して以来の手段~それだけ本質的な手段を用いています。
そして感光材料としてのフイルム以外に電子的な画像の留め方、CCDとかCMOSとか、そう言ったような物~~
(白状しますが、私は感覚的に捉えどころのないエレキ関係がどうしても馴染めなくて、フイルムの替わりに置かれたそれがどう言ったものなのか、なんかアルファベットの記号が並んでるだけ、と云う以上には全く理解出来ていない、ということです)~~が現れると、フイルムをそれを置き換えた一眼レフが現れ、そして主流になりました。
此処で指摘しておきたいのは成果品の残し方で、片方が化け学的手段で一枚の”もの”の形にして留めるのに対して、もう一方はエレキ的方法で”データ”として集積する、と云う違いにあります。


此処から本論に入ります。  (~どくしゃはここで皆にげはる)

現今の一眼レフはカメラとして完成形です。 これ以上の飛躍はありそうにありません。 構築された膨大なシステムなどの遺産に縛られていると言うことも含めて、フイルムというものを前提として進歩してきた過去を背負い込んで動けなくなっても居ます。 
もうフイルム室も巻き取りスプールもゲートも要らないのに、外形に関してはまったく変わらない辺りもそのせいでしょう。
私は少し前から声を大にして言っているのですが、  (ち~ともキコエてへんでぇ)
それは 
  「今こそ、オスカー・バルナック出でよ。 カメラの歴史に設計者としての名を残せ!」 
 (イウことがデカイやろ?)
と云うことです。
つまり今やカメラ設計というものの大転換が必要なとき、そして技術的ベースとしてもその機が熟してきたとき、過去のしがらみを離れて全く新しい構想で写真機というものを再構築するべき時、つまり新しい時代のライカが生み出されるべき時だ、と云うことです。
映像を視覚的の固定する方法として、ピントグラスに写る映像即ち固定化されるべき映像を直接に目で確かめる。 これが一眼レフのポイントですが、そうしたデリケートな画像或いは映像美と云ったものとは別に、もっと一瞬を切り取って固定したい、と云う要求もあり、それがライカのような純粋のメカに頼る機材の存在理由でもあるのでしょう。
ところでこのピントグラスなるもの。 
そのもの自体も進歩し研究され尽くして、レンズのもつ極めてデリケートな性能、高性能をもリアルに映し出される、従って撮影映像を確定するのにこれ以上のものはあり得ない。・・・・多分写真をきちんと極めた方は、こう言われるのだろうと思います。 
尤も私のように生来の乱視ではその辺が実感できないところがあって、早い話がα900にはAF微調整機能があり、具体的に使用するレンズ箇々のピント位置を微調整して登録できますが、私の目では全くついていけません。
とは言っても実際に撮影するレンズの映像を直接見る、と云うことにはライカのレンジファインダーとは全く違った優位性があることは間違いありません。
ではピントグラス以外にそういった手段は無いのか? 
今までは無かったと思います。 
処がデジタルの場合、感光材料自体が電子的なものですから、写るものと同じものを見る手段は幾らでもあります。
物凄く具体的、或いは愚劣な話、コンパクトデジカメ、いや携帯電話さえも背面の液晶画面で其の要求を処理しています。
「何で一眼レフは後ろの液晶でピント合わせやなんかが出来ないの?」  
これがデジタル一眼レフを最初に手にしたときの多くの方の反応だったと思います。 「今はそれ出来るよ」 と云う答が二大メーカー始め各社から帰ってきましょうが、実際にはフイルム一眼のメカを引きずって居る関係上、はっきり言えば間に合わせの実用性の低い機構である、と云うのがα系を除いて全てに言えることです。
この辺りで少し旗幟を鮮明にしておきましょう。 
此の大論文は非常に高尚な、カメラの歴史と未来に渡る大変革について論じているのですが、この先話を進めると急に不偏不党性を失います。 簡単に云えばミノルタαと其の後継であるソニーαの提灯持ち的な面が出てきます。
具体的に言って、最近流行の”いわゆる”ミラーレス一眼の一種であるαEマウントのNEX5&3、そしてこの10日に発売になる在来のαマウント一眼レフα55&33という2タイプの新しいカメラによるソニーα(=ミノルタの伝統と技術を下敷きにした)シリーズの構成が意味するもの、の、考察、と云う形になっていきます。
 (ナンヤ、きゅうにハナシのレベルがおちたな)  (ここでダレも読まなくなる)

