ブログ:ノルマ!!  TOPページ

                           
                      色々なご案内などを書き込んでいます。

修正 09  07/26  07/31  10/17)

0: 一般事項
この辺りに特記する事項ではなく、当たり前のこととして居りましたが、世知辛い世の中で書いて置いた方が無難なようなので此の項を設けます。
 01: 当ブログ所載の記事映像の著作権標示は (C)Sango/Morino-Fukurou です。
 02: 当ブログ所載の記事映像は原則として二次使用可です。 但し事前に目的等を明示して了解を取っていただくことが、当然のエチケットと心得ています。
 03: 良識常識外の行為とその結果について当方として責任を持ち得ませんし、必要な手段を執る権利は留保します。

 

1: 記述内容に関する訂正事項:

09/07/13アップ 祇園祭神輿蔵出し:09 のページ記述に大きな誤りがありました。  09/07/25訂正いたしました.。

 

2: ブログの移転絡みの問題点について

08年8月関西ドットComがeoブログに統合された結果、多くの不具合が発生し、大変ご迷惑をおかけしております。  09年10月現在も残っている不具合ですが:

 1)  ブログ内リンク切れ

a: 関コム時代のページ(08/09以前のアップ分)内にある当ブログ内のリンクは、サーバーが無くなった為に全て機能していません。 手動で全部(1300頁ばかり)書き直す気力は今やございません。
それで同じ境遇の某氏から頂いた”ブログ内検索”窓を右欄外に設けております。
此処にキイワードを打ち込んでいただくと、Googleが開き、、そこの検索窓下にある

  ”http://sango-kc.blog.eonet.jpを検索”    ボタンをチェックしてから、再度検索ボタンを押して下さい。

Googleが収集してくれた当ブログ内の項目がほぼ全て現れます。 目的ページ周辺のものもあり、ブログ内検索及び内容概観としてご活用頂くと、結構お役に立つかと思われます。

b: 当初の不備を解消するために、eo側で設けた検索窓がブログ頁最上部欄外にあります。これは少し宛改善されていますので、上記a:の検索欄を試みられて不充分な場合はお試し下さい。

 2)  ページ間の移動

関コム時代のページ末尾にある  前の頁へ  次の頁へ  *Blogノルマ!! 内容一覧*
に関しては上記のと同じ理由で機能しません。 ページ間を移動して頂くのには各頁トップにある”メイン”の左右に標示されたタイトルをクリックすることでお願いする事になりますが、実際上この機能はページ末尾にないと不親切です。 
前の関コムは指摘にすぐ対応しましたが、今回は期待できませんので、前後頁へのリンクを毎日手製で設けることにしました。
ただしこれも関コムの時と違って頁アドレスがアップし終えるまで判りませんので、前日アップ分から以前分で整う形になります。 尚過去に遡っての設置はご勘弁下さい。 

 3)  05/09/08以前の写真の消滅

これは関コムの仕様で画像は一点に限定されていた頃のものですが、横位置の写真が消失しています。 本来は移転時にeo側で修復すべきものなんですが、時間経過と共に逆の現象が起きて次第に消滅、今や全部消えてしまいました。
言っても直してくれそうにありませんので、此は閑を見て修繕しようと思っています・・・・
→→関コムの時アップした30000点ほどの写真をeoからCDとして送ってきたのですが、ファイル名とNoが変更されていて、それに法則性がありません。 必要な写真を探し出す作業は絶望的な偶然性に頼る事になり、これ又戦意喪失中です。 

   

 

 

 

2010年2月 9日 (火)

節分100203:平安神宮の追儺式

今年の節分本番は、久しぶりに平安神宮に行きました。

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平安神宮の追儺式は大儺之儀と言い、平安朝の古式に依っています。 
この節分行事は意外に話題になりませんが、内容は実に充実しており、境内は広大ですから、見せて頂くのも大変楽で、鬼やらいと豆撒き行事に関しては穴場と言ってもいいでしょう。 
これが終わってから走れるお宮さんも二三あり、 何より夜は閻魔堂の狂言と 「福は内、鬼も内」の豆撒きがあります。
プランだけは立てたのですが、結局この日も平安神宮だけでダウンしてしまいました。
但し元がもとなので方相氏による追儺式と鬼どもの出現、そして豆撒きと、三日に分けてアップする中味になりました。

先ずは正午から行われている大蔵流の狂言などから、これは蝸牛、山伏と太郎冠者と大名が出てきて、とても面白いものです。 
閻魔堂狂言の場合→ でんでん虫


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狂言は白虎楼側のお堂、西側の額殿で演じられていましたが、その周囲には紅白の幕が張ってあって、甘酒のご接待がありました。
どうやら鶴屋吉信さんのご奉仕らしく、これが又とても結構なお味なんです。

(このところ、ご接待のはなしばっかやな)

(まだまだつづきまっせ)

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さて、本論に戻って、当日の宮廷はこのような設えでした。 
龍尾壇の前にある青いシートは16時からのお火焚きの準備で、左右に柵の用意がしてありますが、何しろ此の広大な境内です。 柵の中で鬼が大暴れをするのにも、それを大勢で取り囲んで見るにも余裕十分です。

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大極殿下の此の斎場は四方に四神を示す色の幟(青龍=東、白虎=西 朱雀=南、玄武=北)をつけた忌み竹で囲まれ、篝火が焚かれています。 
14時から大儺之儀、15時から豆撒きと発表されていますが、方相氏などが出る追儺の行事はこの場所と、応天門外とで続けて二回行われますし、普通の豆撒き行事の前には、鬼どもの大暴れ~鬼の舞~と、それを退治する年男の鬼やらいが挟まります。

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斎場の中に特殊な祭壇が運ばれて、そこに特殊な神餞が捧げられています。
神官さんの服装も常と違い、平安朝の古式に依っているのでしょう。 この人たちを斎郎と云いますが、これらの考証はすべて故猪熊兼繁先生です。

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陰陽氏(おんみょうじ)を先頭に向こう側に斎郎が、こちら側には紫の衣の上卿(しょうけい)と赤い衣の殿上人が、それぞれ侍童をひき連れて立ち、相対します。 

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斎場の中央を示す印の白い箱が置かれ、それに向かって陰陽氏が独特の歩調で進み出ます。


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陰陽氏は拝礼を繰り返し、祭文を読み上げます。 その途中で後方に方相氏が出現します。

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方相氏は大舎人(おおとねり=若い廷臣)が扮する金色四つ目の面を着けた大男で、シンシという松明を捧げた八人の子供を従えています。

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祭文の読み上げが終わると、方相氏は手に持つ盾と鉾を打ち合わせて 「鬼やろう」と発声し、上卿が進み出て、北東と北西に向かって桃の弓で葦の矢を放ちます。

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続いて殿上人が桃の杖を手に持って四方を撃ち据え、厄を祓います。

このような手順で大儺之儀が進み、次いで方相氏が斎場の四周を廻ります。

(以下明日)



≪    節分100202:聖護院から須賀神社


2010年2月 8日 (月)

節分100202:聖護院と須賀神社

さて、八つ橋屋さんのご接待を堪能してから、聖護院に入り準提堂を通り抜け、須賀神社に向かいます。 

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聖護院の山門です。 脇にある売店は聖護院八つ橋本舗の出店です。

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本山修験宗の大本山ですが、その昔熊野詣での先達を務めて皇室から聖護院の名を賜り、修験者の総元締めでもありました。 皇居火災の折には仮御所になったこともある門跡寺院です。 庭前には明日のお火焚きの準備が出来ていました。

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ご本堂脇のお堂ですが、護摩の火が焚かれて敬虔なお祈りが捧げられていました。

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お隣の準提堂を通り抜けて表通りへ出ると、目の前が須賀神社です。

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こちらでの豆撒きは三時からですが、やって来る目的は勿論此のラブレター売りのおじさん~懸想文売り。
まさに節分の須賀神社でなければ会えない、古式の風俗です。

毎年同じ人でしょう。 此のスタイルで二人出ておられます。


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担いでいる梅の枝に下げられた結び文には、その年にちなんだ差出人の名が書いてあります。

去年は確か子郎さん、つまり”子”ね=ねずみ ”郎”ろう=男。
鼠男ではなく、しろうさんがラブレターの作者と云うことでしたが、今年のこの方の名、なんと読めばいいのかな?


