吉野太夫花供養列

4月15日の日曜日、
鷹峰常照寺にて恒例の吉野太夫追善花供養が行われました。
当日10時過ぎ、
源光庵を発した島原の太夫列は
200m程の道のりを
20分掛けて練り歩きます。
常照寺に入ると、未だ残る花の下、
終日吉野太夫供養の法事と芸事の1日が送られたのです。
鷹峰の光悦寺、源光庵、常照寺は観光寺院としてつとに有名な存在ですが、此の太夫道中は桜花の季節に行われることで知られています。
家の近くのバス停は、鷹が峰方面行きも通るのですが、ターミナル発田舎行きの此のバスが何と満員通過という有様。
知る人ぞ知る大イベントです。
何しろ此の鷹峰街道〜玄琢下への道は、バスが交換できないので一方通行という程度の幅ですから大変です。
其の群衆に交じって撮影してきたのですが、此処に大いなる疑問が生じました。
実はこの花供養の行事本体は、常照寺境内内で行われるものなので、吉野太夫に扮した島原の太夫を始め、色々な方の演芸、接待がある花見の催しでもあるのです。
但し前売り券4500円、当日券は5000円が必要ですが、島原の太夫がマンツーマンまでは行かなくても、終日つきあって下さるのですから、都踊りなどに比べても高いとは言えません。
勿論入れば押し合いへし合いして撮影などはなく、太夫とツーショットも可能でしょう。
・・・しょう、と言ったのは、云うまでもなく此の年金爺もギブアップして、公道編だけに絞ったからです。
それで帰って編集に掛かりました。
映像はなくても、”なかで”何が行われているのか、沢山あるブログの関係先を片っ端から開いてみました。
その結果、それらが持っている情報には、冒頭の写真脇に添えた文章の内容を越えるものはありませんでした。
安心?しました。
なか迄入って取材した方は皆無でした。
(みんな、びんぼうやなぁ)
(そやけど、ただのけちかもしれへんで)
(ないようがわからんのやな)
(費用対効果がつかめへんのやろ)
(がやがや)
要するに敷居が高いみたいです。
値段は高いとは思いません。
何せ人件費は高いものです。
で、以下”無料部分”の映像を並べますから、
これは「来年は前売り券を買おう」と云う方、どうかご参考になさって下さい。

常照寺門前です。
桜はやや盛りを過ぎましたが、まだまだ。
正面の門が吉野門、二代吉野太夫の寄進です。
時間的には9時代の後半です。
島原からの太夫ご一行は、近くのホテル然林坊のバスで源光庵へご到着。
全て用意は調っていて、
此処から常照寺へ向けて出発です。
太夫はお二人、
先に行く一人は多分振り袖太夫という、若い太夫さん。
後ろを進むのが、太夫さん。
それぞれ禿(かむろ)二人を先に立たせ、日傘を持つ男衆を従えます。
傘の”高”の文字は置屋輪違屋の印です。