は、ともかく、余り長くなるのでこの辺で明日に繋ぎます。
 (まだノルマ氏の呪縛イキテるんかいな) 

≪    本日休業:10/09/05

写真機史~大層な大論文:NEX&α55    ≫

2010年9月 5日 (日)

本日休業:10/09/05

B&W化のお遊びは兎も角、構図上視覚が向こうへ突き抜けるのを防ぐために山を張り付ける。
と云うことをやってみました。
二種類ありますが、後の方がホンマらしい??
何れにしても”騙し果せる”域には遥かに遠いので、時間を掛けてインチキの実践に励んでみましょう。

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今までのとは別に、もう一枚雲の違うのを拵えました。  
雲と空の雰囲気はこんなもんですかいな。
山の距離感もこの位でええんかな、って処ですが、鉾の左側がもう少し詰まっている方が良いのかも?=もう一軒二階屋を付け加えるか、または今ある家の巾を少し拡げるか?

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B&Wにすると、嘘臭さが増えても減らない・・・・みたいですね。
これ、カラーよりもピントを甘くして見たりはしているのですが、やはり古いレンズ~今の技術水準には及ばないけれど、一生懸命作ってあるレンズ~のような感じにして、昔に紛れ込むことは出来てません。

≪    本日休業:10/09/04

写真機史~大層な大論文:ピントグラス    ≫

2010年9月 4日 (土)

本日休業:10/09/04

08/10の”本日休業”の続きです。 
実は此と明日の頁はその頃に継続して作ってありました。 営業?出来るようになったので二日分お蔵になっていて、今回またお休みを頂くのに流用しようと言うわけですが、やはり連続性に欠けて面白くありません。 
第一これだけ間隔が開いたのなら、もう一寸増しなトレーニング乃至お遊びの結果をお見せしなければいけない、とは思うのですが、そもそもが ”本日はサボルぞ“ 頁ですからご勘弁願います。
少し涼しくなったら 「これでどうですか?」 と云うのを作っておこうとは思っています。

*この前の頁そのままで、ブラック&ホワイト化。 
一番安直、一番ソフト頼みで一番趣味の悪いやり口です。 ソフトを使うのでは無く、”使われている” のの典型です。 

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尤も”らしい”擬古写真でなく、専門の史家が見て頭をひねり、「はて、大正の終わりか、昭和の初めか」と、虫眼鏡を出して (虫眼鏡で見られてぼろが出ないほど 切り張りをするのは大変ですよ) 鑑定するくらいのインチキができるといいんですが (やる自信はあります) もの凄い手間と根気が要ります。 他の動機があってネジでも巻かれない限りお遊びではヨ~しまへん。

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話は変わります。
一枚目の写真では二軒の二階屋から奥、通りの突き当たり部分迄家並みを消してしまいました~と云うことは”この時代”の新町通の町屋は殆ど平屋であった。ということになりましょう~。 
そして絵柄としては道の奥が向こう側へ突き抜けてしまって、締まりがありません。 
二つ目の方は手抜きした結果それはないのですが、鉾の右後ろには電柱が並んでいる町並みが残ってます。
一枚目を作ったときに感じた問題は、此の素抜けの部分は本来ならどうなのか、と云うことです。 
一番正しいのは二階建ての町屋の町並みを、鉾の左右にパースペクチブに従って貼ることでしょう。  それが面倒くさいので、今回のように”向こう側は平屋ばかりだ”とした場合、もう一つ向こうの突き当たりに山を張って、視覚が素抜けにならないようにしたらどうなのか。・・・ただし、絵柄はそれで良いとして、そんなことがありうるか。
幾ら平屋の町並みでも北山が見えるとは思えませんが・・・、

・・・・なのですが、下の写真が出てきました。
新町通りの真ん中に立って北を見、300mmのレンズで写したら・・・山が写ってる。
これ、ほんと?? あり得るの? 実は理解できません。 いっぺん現場へ行って確かめねばいけません。

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このことの真偽は別として、絵柄の都合上正面奥に山を張ってみて、此のお遊びの区切りをつけるか、とも思っています。・・・・・明日に続く。