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その昔は恋文の代筆業が成立していたようです。
今よりも文章に教養が要求される一方、筆で文字を書くこと自体が簡単なことでなかった・・・のでしょうね。きっと。

現在は当須賀神社の縁結びのお守りと云うことで、よその場所ほかの時には絶対に手に入れる事が出来ない有り難いお札なのですよ。


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梅の枝にブラ下がったプラカードには、これを持って帰って箪笥の中なんかに人目に付かぬよう仕舞っておくと、ものが溜まり良縁がある、と、御功徳が書いてあります。
一部千円也ですが、若いご婦人方が争って求められます。


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と云ううちに時刻になり、お祓いと武道の奉納行事などがあって豆撒きですが、どうも写真を撮る事とお豆を手に入れるのを両立させるのは難しいです。
(以前はさせていましたが・・この頃アカンのですわ)

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と云うことで、二月二日節分前日の作戦行動前半は首尾良く終了しましたが、肝心の本番である吉田神社の追儺式。 本殿前でのイベントは始めから諦めていますが、方相氏と鬼さんが出没する周辺を撮る計画実行前に体力の方が消耗してしまい、なんとか意地を張って現場近くまでは到達したものの、吉田山のあのくらいの登山!がもう目一杯。 敵の本丸城下にまで迫っていながら退却していまいました。 ホンマにもうアキマヘン。

≪    節分100202:八つ橋

節分100203:平安神宮の追儺式    ≫



2010年2月 7日 (日)

節分100202:八つ橋

節分の記事を続けてきました。 此の二日間、大元宮と吉田神社というタイトルですから、中味は兎も角立派なものです。 それが此処へ来て、何で”八つ橋”?。 

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二月二日の節分前日、須賀神社の豆撒き15時を第一目標に、18時からの吉田神社鬼やらいの前段、方相氏の出現辺りを撮るのを第二ターゲットとして17時前に現地入り。 
その行程の第一歩は東大路の丸太町即ち熊野神社の交差点。 当然熊野神社にもお参りせねばならぬ、と、なれば、”当然”境内でのお接待には寄らねばならぬ。 ~~戦争中の欠食児童の本能が反射します。

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というわけで、熊野神社にお参りです。 ついでで申し訳ありませんが、王朝時代の熊野詣で、都から熊野三山への巡拝は、今の感覚で言えば海外旅行?のようなもの?? 
その三山の都での拠点は、こちらと今熊野神社と若王子神社ということです。

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熊野詣でに切っても切れない山伏さんの総本山、聖護院が側にあるのも偶然ではなく、その方面の大権威であったこちらのお社の境内が広大であったのも当然だったのですが、明治以降東大路と丸太町に電車!が通るようになって拡幅され、それがそれぞれ西側と北側であったらしいのです。 結果は今の範囲に押し込まれてしまったのでしょうが、その境内の一隅に此の時期写真の掛け茶屋が出現します。

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これは八つ橋の西尾老舗が出されて居るもので、入れば写真の通り、お商売ものの立派な御菓子と温かいお茶が頂けます。

此のいじましい食いしん坊は、100%これが目的で現れたのですが、実は本日のページ、それにまた尾鰭が付いて終ります。


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今の掛茶屋まん前にある銅像で、聖護院村の八つ橋屋西尾為治さん。 八つ橋を京土産の筆頭に押し上げた功労者です。 軽くて日持ちがして小分けも利く八つ橋は、交通機関なども今ほどではない頃、お上りさんの郷里へのお土産には最適だったでしょうね。

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結構なご接待をして頂けた八つ橋の西尾老舗さんは、実は熊野神社境内の東大路側に隣接してあり、このように素晴らしい京町屋で北隣にある大椋の木と共に得難い景観を形作っています。 (左側の紅白の幕のところがさっきの臨時の掛け茶屋なんです)

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そして聖護院経由須賀神社へと東へ向かったのですが、春日上通に入ると又八つ橋屋さんが出現します。 写真は西尾さんですが、聖護院八つ橋と云うブランドの本店は熊野神社交差点の東北(一番始めの写真の右端に写っています)にあり、此の写真の向かい側、聖護院門前にもあります。

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詰まりこの辺りは聖護院と西尾の二大老舗、八つ橋のお店だらけなんです。
と、云ったようなことで、店先などの佇まいを写させて貰っていたら、またまた店内に招じ入れられました。

(カッコようゆ~とるけど、つまりはただのイヤシン坊やんか)
(そやけど きょうび、なかなかないことやで)

因みに筋むかえに聖護院八つ橋のお店が見えています。


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店内はこのような雰囲気で、外観同様本物の京情緒があり、銘菓の数々がお茶請けとしてお盆に盛られています。

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と、云うことでご接待の梯子をして、聖護院門前に来ましたら、またまた八つ橋のお店が・・  

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聞くとこれは節分だけの臨時のお店だそうで、またもや西尾さん、
と、云うことはまたもやお茶が出て・・・

以下同文。



詰まり本日は意地汚いお話だけで構成されたというわけです。
でも昔のイメージとは違い、八つ橋のバリエーションも随分多種多様になり、今風に美味しいものが増えたと云うことはしっかり認識できました。
皆さん、節分には京都の八つ橋をお忘れ無く、どうぞ見直して下さいな。

(なんや、そのせりふ)
(いっしゅくいっぱんの仁義やがな)
(さよけ)


≪    節分100202:吉田神社

節分100202:聖護院から須賀神社    ≫

2010年2月 6日 (土)

節分100202:吉田神社

昨日に引き続き、吉田神社界隈です。   

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大元宮から退出するとき、何と鬼さんが出現!!

此の赤鬼さん、未だ明るい内なのに参拝客サービスの為に御出勤なのでしょう。
 「うお~つ」 と、吠えたてて、そこいら中を歩き回っていました。


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人々を~特に子供と美人を~威嚇して廻るのがお仕事乃至ご趣味のようです。
この場合子供は横を向いていますが、あまり怖がっては居ませんので、鬼さんも些か拍子抜けの様子でした。


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夕刻、これからが追儺式~鬼やらいの本番なのに、下山です。
もう小一時間も粘ったら、方相氏も撮れたのですが・・・


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帰りながら道道の状況偵察、予め作っていて実行を諦めた作戦計画~撮影ポイントの確認です。 もしも来年も命とチャンスがあれば撮影に再トライ。 (オニがわらうし、やめて)

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露店のお店の数は恐らく京都のお祭り中最大でしょう。 その中で一つ、形が変わっていて綺麗なのを見つけたので一枚。 鮎の塩焼きです。

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御本宮のレベルまで降りました。 もう参拝の一方通行規制が始まっていますが、関係者の呟くには、「今年は空模様が不安定やからかいな、人出が少ないわ」 でした。

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御本宮の正面広場、今宵の中心になる拝殿です。 右手側が春日四神をお祀りする社殿四棟が並ぶ御本殿で、此処で18時から祭事が始められるのですが、鬼やらいの一番見やすいところ=この画面の正面=は17時現在既にこのような状態です。

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参拝だけして御本殿前を出ます。 そこにあるのがこれ、京都中の古い御札、去年の縁起物が集まってきていて、まちがい無く京都最大の”どんど”です。  三日の23時からお火焚き祭となりますが、その時には此の囲いの天辺まで古いお札などが積み上げられて居るはずです。

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二枚前の画面奥に詰めかけている人々を後ろから撮りました。 追儺式 の一部始終を見ようにも先ずは絶望的ですね。

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此の周りには福豆や八つ橋などの売場が並び、福豆の袋には豪華抽選券が付いていて、景品は京都中の大店のご提供です。
そのトップ、確か去年はトヨタのプリウスではなかったかいな?、なんですが、その辺りもパスして帰ります。

写真は正面参道の階段で、今日は登り一方通行です。


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東大路近くまで来ました。
天気は良い方に転んで、すっかり暮れなずんできました。 
17時20分頃。

山のてっぺんではそろそろ方相氏などがスタンバイし始めて居るくらいでしょうか。

明日は時間を遡ってこの日二月二日の出発点、熊野神社から始めます。


≪    節分100202:大元宮

節分100202:八つ橋    ≫



2010年2月 5日 (金)

節分100202:大元宮

二月四日は立春。 旧歴では春、新春です。 ですが実際には一年中で一番寒い頃。
ところでその前日即ち節分の行事ですが、お正月同様各社寺一斉に催されますから、ブログ作りの写真撮りは大変です。 若ければ張り切って走り回る・・・事実お祭り現場でご一緒する若い人達はそうなんですが、こちらは全く持ちません。 おまけにそれは年々ひどくなる。
まぁ、天然自然のお話ですから仕方がありませんが、今年の節分のブログはひどいことになりました。
大抵の節分行事は三日、追儺式豆撒きなどは概ね午後ですから、あちこちがバッテイングします。 ところが具合のいいことに節分行事の大親玉、吉田神社の追儺式だけは二日で、おまけに18時。 当然それには行くとして、ほか15時に須賀神社で豆撒きがあり、近場ではあるし懸想文売りなるよそでは見られないテーマもあり、当然これに掛け持ちです。 と云う筋書きに尾鰭を付けて出来るだけ多くのノルマを稼ごうとしたのですが、実際には脚本だけで役者はグロッキー。 それを無理矢理五日分のページにでっち上げてしまいます。

いつもなら歩いた順に編集してアップするのですが、今回は前座の部分がひどいので、時間的には後になる核心部分、いきなり吉田神社の心臓部、大元宮からアップします。 
本当は此の時間から更に竹中稲荷に行き、方相氏と鬼 達が出現する辺りからが本日のメインとなる予定だったのですが、実状は撮影する本人が既にへとへとメロメロで、思うに任せません。 結局此処から下山してしまいました。
従いまして極く平凡な情景の羅列で終わります。 