振り袖太夫

島原の太夫は正五位の格式です。

緩い下り坂をゆっくりとした足取りで進みます。
素足に履いている下駄は、三本の歯がある高い下駄。
と言うよりも木のブロックに二本の刻み目を入れた、
と言った方が当たっているかも知れません。
衣装や髪飾りもですが、重量は凄いものでしょう。
そして其の足の運び方ですが、
独特です。
外八文字歩き、と言うらしいのですが、
足を振って大きく外側へ踏み出し、
交差させる形で歩きます。
(急遽訂正・
外でなく内八文字・でした)
歩く二人の太夫さん達の回りを、
紅白の綱をもった係員が囲んで移動します。
これは交差点を下ってくる振り袖太夫さん。
坂の下から低い視点で写しましたが、
足の運びがよく判ります。
同じく交差点の処を下がっていく太夫さん。
禿の背中には、
如月(きさらぎ)
と書いてありました。
察するところ、
この方は如月太夫。
重たい下駄を大きく振り回して降りてきました。
二三百米ほどとは云え、相当な重労働でしょう。
常照寺の参道曲がり角です。
桜並木を通って赤い吉野門を潜り、境内へと進みます。
此の催しの主人公、と言うのは当然供養される吉野太夫ですが、この方は寛永三名妓の一人と謳われた二代目で、本名は松田徳子さん。
西国浪人の子として生まれ、7歳で父と死別してしまいました。
この頃の西国浪人というのは関ヶ原の負け組のことですから、世が世であれば大身のお武家のお嬢さん、いや、お大名の姫君だったのかも知れません。
しかし14歳で太夫となり、常照寺の上人に帰依して赤門を寄進したのは23歳という事ですから、単に容姿だけではなく諸芸に優れ、心映えの優しい才媛だったのでしょう。
そして26歳の時、当時の町衆灰屋紹益に身請けされて、妻女となります。
灰屋というのは紺染めの灰を扱う、当時のケミカルコンツエルンで、裕福なだけでなく高い文化水準を持っていました。
ただ此の結婚は養父の紹由の許すところではなく、紹益は勘当されてしまいます。
処がある日、俄雨にあった紹由がたまたま雨宿りした家で、お徳という女性のもてなしを受けて感じ入り、本阿弥光悦に其の話をして「あのような女性が息子の嫁だったらなぁ」と嘆きます。
話を聞いた光悦が「それが紹益さんの奥さんですよ」と、云ったので、吃驚して勘当を解いた、と言う話が伝わっているほどです。
ただ佳人薄命と云うべきか、36歳で亡くなって、お墓は今も常照寺内にあります。
その辺りは当ブログの鷹峰の紅葉:常照寺をご参照下さい。
処で現代の”太夫”さんですが、島原に五、六人居られると云うことで、一軒だけ残った置屋兼揚屋の輪違屋に籍を置いているようです。
祇園の芸妓さんなぞを更に卒業したスーパーレデイがなるものであることは変わりなく、相応の出費と然るべき紹介がなければ揚がらせて貰えない世界であることも同様です。
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いらっしゃいませ。
おかげで境内での花供養の内容などよく判りました。
>昔は太夫さんの人数も多く、お客の数も少なかったそうで今よりずいぶんのんびりした行事だったらしい・・・<
今はお金さえ出せば入らせていただける~でも、懐具合と楽しみ方のバランスはやっぱり微妙ですね。
まあそれが今も昔も此の辺りの難しいところなんでしょうけれど。
私なんかも床几でお薄を頂くなら兎も角、お席を幾つも回れるというのはプレッシャーになっても、それ行けにはなりませんものね。
島原の頁は明日(08/11/28)アップする予定で、リンクのお断りだけが先行してしまって帰ってご迷惑を掛けました。 お許し下さい。
投稿: 琵琶さん | 2008年11月27日 (木) 10:27
こんにちは!司太夫のサイトにお越しいただきありがとうございました!
吉野太夫の供養ですか・・実は私、入った事あります(笑)
茶道・裏千家の方々の毎月催されるお茶会の特別バージョン(笑)としても
この行事は開かれているので、当日はお茶人の人を中心にえらい人数でごったがえしております^^;
もちろん常照寺ゆかりの名妓の追善供養行事でもあるのですけどもね。
観光目的の方や太夫ファンに若干敷居が高いのはチケット代だけが理由ではないかも・・。
司太夫に案内してもらえると結構順序よく回れるのですが・・そうでないときには
3つ(4つだったかな?)のお茶席(太夫のお点前の席含む)をまわりつつ、かつ太夫の舞や和楽器演奏を観ることなど
なかなか・・・。その他当日はお寺所有の吉野太夫の画像や吉野太夫が愛したという「吉野間道」柄の裂地なんかも展示されてます。
もちろん本堂で太夫参加のなか読経もあげられますし、太夫の吉野墓への墓参もあります。
昔は太夫さんの人数も多く、お客の数も少なかったそうで今よりずいぶんのんびりした行事だったらしいですが昨今はそういうわけで
大忙しだそうです(2008年現在太夫さんはお3方です・・・振袖太夫を入れても4人)。
行事を継承していくのも大変だと思いますが、ぜひずっと続けてほしいなと思います。
投稿: 琵琶(嶋原応援してます) | 2008年11月26日 (水) 15:57