≪        大原陵:10/08/28

本日休業:10/09/05    ≫

2010年9月 3日 (金)

大原陵:10/08/28

さて勝林院で息継ぎをして人心地を取り戻し、本来の目的地である三千院に戻ります。
時間は思ったより経っていて、もう正午過ぎ。 処が意外なところが開いていて、それや此やでまた予定が狂い・・・

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もう一軒、この辺りの子院として此の実光院があります。 大原へ:宝泉院、実光院

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そこはパスして律川の橋へ。 そこで意外なことが起きました。 横手から外人観光客が数人現れたのですが、見るとそこの大原陵、後鳥羽天皇と順徳天皇の大原稜入口の柵の扉が今日は開いている!  
いつもは施錠し閉じられていて、中まで入ってお参りできたことが無く、前を通り過ぎるだけだったところが、です。
当然喜んでお参りに入りました。  
参道は短いですが鍵の手に曲がって整備が良く、此の写真のように如何にも大原の里らしい光景が望めます。

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素晴らしく枝振りの良い松があって、そこを直角に曲がります。

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大原陵の正面です。
何時も公開されていないだけに静寂、清浄。
神明造りの鳥居が高い木立と相まって荘厳な佇まいを示しています。

後鳥羽帝は平家が安徳天皇を伴って都落ちをした後、後白川法皇によって四歳で即位し、その後鎌倉幕府の初期の頃、朝廷の権威を保つのに腐心され、後白川法皇亡き後は自ら三代に渡って上皇として君臨されて、承久3年には幕府の執権北条義時追討の院宣を出されましたが、このクーデターは失敗に終わって隠岐の島に流され、協力した子の順徳上皇も佐渡に流されました。 
承久の変です。


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後鳥羽院は歌人としても百人一首の  
   人も惜し人も恨めしあじきなく世を思うゆえに物思う身は
で有名な方ですが、そのまま配所で崩御されました。
日本の歴史上幾人かおいでの、京の都に帰ることを望みながら空しくなられた方のお一人です。 今は此処大原の静寂の中に鎮まっておいでです。

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参道の砂利は掃き清められていて綺麗でした。 蝶が一匹、ひらひらと飛んでいました。

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貴重な体験をして外にでました。 これは丁度陵墓入り口正面の実光院の塀。 向こう側には律川からの瀧が落ちる庭があるはずです。

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律川の橋を渡って三千院側へ。 流れの水は写真では判らないほどに薄く流れたいます。

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橋のところから見た三千院の石垣です。

さて此処まで戻ったからには当然所期の目的である三千院の放生会に向かう・・・
筈ですが、何しろ疲れました。
もう午はとうに過ぎていて、本来の計画では遅い食事をとるべく大原を離れている頃です。
だいたい京都の人間が観光地でメシなど食うもんやない。
(やらずブッタクリいうんか?)
(そこまではイワンけど)
兎に角飯にして休息しなければ。 疲れがとれたら、午後は三千院、と云うより無い、と、覚悟を決めて、(オオゲサ!)
そんなら一層のこと一番観光客が入りそうなところで一番それ向きのもの食ってみるべし、と、妙なところで探求心を起こしました。


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三千院門前、正真正銘ま正面のお店に入りました。 生湯葉定食なるものが表に太書されていて900円ほど。 蕎麦かうどんにご飯、鰻ザクにお土産用に売っている芥子椎茸やお漬け物と云った小鉢が三つばかり添えられています。 それにデザートの八つ橋が一個。 袋にIz 八つ橋とあったので、お店の経営主体が知れました。 生湯葉そのものは美味しいし、京都以外の人にはもう一つ日常的ではない食物でしょうから、良いアイデアとは思いますが、麺類専門店でのタネ物としてはまあ見かけない~と云うことは些かパンチに欠けるところがある、という素直な結果が全て、と云う辺りの感想となりました。