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とはいうものの、本日のテーマの大元宮。 お参りして丁寧になかを一周しましたので、一応こちらの概ねはカバーしています。
そもそも大元宮と云うのは吉田神道の根本道場で、御祭神は、天神地祇八百万神(てんじんちぎやおよろずのかみ)つまり神様のオールスターキャスト。後方左右には天照大神と豊宇気比売神のお社、左右周囲に式内神三千百三十二座をお祭りする脇社があるという、飛んでもないお社なのです。

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中央にあるお社は八角形をしており、入母屋茅葺きの屋根には千木が交差しています。 勝男木等も変わっていて棟の中央には宝珠が載っています。 
慶長六年(1601)造営の重文です。

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そもそも吉田神社は中世からの神職で貴族でもあった占部,吉田家の信奉した神道の大元で、明治までは全国の神職の任免権も持っていた、と云われる権威です。
その斎場、本宮的な存在がこちらで、通常は門が閉ざされ、節分の他年に数回しか開扉されず、内部の参拝もできません。

写真は正面上部にあるこちら独特の注連縄で、ご神体に準ずる物です。


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八角の中央殿舎の左脇から奥を見ています。 向こうに見える独立したお社は外宮に相当します。 此の内殻を左から右回りにお参りしてきました。

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回廊のような形で東西に二棟、朱色のお堂には全国の式内社の全てが祀られています。

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中央後方になりますが、お供物が供えられていました。

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こちらは東側の奥。 内宮です。

樹木の佇まいなど、如何にもそのような雰囲気で、森厳です。


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外宮の鳥居の中からの見返しになります。 朱色の回廊状神殿列は全国式内社をお祀りする西半分に相当します。

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こちらは東側部分の南寄り。 この日は(節分らしく)曇ったり時雨れたりしていたのが、此の一瞬だけ日が射してきて壮麗でした。 

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中央八角神殿の東寄りから門の内側の方を見ています。

実のところは熊野神社、聖護院、須賀神社から廻ってきたので、撮影者はもう完全グロキー状態です。


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神殿正面脇の奉献物。

八つ橋をわざわざ撮ったのは訳があります。  その訳は二、三日後のアップで判ります。


 

このようにして右回りに普段は参拝できない大元宮の内部を廻りました。
こちらにお参りすると云うことは、日本国の神様全てにお参りをしたことになります。
日本の神様は自然神祖先神ですから、思想信条に関わらずありがたいことだと思います。

へたばった私は本来の目的である方相氏と鬼に見参することも無く降参して、御本殿経由で東大路へ下りました。 
(追儺式そのものは、とうてい寄りつけませんから、始めからギブアップしています)
明日はその部分のアップですが、正直中味は希薄です。


≪        京都植物園10/02/01:洋蘭展-2

節分100202:吉田神社    ≫



2010年2月 4日 (木)

京都植物園10/02/01:洋蘭展-2


昨日の大人しく綺麗な、”模範的な”蘭たちとは打って変わります。 

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此の蠅取草見たいな袋状の物のある奴等、 こいつらは、下の札の”属名、品種名”欄に PaPh と書かれた連中です。

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昔、H、G、ウエルズのSFを映画化した”宇宙戦争”とか云った映画があったんですが、あれに出てくる何でも3の倍数の宇宙船を思い出すのですが・・・

(おぼえてるひとは、まずオランで)


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これ、捕虫網ではないと思うんですが?


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未だ未熟で青い、と、云うんではないんだ、と、思うんですが、さて?


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此処まで来ると極端ですね。

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色は此の系統と、

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此の系統が多いようです。

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そして、この位 ”気張った”奴も居ました。

良く判らないままに、気が曳かれた”変な”連中を撮って並べた。 と言うページでした。

≪        京都植物園10/02/01:洋蘭展-1

節分100202:大元宮    ≫

2010年2月 3日 (水)

京都植物園10/02/01:洋蘭展-1

毎年此の季節、京都植物園の大温室では洋蘭展が催されます。 
此のブログでは京都植物園に関して一つのカテゴリを設けて居ますが、実のところ私が行く先は 通称日本の森、植物生態園の中の季節の山野草や、その他苑内一帯にある季節の木の花、木の実などで、バラ園の花壇など手を加えられた所ではありません。 
さりながら大温室は別格で、昨秋は天皇陛下もご覧になってお喜びであったとか、何しろ充実していて、そして何しろ中味が変わっています。 
洋蘭展は夏の朝顔展などと同じく季節の定例展ですが、今今云ったような次第で、実は肝心の展示物に余り関心がありません。 但し綺麗なものは綺麗。変わった物は変わった物。 
難しいことは云わずに素直に写して、素直にアップすることに致します。

会期は二月七日までです。 珍しく期間内に載せることが出来ました。   

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例によって写したものはすぐ下にある札を写し、且つ付近にある解説板を写します。
此でそれらしく解説のTXTが打てるはずですが、元々何も頭に入って居ない上にその場で覚えようとしていません (しても無理ではありますが) 
したがって帰って見たらどれがどれか怪しいのが出てきます。 結果は中途半端は止めて、ノーコメントで並べることになります。

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とりあえず本日のページは洋蘭の各種から、それらしく綺麗そうな映像を抜き出して並べます。

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明日は(実は)私の好きなグロテスク系の洋蘭の集積として纏めております。

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この辺りは 普通に見る ”美しい” 蘭たちです。

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少し形が変わったのもあります。


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色も少し変わってきます。


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随分変わったのもあります。 でも綺麗。

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普通に見て蘭とは思わないかも知れない、でも良い花ですね。

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此も洋蘭の一種。


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葉の真ん中に花?があります。

花筏みたいですが、それよりも派手ですね。



この辺りまでは、少し”変な”花、というか、変化に富んだ所ですが、明日はグロ?なのを並べます。


≪        初荒神2010:荒神口の清荒神

京都植物園10/02/01:洋蘭展-2    ≫

2010年2月 2日 (火)

初荒神2010:荒神口の清荒神さん

   

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清荒神は正しくは護浄院と言い、御所の東、その名も荒神口通にあります。
宝亀三年(772)摂津勝尾山に出現された荒神様をお祀りしたのが起源で、室町時代に都に遷座し、江戸時代初め頃から当地においでです。
京の七口の一つ、荒神口は当院に由来しています。

荒神尊は竃の火などの守護神で、火難災難除けに功徳があるとされる一方、祟りやすい性格もあるとされています。
毎月28日が御縁日で、今回が今年の初荒神と云うことになります。

午後三時から荒神護摩秘法供が修法されるのにあわせてお参りしてきました。


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御本堂の東側に長いお堂があって、色々な仏様が並んで居られます。 ここには洛陽三十三観音霊場の第三番である準提観音をお祀りしてあります。 また京洛七福神の福禄寿尊もこちらです。

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こちらが御本堂。 ご修法の折りご信心の方は内陣まで登られるようお奨めでした。

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御本堂正面の護摩供の場です。

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御本堂の前には石の鳥居が立ち、脇には手水が有ります。 その脇では護摩木の受付が行われ、またご接待のお善哉が用意されています。

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実のところ、当日この場に居た方は全て信徒の方で、よそ者は私だけ。 不逞のカメラマンも私だけ。 厚かましくもご接待にも預かって来ました。 (お給仕の方、お箸の色が揃っていないことを気にされていました)

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時刻になって ご住持が結界に入られます。  この日は雨模様でしたので、鳥居から御本堂へ掛けてテントが張られていました。

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ご修法が始まります。

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般若心経の読経がこだまして護摩木の火炎が燃え上がりました。


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こうして今年初めての御縁日の修法も滞り無く執り行われて終わりました。

御参拝の皆さんは護摩の炎の余煙に手を翳し 煽って身につけて、御功徳を頂いてお帰りです。

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≪        上賀茂神社手作り市10/01/24:市

京都植物園10/02/01:洋蘭展-1    ≫   

2010年2月 1日 (月)

上賀茂神社手作り市10/01/24:市

   

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昨日の最後の写真から、曲水の宴の庭(渉渓園)の縁を廻って市の方へやって来ました。

この辺りは神社境内でも随分東の端の方で、普段はあまり人気のないところですが、今回はお店の範囲が広がって賑やかです。


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庁舎(ちょうのや)の東裏側、更に奥の方です。 お店の数は随分増えているのでしょう。

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猫の写真と猫の飾りものだけのお店など、普通には考えられない業態でしょうね。

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手作りが原則、と云うことは、店主による現地制作も当り前、と云うことです。

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ここいらまでお店が広がって、右が庁の舎、正面は校倉。 遠くに東の鳥居が見えています。 

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此の可愛らしい飾りもの、もちろん自然物を生かした店主のお手製なんですが・・・・

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横の並びにこんなものが置いてありました。
見入った男の子が、座り込んで動きません。


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アップしたら此れ。 この虫どものオブジェ、実は廃電子製品パーツを加工したものなんです。 私も男の子のなれの果てですから、思わず座り込んでしまいました。 

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奥から逆順に歩いて ならの小川の東の縁まで出て来ました。

普通に此の市を歩くのと全く逆のルートです。


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通常は正面参道二の鳥居の所(前のページの写真の二枚目)から右~東へ入るのが表口でしょうが、今回はとっかかりの ならの小川の西側には行かずじまい、東側をどんどん南に下がってもう出口、此処が一番南端のお店になるのでしょう。

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普段は自転車置き場になっているあたり、神社の南側天神川沿いの社家町に向いて開いた土塀の切れ目のところです。 手作り市の裏口正面ともいえますか。

結局のところ、お店と商品は殆ど写っていない手作り市のリポートになりました。

≪        上賀茂神社手作り市10/01/24:境内

初荒神2010:荒神口の清荒神    ≫

2010年1月31日 (日)

上賀茂神社手作り市10/01/24:境内

毎月第四日曜日。上賀茂神社で手作り市が開かれます。 同じような催しはこの頃あちらこちらで開かれるようになりましたが、何しろ世界遺産の自然環境の中、雰囲気が良いことに掛けては何処にも引けを取りません。 ただ出店は申し込み多数で抽選ですから、何時もお馴染みの店が出て居るとも限りません。 その辺りが良いところでもあり、困ったところでもあるのでしょう。   
今年初めてと云うこともあり、参拝~冬の上賀茂の雰囲気描写も兼ねて歩いてきました。 
本日の所はなんとなくその辺りの描写で、明日お店のあるところへ移動します。
(つまりはノルマかせぎやな) (・・・・・)

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未だ冬の真っ最中。 とは言いながら次の出番を待っています。 参道の幾つかの老桜ですが、この頃名前もつけられて、些か人気も向上中のようです。

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市の当日はやはりなんとなく賑やかです。 神馬舎には今日は神山号が御出張中です。

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なんとなくのお神籤売場。

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これは御本殿参道の御手洗川(みたらいがわ)に架かる石橋ですが、楠の化石であるとか。

尚、参拝の正しい順路から言えばこちらを渡るのは退出時で、行きは橋殿の方から ならの小川を渡って片岡社に一礼していくのが正規のお参りの仕方です。
(と、この頃判りました)


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これは今の石橋から見た下流で、左から合流するのが御本殿前に流れる御物忌川(おものいかわ)。合流後はならの小川になりますが、神事の次第によっては御手洗川とも呼ばれるようです。

お参りの正しい順路は、見えている橋殿の両側に架かる禰宜(ねぎ)橋、祝(ほうり)橋を渡っていきます。


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御本殿前で見かけました。
節分用の福豆です。 
桝が付いています。


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先に述べた正しい参拝順路で行くと、御物忌川の対岸を進んで片岡社正面に至り一拝。
その左手が此の写真で、楼閣が上に架かった片岡橋を渡って御本殿楼門前に出ます。

その手前、楼門正面の朱の反橋は正規の神事の参加者しか渡れません。
(両方とも重文です)


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そのまた手前、橋殿正面にある岩が此。
巌上と呼ばれていますが、葵祭の時、宮司さんがこの上に座り、勅使からの奏文に対する神様からのご答辞を申し上げる場です。
古代からの”磐蔵”の名残でしょう。 
上賀茂神社一番の神聖な場所です。

向こうにちょろっと見えるのが橋殿のこちら側。


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橋殿より東側、ならの小川添いに下ります。 私が一番上賀茂らしいと感じて好きな辺りです。

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そこに大きな摂社の山口神社があり、その拝殿越しに五月の競馬(くらべうま)の基地になる庁舎(ちょうのや)の方を見ています。 向こうに見える青いテントが本日のテーマである手作り市のお店で、手前の巨大なスダジイを中心とする庭では、曲水の宴が催されます。

≪        元服式その四:梨木神社2010

上賀茂神社手作り市10/01/24:市    ≫

2010年1月30日 (土)

元服式その四:梨木神社2010

   

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宴が始まる前に、正面に飾られていた三宝が下ろされて捧げられ、一同の前を廻った後礼拝されました。

重要な儀式のようでしたが、その意味を良く把握していません。


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給仕の方が六名並んで入ってきて、御膳を据えます。 その動作呼吸が揃っていて、且つ作法に叶わねばなりません。

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まずは ちなみの親から。 
此の杯を差す人は男女の側に各一名か控えていますが、この方の作法などベテランでないと務まらないもののようでした。 ちなみに男は杯を左手で持って、酒を受けます。(女姓は反対)

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食事は大変美味しく出来たそうですが、味わう方は多分・・・

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ややあって、元服した子から親へ、用意のお礼の引き出物が披露されます。

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武家の場合、お礼の品は折り紙付きの刀。 先ずは鑑定書である折り紙によってその内容を告げ、のち贈り物の刀を捧げます。

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お礼の品が納まると、更にもう一献。

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加冠の祝宴は続きます。

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お開きには ちなみの親からの記念の品が配られます。

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斯くして 親が退場。 一同平伏してお見送り致します。

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そして新成人男女五名、晴れて大人の姿で退場していきました。 

まずは、めでたし、めでたし。

≪        元服式その参:梨木神社2010

上賀茂神社手作り市10/01/24:境内    ≫

2010年1月29日 (金)

元服式その参:梨木神社2010

   

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加冠の儀。

我々が通常認識している侍の成人式、元服式の中核ですね

冠を被せるのは着替えの時も主になってやって下さった方で、ちなみの親は横で見守っています。


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被る烏帽子は風折烏帽子(かざおれえぼし)という形のものです。

立烏帽子が風で吹き折られた形である、と云うことで、主に地下人が被り、左側に折れたのが一般用であるとか。


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冠もかぶり、中啓を手に持って、これで完成です。

一人前の大人になりました。


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二人目も出来上がります。

柳台からは、後すさりして降ります。


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続いて女性の加冠の儀。

立烏帽子は被っていると大きいですが、横にすると薄く平たくなってしまいます。
お盆に三人分が載って居ました。


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女子の冠の儀と云うのはどういう身分の人の儀式なのか、今理解していませんが、少なくとも冠の”格”?は男より上になるのではないのかな?

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次の人と入れ替わります。 この辺の立ち居振る舞いも綺麗で見事でなくては。

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烏帽子親、と言う言葉がありますが、此の式次第では聞きませんでした。

【 武家社会で元服の時、烏帽子をかぶらせ、烏帽子名を付ける人。 元服親 】  ~広辞苑より


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三人目の加冠の儀が始まります。

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女性の烏帽子を被せた方が下がられて、此の後は宴となります。


≪    元服式その弐:梨木神社2010

元服式その四:梨木神社2010    ≫

2010年1月28日 (木)

元服式その弐:梨木神社2010

柳台上では男子の更衣が進んでいます。

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脱いだ素襖(すおう)が下げられ、直垂(ひたたれ)が出されます。

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袖を通すのにも決まりがあって、男性は左手から、女性は右手から。

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袴を着けます。 後ろで介添えをしているのは去年元服した人だとか。

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腰刀、懐紙や中啓を身につけて、出来上がりです。


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続いて二人目の着替えが始まりました。


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直垂は武家の代表的衣服と云うことで、長袴を履くと礼服となり、忠臣蔵の松の廊下のスタイルになります。

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引き続き女性の更衣が始まりました。 着付け役などは烏帽子水干(えぼしすいかん)姿の女性が務めます。

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同じように柳台に乗り、白い千早から水干姿へと変身していきます。

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二人目の方になりました。 女性は右手から袖を通します。

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このようにして着付け介添え役と同じ大人の姿に変わっていきました。

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三人目の女子の着替えが進みます。 
これが終わると、今度は男子から加冠の儀に移ります。

≪    元服式その壱:梨木神社2010

元服式その参:梨木神社2010    ≫


2010年1月27日 (水)

元服式その壱:梨木神社2010

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一月の二十四日、梨木神社で元服式が行われました。 当日は男性二名女性三名の新成人が、小笠原流による古式に則って服装を替え、冠を頂いて大人の仲間入りをしました。
小笠原流門人の子弟などで、式は日頃礼法の修行に励む方達が、その成果をお披露目する場でもあります。
先だっての上賀茂神社での武射神事や、下鴨糺森での流鏑馬などの弓術馬術の演技奉納もその一端として行われているものです。

当ブログではその模様を時系列順に四日ほどに分けてお伝えしようと思いますが、例の如く故実や古い日常語、道具の名、等のオンパレードなので、コメントは大変難渋します。
曖昧な所は兎も角も、誤りなどもあろうかと思いますので、お気付きのむきはご指摘の程宜しくお願い申し上げます。

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参列者一同お家元を先頭に、先ずは神前へ。

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新成人は内殿に座り、衣冠を整えた介添えの方々が居並んで神事が始まります。


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新成人による玉串奉奠が行われています。


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滞り無く参拝が終わって退出となりました。 前の青い服装の二人の男性と、白い衣装の女性三人が本日の主役となる新成人です。