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食事も終え、満腹満悦ではないにしても、栄養補給は出来ました。 昼食休憩も十分とった(筈)なので、 さて、では三千院へ、放生会へ、そして明日のブログはその情景で・・・・の筈が、どうしても意気上がりません。 
結局は当初の目的は放棄、一種の食い逃げ状態で山を下りました。 途中またネコちゃんにあって、ポートレイトが売り物になっているのを知り、昭和一桁乃至大正人の一隊と出会って、「私は戦争には行きませんでしたが」と言ったら、むこうは皆経験者。 なんか自然に 「ご苦労様です」と言葉に出したら、皆さん感激して下さいました。 その時は多分直立不動の姿勢をとっていたのだろうと思います。 
私は先に下に向かったのですが、途中でその一隊に追い越されました。 やはり鍛え方が違いますな。
「 以上、 終わり! 」

≪        大原勝林院:10/08/28

本日休業:10/09/04    ≫

2010年9月 2日 (木)

大原勝林院:10/08/28

でッ、出たッ !!    

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間違わないで下さい。 大原は勝林院の池で転生を繰り返している、天然記念物の一族に過ぎません。
其の名は モリアオガエル。(森青蛙?)

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勝林院は静かです。何時も。 三千院前の道の突き当たりで、遠くからも此の御本堂真正面が見えていますから、観光客が見落とすことはありません。 でも見ていると立ち止まって眺めるのが半分くらい、また半分くらいが駒札を読み、そして寶泉院へ行ってしまいます。 大抵はガイドブック持参なので、血天井の方がインパクトがあるのでしょう。

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誰も居ない受付のお鉢に300円入れて入ります。 右手にある鐘楼の鉦は藤原時代の物で重文。 

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右手奥の山側を最近整備されています。 余りやり過ぎると善し悪しになるのですが、今のところ丁度くらい? 歩きやすくはなりました。 左寄り二本の木の間に見える宝篋印塔(ホウキョウイントウ)は鎌倉時代のもので重要文化財。 大きくてプロポーションが良く、此の形式の石塔の代表的なものとして覚えて置いても損はないでしょう。   

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其の斜面の下。 本堂前庭の平場のレベルに小さい池があって、上に紅葉が二本差し掛かっています。
此処がモリアオガエルの王国です。
尤も恐ろしい天敵も寄っては来ますが、
(オマエのことかいな)
(チャウ! おれはせいぎのみかたや)

大原へ:極楽浄土

岩倉実相院

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上の段の遊歩道脇、新たに植えられた琵琶の若木の葉の上に此が居ました。 見つけたのは若いお嬢さんの三人連れ。 此処では珍しいお客ですから、お出迎えをしているのかも。

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アップです。 実物はせいぜい親指の爪くらいの大きさで、今まで見たのはこの倍はあります。  よく見るとシッポの残りらしきものが付いているので、やっと大人になった処なんでしょう。 でも池からは水平に十数M、垂直に五Mは離れた場所でした。

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それで池を覗きました。 居る居る。 ウジャウジャと、と言ってもいい数のオタマジャクシ。 モリアオガエル王国は当分安泰かも。

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やっとこさお堂の方へ向かいます。 こちらは山中とは思えないゆったりした平場の中央に御本堂一つ聳えているだけのシンプルさ。  今の建物は比較的新しく、享保二十一年(1736)再建ですが、此の時代には珍しく端正優美なプロポーションと良いデテールを持っている総欅作りの御本堂です。

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此処は私にとっての安息場ですから、のびのび勝手にさせていただいています。
正面キザワシのとっかかりに座って息を継ぎ、靴を脱いで辺りを見回してていたらこれが目に入りました。
回廊の欄干の擬宝珠です。

”・・・炎上失諸衆唯謀再建・・・成テ慈明和四年・・・” 此のお堂の再建の銘文でした。

このお寺は藤原道長の頃の創建で、法然上人の大原問答や、皇室の勅願法要御懺法構、そして仏教音楽である声明の中心道場として栄えましたが、江戸初期に春日の局が崇源院(家光の生母、二代将軍秀忠の室、その菩提寺崇源院も血天井で有名)の為に作ったお堂が焼け、それを再建した時の由緒が書かれているようです。


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やっと上に上がって参拝し、且つ休息です。  上がろうとしてふと上を見ると、階段の一番下からも御本尊のお顔が見えました。 此の阿弥陀如来さま、道からもお顔が拝めますが、こういった開放的なところがこちらの真骨頂でしょう。
尤もこっちが勝手にそう決め込んでいるだけで、阿弥陀様にしてみれば 「このやろう、ええかげんにせい」と、思ってられるかも知れませんが。