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会場は参道の能楽殿で、式次第は能舞台の上で進行します。

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舞台上ではまず座が設えらえます。 鹿皮の敷物で、尾の白い所を上座に向けて置きます。   

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新成人が入場です。 舞台に見える座の右奥が、此の式典の最重要人物、”ちなみの親”、仮親の座るところになります。

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舞台中央には元服する者の更衣や加冠を行う、柳台と呼ばれる柳の木製の五角形の台が据えられて、まず大人の衣装が運ばれます。

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右奥の座に、”ちなみの親”、仮親が座りました。 新成人は右側に男子二名、左手に女子三名。 男子の座り方は足裏を正面に向けて座る、武将などの座り方と同じです。

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柳台の上に立ち、青い素襖から直衣へと着替える所から、大人への変身が始まります。

≪        念仏六斎:8月

元服式その弐:梨木神社2010    ≫

2010年1月26日 (火)

念仏六斎:8月

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八月と云えばお盆。 大文字の送り火が終わると京都の夏の酷暑も一段落し、秋への気配もそこはかとなく漂い始めると云います。
そのお盆行事の一端として、重要無形文化財でもある六斎念仏が各所で行われています。  これはもともと仏教での六斎日、月の内の8,14,15,23,29,30日に身を慎む事から由来し、地域で集まって太鼓や鉦を鳴らし、踊り躍りしてお念仏をあげなどをしていたものが次第に娯楽化して行ったものらしく、芸能六斉とも称します。
二三年前、此のブログを始めた頃に初めて拝見し、主にお盆前後に行われる公演をあちらこちらと追っている内に、結構填った格好になってしまいました。
これらの芸能六斉の年間公演予定などは、この千本六斉会 の頁を見ていただくと宜しいかと思います。(実はブログ:ノルマにリンクいただいています)

画面は芸能六斎ではなく、今では更に稀少な存在である、本来の信仰の形に近い念仏六斎講の一つ、上鳥羽橋上講中が千本閻魔堂で奉納された時の一齣です。
太鼓に輝く菊の紋章は、踊躍念仏の大元である空也堂からきたもので、空也上人が醍醐天皇の皇子である、と云う伝承に由来します。

≪        みやび会:7月

元服式その壱:梨木神社2010    ≫

2010年1月25日 (月)

みやび会:7月

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京都の七月と云えば祇園祭。 
京都のイベントを中心とする写真日記的ブログを標榜する当ブログが、ノルマに詰まって逃げ回る手段の一つとして採用した此のシリ-ズ~~一応去年12ヶ月の精選品12点で構成する気ではありますが~~ならば、当然祇園祭の鉾か何かが出てくる筈。
その辺りのご期待に背くのも当ブログのキャラの一つでして、何にしろ暑い京都の七月、そして此処はやっぱり暑い祇園八坂さんの社頭での光景です。
見たところは涼しそうって?  
ご尤もで祇園祭の真っ最中ですが、それとは無関係に此の”みやび会”という催しが行われ、きれいどころがこうした涼しげな揃いの浴衣で参集し、御社殿の周りを三回廻ってお千度を踏むという行事です。
オフイシャルなものではなく、祇園甲部の芸舞妓さんたちがお師匠の井上八千代さん共々芸道上達と夏の息災を願ってお参りする集まりなんですが、そう聞くと目の色変えてやって来るカメラマンなども多くて、ある種の夏の風物詩?!にもなっているわけです。

≪        田植え歌:6月

念仏六斎:8月    ≫

2010年1月24日 (日)

田植え歌:6月

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田植えの写真、それも動力抜きで人力による田植え。 
労働集約型の典型で、もちろん全く今様ではありません。
但し、同時に此の国の歴史を何十世紀にも亘って支えてきた原風景であることも確かでしょう。
豊葦原瑞穂の國。 
食糧自給率が100%を切っても、平気で居れるグローバルで泰平な世の中。
色々な感慨が田圃の上を飛び交うツバメのように交錯しますが、やはり我々はどこかから海を渡ってきて此の島に住み着き、やはり海を渡ってきた米を栽培して”今”に辿り着いた人々の子孫であることには変わりありません。
米の代わりに機械を作り、その作り手もよその方が有利になったとしても、なにかを創造し続け生産し続けて文明を押し上げていく。  これが此の島に生まれ育ったものの宿命であり天命なのでしょう。
写真は伏見稲荷大社のお田植祭 です。

≪        なんとなく新京極:10/01/19

みやび会:7月    ≫

2010年1月23日 (土)

なんとなく新京極:10/01/19

正月行事の諸々も過ぎて寒さも優り、格別な催し事もなくなってくるとブログも勢いが無くなります。 なんとなく街に出たとき、なんとなく新京極を通り抜け、なんとなく写したものが本日の頁ですが、一応社寺に限定しています。 
かつて”新京極Now”と云うテーマで真面目に此の界隈を歩いたこともありましたが、遙か昔。 ものとしても出来上がりはしませんでした。 

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上と横:染殿院

南の方、四条から行って最初のとっかかりにあるのが此のお寺。 四条通からは焼栗屋さんのお店を抜けて入るという変わった形です。
開基は弘法大師に遡り、一遍上人との関わりなどもある古刹ですが、御本尊は地蔵菩薩で四条京極の染殿地蔵堂と呼ばれてきました。
幕末蛤御門の変で焼けて今のお堂は仮のものだそうです。
横の写真は新京極側の出口から外を見たところ。 おむかえの坂本漢方薬が見えています。


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錦小路の突き当たりにあるのが錦の天神さん。
入り口の牛さん、ますます以ておでこの磨きが掛かってきています。
下の写真は社頭ですが、こちらには機械仕掛けのお神籤売り獅子舞などがあり、聞くところに依ると当社宮司さんのお手製とか?


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少し上がったところの東側にに、この くさがみ善長寺があります。
もとはもっと大きかったのが、表側を商店にとられてしまったのでしょう。
こういった露地の奥に御本堂だけが見える形のお寺がこの辺りには多いです。


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蛸薬師の通が新京極で東西食い違いますが、これは東側、河原町側の角にある通称逆さ蓮華寺、安養寺。
御本尊の阿弥陀様が逆さに置かれた蓮弁台座の上に立って居られるのでこの名があります。
コンクリートの御本堂が敷地いっぱいになって建っていて、蛸薬師正面から見ると下の写真のようで、横の写真はその見返しになります。


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その蛸薬師通ですが、西の方からず~っと繋がってきて新京極の通りに突き当たります。
その正面にあるのが即ち蛸薬師堂、永福寺です。
蛸薬師の謂われは、昔ある僧の母親が病にかかり、蛸を食べさせると良いと云うことで、市で蛸を求めました。
僧侶が生臭ものを買うのを見た世人が怪しんで追求し、窮した僧が薬師如来に祈って箱を開けたところ、中の蛸は八巻の経文に変じていた。
と云うことから来ています。


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更に北へ行くと、此のお寺があります。
実は門戸が開いて灯りが点いているのを見たのは初めてで、従って入ったこともなく御由緒なども知りません。
今回このように戸が開いていたので奥まで入らせていただきましたが、お墓と住居を兼ねたお堂のようでしたので、そのまま失礼してしまいました。


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上と横は誠心院、東北寺。
和泉式部を初代住職とすると云うお寺で、式部の墓と伝える宝篋印塔が境内にあり、京極の方からも拝めます。(横の写真)
この辺りを含め、此のお寺もかつては複雑に入り組んだ民家商家に囲まれて埋もれて居たのですが、今は少し整理されて中も広く判りやすくなりました。
しかし大きな御本堂と、何時出来たものか、文明開花の時期的な巨大な煉瓦塀とがアウトスケールして対峙する様は今も残っていて、一見の価値があります。


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お仕舞いは六角通の突き当たりにある誓願寺。 浄土宗西山深草派の総本山です。
此処も一遍上人と和泉式部が絡む謡曲の誓願寺が縁となって舞踊の世界などで信仰されて来たと云うことで、境内に扇子を奉納する扇塚があります。
御本尊が座って居られるお姿は繁華街の通りからもよく見えて、私は此の情景が好きです。

三条通よりも上がると、矢田寺 から天性寺、更に本能寺と寺町は続いていきます。
その辺りから上寺町に掛けては数年前から何度か歩きましたので、宜しければ適宜アーカイブからご覧下さい。

≪    法住寺のだいこ焚き:2010

田植え歌:6月    ≫

2010年1月22日 (金)

法住寺のだいこ焚き:2010

さて大混雑の三十三間堂蓮華王院から抜け出て東向かいの法住寺に行きました。 
今は規模なども逆転ですが、後白河天皇のご陵をお守りする形で存在する現在の法住寺の名は、そもそもは蓮華王院なども一部とする後白河法皇の法住寺殿のものでした。
それかあらぬか、この日にはこちらでも護摩供が行われ、だいこ焚きのご接待などが行われて賑っているのですが、三十三間堂の騒々しさに惑わされてか、今までお伺いしたことがありませんでした。

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此のお寺は北寄りに山門がありますが、南側には此の禅宗的?中国風の門があります。 此処から入ると御本堂のすぐ脇になります。

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今日はご本堂の前にも多くのテントが張られていて、午前中は護摩壇の辺りに迄だいこ焚きを頂く床几が並んでいました。

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香炉には、お線香の煙がもうもうと。


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本日は御住持様からの御加持が受けられます。

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境内のお地蔵様などにも参拝者がいっぱい。 三十三間堂とはまた違う形でのご信心、お参りの方がいっぱいという感じです。

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事務所、と看板が上がっていましたが、此処でだいこ焚きの券を求めます。 700円。
あちことのお寺で頂くだいこ焚きも、世のデフレ傾向とは違う動きをしていて、某大寺では千円になりましたが、こちら様の場合は護摩木が付いてきます。

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前の机で願い事を書き、願主の名を書き、お盆の上に積んで預けてきます。 護摩は三時に焚かれると云うことでしたが、疲れてそれまでおつき合い出来そうになく、森野福老名で息災を願ってきました。

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さて、これが本来のお目当てのだいこ焚き。

12月を中心にあちこちで行われるのを食べ歩いてきましたが、大根は丸の侭切ったのを二個あるいは大き目のものを割って二個程が普通だと思います。 それがこちらではその倍ほどのボリュウムがあって、お揚げも大きめでした。
お味に関しては薄味濃いめの味と好きずきですから、何処が一番とも云えませんが、こちらの場合は平均的。
そして写真に見えるお握り二個は300円ですから、千円で完全な腹拵えが出来ます。

この日の午後には全国女子駅伝競技もあり、元気であればこれを食して駆けつけるところなのですが。


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北の門の入ったところには何時もご接待の調理場が設えらえます。その調理場テントと、私の分のアップですが、ご覧のような大盛りです。

こちらのお寺は昨秋の義士会 と云い、春の節分鬼やらい と云い、折々に触れて色々な催しをされ、ご接待も様々で、私のような俗物にはなかなか惹かれるところが多いものです。
こういった奴ばらに仏縁を説かれるには此の手が一番なのかも知れません。

(ちょうしにのって、ふけいなこというな!)



≪         三十三間堂大的全国大会:2010

なんとなく新京極:10/01/19    ≫

2010年1月21日 (木)

三十三間堂大的全国大会:2010

一月十七日、恒例の三十三間堂大的大会が行われました。   
年初の日曜日三十三間堂の柳枝のお加持に合わせて行われる此の大会は今年で60回を数え、妙法院門跡と京都府弓道連盟の共催です。
その謂われは遙か昔、此のお堂の長大な縁(118m)を使って遠矢を射た事に始まり、江戸時代には藩のバックアップもあって、我こそと云う武士が一昼夜に何本の矢を放ち、且つ何本的中させるかという技を競って、その記録を額にしてお堂に掲げました。
最後で最高のレコードは貞享3年(1688)紀州藩の若者和佐大八郎がうち立てたもので、24時間に13053本射て8132本的中させました。 実に6,6秒間隔で発射し、62%命中させたことになります。
当日は拝観料は不要で、千の千手観音のお前で祈願された法水を、柳の枝で頭上に注ぐ修法をしていただくために、多数の善男善女が集まります。 大的大会には全国の新成人有段者とその関係者が集うので、殊に華やかな雰囲気に包まれます。 おまけに多くのカメラマンを含む見物人も集まるのでその混雑は凄いものになり、終日で一万人に達すると云われます。

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私も蝟集するカメラマンの一人ですが、正直言ってまともな写真が撮れる環境ではありません。周辺を廻って情景を拾い、説明的な最小限の現場を拾ってお茶を濁しておりますが、今年は一計を案じてお向かいの法住寺に行きました。 
こちらでも住持さんによる御修法があり、午後には護摩が焚かれて、だいこ焚きのご接待もある、と云うことからです。 (これは明日アップいたします)

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午前中は新成人男子、午後に掛けて女子。
その後で的中者による競技が行われます。

矢を射るのはお堂の裏、西側の縁に沿ってで、出場する選手はそのまた西側辺りに屯して用意を調えます。


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何しろ新成人の女子選手が一世一代の晴れ姿、振り袖を着飾って袴を高く履き、頭には綺麗な髪飾り。

いざ出場する準備とて、襷掛けの最中です。

(ひひじじが集まるの、しゃーないか)


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大分難儀な目をして一応射手の様子を写しておきました。
背後は三十三間堂の裏の縁で、柳枝のお加持を受けてお堂内を一周してくると此処に出られますが、ご覧のような混雑で、ここで見るのも大変です。

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大的はこのような設えで四つあり、四色の射手の座に各三名宛が立って、二矢を放ちます。
射程は60m、的の径は1m。

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なかなか命中しません。 届かない矢も多くある一方、二矢とも的中の手練れも居ます。

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こうした審判判定席が両側にあって、各射手の成績が示されます。 一矢射終えた目下の処、黄色の席も青の席も全員成績は!ですね。

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射手のテントの状況は概ねこのようですが、矢の飛ぶ側面一杯にこのような黒山の人だかりで、およそまともに見ることはできません。
写真を撮るには脚立やアップアングル可能なライブビユー機等をフルに使うことになるでしょう。

≪        百手式2010:上賀茂神社

法住寺のだいこ焚き:2010    ≫


2010年1月20日 (水)

百手式2010:上賀茂神社

蕪矢の祓いと”鬼 ”を射抜く神職方の奉射が終わると、小笠原流弓術と礼式のご披露です。 

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ここでは各七名が三方に別れて着座し、順次出て二矢宛三度の斉射が行われます。 
百手式というのは十人がそれぞれ十本の矢を射るものを云い、それとは少し違うようですが、座を立って矢を射る場に向かい、肌脱ぎになって弓を構え、的を狙って次ぎ次ぎに射ていく全ての過程が礼法に則って整然と行われます。

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射程の中程右手に此の式の奉行や記録係の座があり、的近くの左側には的中を判定する係が座ります。
いま奉行が向こう側の芝に蹲踞して開始を告げ、一同がそれを承ったところです。

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三組の射手は三方に別れ、コの字形に座って待機しますが、的の正面に座る二組目は女性射手が多くて花やかです。


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七人の射手が一列に並んで順次矢を射ますが、それに至る過程も簡単なものではありません。 写真では射座を立つにあたって邪魔になる懐紙と扇を懐から出して下に置いている所ですが、そうした動作も作法に叶い、且つ皆のアクションが揃わねばいけません。

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西側の第一組から射場に向かいます。 席を立つ順序と歩き方、経路、角の曲がり方などにもそれぞれ作法があります。

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大将を右端にして一列に蹲踞し的に向かいました。 向こうに見えるのが判定役で、女性が弊を掲げて的中を知らせます。 若い男性は矢を拾う役です。

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右端から順に弓を絞り、次々に矢を放ちますが、同じ動作が少しのタイミングをずらして順次整然と行われねばなりません。 その形の流れの美しさが一つのポイントでしょう。
二人が射終えて、いま三番目の射手の矢が蔓を離れようとしています。

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女性を含む二つ目の組です。 矢を放つ前の所作。 男性が片肌脱ぎになる段階ですが、女性は左の袖を絞ります。 水干の袖が大きく広がって絵になります。

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左端の大将から順次弓を引き絞っていく流れが判ります。 この辺りの美しさが礼法の見所でしょう。

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最後の組が登場です。 此の組は前二つと多少違う高度な作法をこなすようですが、我々には見分けが付きません。 此は矢を射るために片肌脱ぎになるに際して、衣服の紐を解く所作、あるいはその準備のための所作をしているところです。 男性の射手は全て此の手順を踏んでから矢を射る体制に入りまが、この辺りの細々した作法が小笠原流ならではのものなのでしょう。

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射終わった矢を回収するにも、色々な手順と作法があります。 
現代の基準から云うと全てが悠長で煩雑にも思えますが、所作が綺麗に流れて行くときの美しさはまた格別で、世界遺産である上賀茂神社の雰囲気などともよくあっています。

≪    武射神事2010:上賀茂神社

三十三間堂大的全国大会:2010    ≫

2010年1月19日 (火)

武射神事2010:上賀茂神社

 

01t_dsc1038cs3 一月十六日上賀茂神社では武射神事(むしゃしんじ)が行われ、その後小笠原流近畿菱友会による弓術百手式(ももてしき)の奉納が行われます。
と、すらすら書いていますが、実は此の催し、映像は兎も角、コメントが大難物なのです。
小笠原流というのはご承知の通り礼法の家元的存在で、武家時代の作法や武術礼法などを今に伝えてられて、殊に昨今は此の催し始め下賀茂神社の流鏑馬 とか梨木神社での元服式 など、一般向けの活動も盛んに行われています。
今回の催しでも終始行事の次第について詳しい解説があって、その懇切さは他に類を見ないのですが、それが徒となって一応の理解はするものの、記録し他に伝えると云う作業は手に余ってしまいます。
録音しようかと思いながら今回もその用意をしませんでしたので、今日明日の頁に記載する内容に自信がありません。
間違い乃至不適切な点がありましたらご容赦いただくとともに、ご指導など宜しくお願いします。