≪    大原寶泉院:10/08/28

大原陵:10/08/28    ≫

2010年9月 1日 (水)

大原寶泉院:10/08/28

     

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寶泉院に入ります。
こちらはお抹茶つきで800円。

入って庫裏の玄関に向かいます。 傍らには良く整えられたこじんまりした泉水があり、此はその玄関脇の瀧の辺りです。

こちらは例の伏見城血天井のお寺の一つですが、それよりも額縁風景のお寺として、とみに有名です。 
つまりお庭と外の景色を室内から眺めるのに、柱、鴨居、敷居と云った四角いフレームに填め込んだ形で鑑賞する。
額縁効果というのは美学的にも認められている方法の一つですが、其の最も典型的な例として価値があります。

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入ると小さい中庭などがある庫裏から方丈へ導かれます。 一間巾の畳縁が取り巻いていて其の天井板は伏見城の血染めの床板。 部屋は手前側に仏間があって、奥のサイドがメインルームになり、付書院と床に囲まれた一郭には脇息を置いた赤い座布団が敷かれています。
此の時間帯、お客は写真の程度。 私は額縁風景の模写をしに来たので、人が居ないことが絶対条件。 此の程度ならと思って油断していたのが大間違いで、此の後すぐに満員になりました。 向こうの廊下に立っているひと、この時に一寸お願いして退いて貰ったらそれで完璧だったのに。

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脇息付きの赤い座布団、つまりお寺の旦那や殿様が座る位置から先ず南側正面を見てみます。 此処の額縁風景の一つがこれ、樹齢数百年の五葉松。 もう一つは西側です。

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さいわい人が退きました。 私のために置かれたお茶碗のみ。  額縁効果というものの判りやすい見本です。

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全く同じものですが、一寸寄って松の姿が周辺まで写り込みました。 同じ額縁でも画は大分違った印象になりますね。

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実は本当の額縁庭園とはこちら、西側のことです。  そしてもう少し幅が広く、ことに左側がもう一スパン加わります。  その佇まいを真正面から見る。 もちろん前の夾雑物は無しに。  此が此処のお庭の神髄なのですが、残念ながら今回も無理でした。 
此のブログ上で私は結構あちこちのお庭に関して毒づいたりしています。 でも此処のお庭は些か違います。 構成要素に何の奇もなく銘木名石に頼っても居ません。 ただそれらの織りなすコンポジジョンだけで出来上がった素晴らしい風景です。 竹の林の隙間から見える向こうの山の風情なども加わって構成されているわけですが、其の隙間な るものの配置も只のものではありません。 木竹という生き物、成長し変化するもので作りながらです。

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というわけで、ちゃんとご紹介することが出来ませんでした。 
写真に関してこちらのお寺は拒否的ではないようにお聞きしてもいるので、本来ならもっと適当な時間帯などを選んでお願いでもするべきなのかも知れません。

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退出するときに見た、庫裏の脇の小庭です。 手水に海棠の花が・・・

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前はなかったと思いますが、綺麗な囲炉裏のあるお部屋が見えました。

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外へ出てフト気が付くと、門の真正面があの五葉松の側面になるのでした。
またこちらには最近出来た宝楽園というお庭が別にあり、広大なもので樹木や石組みなどにも想を凝らされたものです。 私は額縁を撮ろうとして疲れ果てたのと、足元もおぼつかないので今回は失礼しました。

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此の後勝林院へ向かいます。 おもての杉の根本に赤い前垂れのお地蔵?さんが。 この辺りも画になるように考慮されているのかな?

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これは寶泉院の方から見た勝林院の蔵で、微妙な光の照り返しが魅力的でした。

勝林院は魚山大原寺に二つある本堂の一つで、寶泉院は住職の坊と云うことですが、今勝林院には余り人は詰めて居られません。 通常入り口で300円置いてパンフレットを頂いて入れば良く、少なくとも私 (のような邪心のない者・・ウソとチャウ?) にとっては、ゆったりとしたご本堂でのびのびさせていただき、大原の自然と交流してリラックスできる極楽なのです。

≪    登り道:三千院へ10/08/28

大原勝林院:10/08/28    ≫

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