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先ずは奉納をする小笠原流の方々と神職一同神前に進んでの神事があり、
そのあとの行事は大きく分けて、前半の蟇目矢の浄めと神官方の破魔矢、後半の百手式に準じた礼射に別れます。

矢を射るところは一の鳥居と二の鳥居の間、五月の競馬では馬場殿になる御所舎前の芝生です。
この場の芝も中程に通路が開いていて、前後の場所に今回の行事についての機能と名前があるのですが、前記のような次第でフォローできていません。
尚武射とは歩射とも書き、馬上から矢を射る流鏑馬などに対する言葉で、宮中行事の射礼の儀に由来するものだそうです。 


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神事がが終わると御所舎前にL字形に畳が敷かれて神官さんがお座りです。 皆さん弓を引かれますが、いま宮司さんが肩から左胸に当てる弓の装具を着けて居られます。

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一方御所舎脇には奉仕の小笠原一門の方が着座されて、此から蕪矢の奉射が始まります。

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ひきがえるの目になぞらえて蟇目矢とも云いますが、軽い木で出来ていて中が空洞になっており、飛ぶと音を発します。
此に依り邪気を祓い魔性を退散させます。

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こちら側の芝生の島が射手の立つところ。 的は向こうの島の彼方にありますが、この場合は的を射るわけではありません。  

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矢は”ホワ~ッ”???と云うような音を立てて飛び、悪魔を追い立てます。

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次には神官さんによる奉射です。 お立ちになる場が設えられて、介添え役が後ろに控え、先ずは宮司さんからです。

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矢は放たれました!  (カメラマンはちゃんと写し止めています)

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見事に的へ! (カメラマンはちゃんと写し止めています)
的の裏には”鬼”という字が書かれていて、此を射抜くことによって悪鬼を退治します。

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こうして六名ほどの神官さんが次々に矢を放たれて、今年も邪気は祓われました。

此のあと小笠原流弓術の奉納が行われます。


武射神事:上賀茂神社  (08年です)


≪    下鴨神社大炊殿

百手式2010:上賀茂神社    ≫


2010年1月18日 (月)

下鴨神社大炊殿

 

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大炊殿の拝観は御本殿内庭の西から三井神社に入り、そこを抜けたまた西側の区画と云う形になります。

入ったところはカリンの庭と称してカリンの木の古木があり実が生っていますが、元々は薬草園的な性格も持っていたようです。

写真はそこにある御井(みい)の井戸屋で、手前は”水ごしらえ場”ですが、此の石は神の降臨の場であるという伝承があって、御降臨石として御水桶を置いて神事を行うところだそうです。


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御井の中の井戸屋形です。 正月の若水神事など神餞調理に用いられました。 重要文化財。

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その隣にあるのが大炊殿(おおいどの)
神餞の調理場ですが、穀類を扱い、魚鳥類は別殿の贄殿(にえどの)で扱いました。
入り口の土間の所に竃が二つ並んでいます。


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脇に吊された稲穂ですが、奉納した生産者の名が書かれており、大きな札には近江八幡市の賀茂神社から奉納の懸穂と記されています。

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竃~おくどさん~の脇、上がり口から見た調理場の情景になります。

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流しがあり、調理台?まな板?等が置かれています。

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井戸の水は此処から供給されるようになっています。

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竃の内側から出入り口の方を見たところ。

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調理場の隣は配膳室で、周囲に棚があり、各神事の際に供えらえる神餞の見本等が展示されていましたが、実際にも配膳台として使われたようです。

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大炊殿を出て更に西隣に賀茂斎院御所御車屋という一区画があってお祭りで使う車馬などが展示されていました。

此は江戸時代の唐車の復元だそうですが、中に畳がしいてあります。


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こちらは洋風の儀装馬車。 流鏑馬神事御蔭祭 の際に使われています。

≪        下鴨神社御粥祭と三井神社

武射神事2010:上賀茂神社    ≫


2010年1月17日 (日)

下鴨神社御粥祭と三井神社

   

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一月十五日は小正月。 小豆粥を食べる日だそうです。
上賀茂、下鴨両社でも御粥祭という神事がありましたが、下鴨では小豆粥の接待があると云うことで、出掛けました。  (くいしんぼう!) (せんそうちゅうのこですにゃ)

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御神事そのもには参列することもできませんし、格別変わったこともありません。 御手洗(みたらし)池南側でお祓いをされて神前に向かわれます。

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ガラスの戸が設けられて遮断されましたが、御本殿の神事は上賀茂と違って参拝者も窺い知り拝礼することは出来ます。  

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神事が終わると、直会(なおらい)殿に向かわれました。

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こちらは参道に出来たテントで御粥を頂きます。 お餅が一個、小豆少々。 除災招福長寿粥一杯300円
と云うことで、御粥祭そのものだけではブログになりません。 それで、と云うわけではなく以前から一度拝観したいと思っていた大炊殿(おおいどの)に向かいます。
御本殿内庭の左側から入るのですが、回廊にある受付で拝観料500円を払います。

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こちらが入り口の唐門(寛永五年、重文)ですが、先ず摂社の三井神社に入り、そこを抜けて神様のお台所である大炊殿に向かいます。 欄間の葡萄の彫刻は神話に云うエビカヅラ(山葡萄)でお祓いの意味があるとか。

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三井(みつい)神社。 大きな摂社で御本殿の西隣になります。 本宮の若宮(若々しい御神霊)と云うことで、本宮と同じ賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト上賀茂の別雷神のお祖父さん=八咫烏ヤタガラス)玉依媛命(お母さん)及びお祖母さんに当たる伊賀古夜媛命(イガコヤヒメノミコト)をお祀りしています。

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脇に更に末社が並んでいて、歴代斎王の神霊を祀り、また蹴鞠の神様などが居られます。
なお此の場所は斎院の跡とも云われます。

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表を隔てる回廊の一隅にこんなものがありました。 北面舎(ほくめんや)と云って、警備の宮侍が常駐していた場所だそうです。 詰まりガードマン詰め所ですね。 重要文化財。

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おなじ並びにこのようなものがありました。 幕末、孝明天皇が攘夷祈願をなさる行列の絵巻ですが、後ろの方に征夷大将軍徳川家茂と次の将軍慶喜がお供をしています。

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その他にもこんなものが。

明治天皇がご幼少の頃遊ばれた木馬のレプリカだそうです。

三井神社は御本殿の西側ですが、そこをさらに西に抜けると大炊殿になります。

(明日に続く)



≪    御棚会神事2010:上賀茂神社

下鴨神社大炊殿    ≫

2010年1月16日 (土)

御棚会神事2010:上賀茂神社

一月十四日の上賀茂神社です。   
社頭には正月飾りの宝船が吊られ、楼門には卯杖がたっています。

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お正月には色々な行事がありますが、今日は御棚会神事。  明日は十五日の小正月とて御粥神事、明後日は武射神事と続きます。

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御棚会(みたなえ)神事とは上賀茂独自の神事で、元々賀茂の神領であった賀茂六郷(岡本、河上、大宮、小山、中村、小野)から、御棚に載せた魚などのお供え物を奉ったことに依っています。 今ではその故事にならって神社で一台の御棚を用意し、神前に献上するものです。

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先頭の神職は木の枝に雉か山鳥を括ったものと壺を担いで居られます。

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四人の白丁が担ぐ御棚には二種類の篭が載せられて、それぞれに魚介類などが入れられています。

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神事は土舎(つちのや)でのお祓いに始まります。

持って居られるのは陰陽串と云い、賀茂独自のお祓いの道具です。


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お祓いが終わった神職方が御本殿へ進まれると、御棚がそれに続きます。 
背景に賀茂の立て砂と、それに似せた形をしたお正月用のお神籤結びが見えます。

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ならの小川に掛かる橋殿の向こうを行く御棚。 かつては此が六荷続いたのでしょう

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正式の祭事の時にのみ、正面の朱塗りの反り橋が渡られます。

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その橋を渡る手前右手にある第一摂社片岡社。 御祭神の母神である玉依媛命をお祀りしており、祭事の折には御本殿での神事に先立って献餞奉幣などを行われます。

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御本殿内の祭事に参列することは出来ますが、お初穂料が必要になります。 御棚が御本殿に納まるのを見送って帰ります。
帰り道二の鳥居の中にこんなものが出ていました。 
賀茂の名産すぐき漬けの製造工程?の展示です。  樽に入れられたすぐき(蕪の一種です)を漬け込むのに梃子の原理を応用して押しつけているところです。

≪    京都えびす神社残り福2010:大和大路

下鴨神社御粥祭と三井神社    ≫

2010年1月15日 (金)

京都えびす神社残り福2010:大和大路

えべっさんの頁の三日目。 同じ日に連続して歩いた範囲を、違った風に仕訳してノルマを稼ぐ・・・始めから考えて居なかったわけでも無く、さりとてそうしようと決めていたわけでもなく、とにかく写した~写った結果の累積を”編集??”して、三日間のノルマに仕立て~でっちあげ~ました。
今日の頁は大和大路、えべっさんへの道筋で、この日はぎっしりと露店が軒を連ねます。 そこを神社に向かって歩きながら見えたもの、なんか反応するものを、無作為且つ乱雑にシャッターしたものの羅列です。 因みに絵は撮影順に北から並んでます。→(そのことになんの意味もないですが) 

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四条大和大路上がる。 壱銭洋食の店先、 十日えびすの看板。

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大和大路四条下るです。

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店番は どこいった?

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そら、えべっさんやし、福笹ですわ。

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なんせ、たべる!!

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しんどいんで、一服や。 ちょっと、

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とり鍋、& あつ燗。 どーえ。

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ちりめん山椒です。京都のもんです。

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ようするに、飲んでけ! ちゅうことやな。

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これは建仁寺の門前ですわ。

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あと少し、この先右手がえべっさん。 一昨日の頁の冒頭に繋がります。


ファインダーを覗いてません。 
前を見て歩きながら、オヤ、あれ、でシャッター押してます。
かっこよく云えばインスピレーション、乃至被写体とのリレーション。 ホンマの話はただ出鱈目に写しただけ。 フイルムでは出来ない贅沢!です。
具体的にはサブ機α350の腰溜スタイルでのローアングル、一眼他機種のライブビユーでは出来ない完全なAF,AEに頼っています。 
一眼レフの完璧なファインダーが登場するより前、ライカなんかの時代の、被写体を”目で”見て、感じて、写し取る、と云う、本来の撮影スタイルへの回帰?郷愁?ないしは実験?みたいなものですかね。
(前二日分の写真はα900で、普通に=ファインダーで世界を見て~写してますよ)

≪    京都えびす神社残り福2010:吉兆笹授与

御棚会神事2010:上賀茂神社    ≫



2010年1月14日 (木)

京都えびす神社残り福2010:吉兆笹授与

   

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色気のないタイトル第二弾は、色気だけで構成・・・
モデルさんは祇園の舞子さん・・・色気に不足はないのですが、構成が下手なんで、もう一つ張りがありません。

(ただ、ならべただけやんか)
(すんません)

 

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係員の勤務時間は14時から16時まで・・・
なんですが、途中でポジションの交替があります。

(ほんまにイロケのないヒョーゲンやな)


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福笹のお渡し係が向かって左手、福餅のお渡し係は右手に座っています。


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吉兆笹授与所と書かれた看板のところで志納三千円を納め、受け取った券と引き替えにお祓いされた福笹を授かります。

なお此の吉兆笹というもの、お守り、護符の一種ですが、聞くところに依ると此の京都えびす神社が発祥だそうです。


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そして出口側では福餅が授与されます。

ただ此れは残り福の日の舞妓さんが詰めてられる時間の間だけのこと。
文字通りの残り福なんです。

因みに祇園甲部から14時~16時、宮川町からは18時~20時の間のご奉仕と云うことで、この日の二回限定です。


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舞妓さんから福餅を授かった人は、皆さん大喜びをしています。

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以上、 専らモデルさんの魅力に寄り掛かった一日分のノルマでした。

明日はまた全く毛色が変わります。

≪    京都えびす神社残り福2010:参拝

京都えびす神社残り福2010:大和大路    ≫

2010年1月13日 (水)

京都えびす神社残り福2010:参拝

タイトルに色気がありませんね。 データ的に必要な事項を並べて事務用の文書みたい。
中味的には無理して三日分に仕立てて、その為にしゃちこばってしまったんでしょう。
しんどいので一日出た成果を三日に拡張しているからですが、自分でも変な纏め方になったと思っています・・・・・少し普通、今までと違う・・・のか、どうか。
本人が思うほど変わっても居ない、むしろつまんない?

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本恵比寿の十日は敬遠して残り福の十一日、京都えびす神社に詣でました。~と書くと殊勝ですが、「なんや、また残り福の日かいな」と、ニヤリされる方も居られるでしょう。
とにかく午後三時前、大和大路入り口の参拝客はかくの如くです。

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ぎっしりと詰まった列が御本殿に進みます。 神楽殿では殆ど途切れ無しに神楽が舞われて、授与される吉兆福笹が浄められています。

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そんなわけでお参りは一方通行、大和大路側から入って宮川町の方へ開いた裏口から出るのですが、今年はそれが二つになり、北側に出来た新しい出口は空いています。

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その北西側にある幾つかの摂社。 お参りしやすくなりましたが、あまり知られていません。

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神楽殿の前です。
左手で福笹の券を求めて入り、係りの人・・・・
(つまりこれがめあてできよったんやな)
から吉兆福笹を受け取ります。
この日は”残り福”の日ですから、出口側のもう一人の係員
(いろけのない言い方すんな!)
から、福餅が頂けます。

尚、此の写真。 現場を知っている人なら、これは写真=真を写したものじゃない!と、抗議の声が挙がるはずです。

実はカメラマンが群をなして何重にも取り巻き、係員(これは正真色気のない人です)がロープを張って必死に押さえている所なんです。

(それにしてはすいてるやんか)
(しゃしんうまいとコーなんの)


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この前も吉兆笹を頂く人が数珠繋ぎに並んで、向こうが見えないのが常時なんですが。

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従って巫女さんはひっきりなしに舞いを舞い、神前の笹を浄めて供給しています。

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求めた福笹を持って横にある縁起物の売り場に行きます。

福娘さんがずらりと並んで、前に各種各様の縁起物が置かれ、客はそれを適宜選んで、福笹に付けて貰います。


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何しろ大勢の客がてんでに好みのものを選び、もちろん代金も様々なものを付けていくのですからそれは時間も手間も掛かるでしょう。 此の賑わい、喧噪が十日戎の華でしょうね。

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そして完成したマイ福笹を持って、西側、裏出口から退出するのですが、そこのご本殿脇でもう一つのセレモニーがあります。 
そこの板戸を叩いてもう一度願い事をしていくのです。
なんでも恵比寿様は耳が、右の耳?が遠いので、正面からお参りしたときのお願いが聞き届けられていない可能性が在るんだそうです。

≪    八坂のえべっさん:宝船2010

京都えびす神社残り福2010:吉兆笹授与    ≫

2010年1月12日 (火)

八坂のえべっさん:宝船2010

昨日に続いて祇園八坂神社のえべっさん、七福神の宝船巡航です。

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石段下交差点から円山公園への車道に行列が待機しています。 
先頭の台車には蛭子さま。
これはいつもは御社殿前に座ってられる銅像ですが、今日は台座を離れて巡行の先頭です。
引っ張るのは福娘たち、此の後ろにお囃子船、次ぎに宝船。 最後に福笹を満載した船が続きます。

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宝船に、先ずは本日の主役、恵比寿様が乗ってこられました。 定法通りに釣り竿と鯛をお持ちです。

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七福神は次々乗り込まれます。 化粧方?の人達が最後のチェックです。

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お囃子船が稼働し始めました。 祇園恵比寿のお囃子はちょっと変わっていて、インパクトがあります。

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最後の船一杯に積まれた福笹。 沿道の氏子会社商店に配られます。

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石段下交差点を閉鎖して出発。 先頭は蛭子様の台車。

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続いて宝船が続行します。

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赤いバックは花見小路角のお茶屋一力の壁。

ブロンズの蛭子様は今日は御本尊に代わっての、いわばお前立ちの役目でしょう。
四条通は混合交通です。

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沿道のアーケードのスピーカからもお囃子が流れて、ムードは満点でした。

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同じく一力茶屋の前を行く宝船。 鯛はナンボでも釣れます。

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四条大橋を西へ渡ります。

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阪急と高島屋の前。 四条河原町。 
此のあと八坂神社お旅の冠者殿社にお参りし、烏丸近くまで行って長刀鉾会所のところで反転し同じ道を帰ってくる。 その間あちこちのお店などに福笹を配って歩くので、本来ならそれをフォローすると結構楽しい筈なんですが、先だって來の当方個人的事情によりこれまで。
この場からバスに乗って撤退です。

≪    八坂のえべっさん:三社詣2010

京都えびす神社残り福2010:参拝    ≫

2010年1月11日 (月)

八坂のえべっさん:三社詣2010

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十日戎。 年初十日を中心に行われる商売繁盛のお祭りです。
恵比須さんは七福神の中でただ一人国産?の神様で、ご専門は漁業の筈ですが、少なくとも正月の関西、中でも商都大阪では商売の神様として大いに崇敬されています。
西宮や、大阪のえべっさんには及ばないでしょうが、京都でも大和大路四条を下がった恵美須神社での十日戎は有名です。
此処は東側が祇園町、西側が宮川町と云うこともあり、華やかな話題にも事欠かないお祭りなんですが、今年は当方の体調もあってフルカバーは出来そうにありません。
ところでその恵美須様に対抗?して今大いに売り出されているのが八坂神社の摂社の北向蛭子さま。 今宮恵比寿ももとはこちらから勧請されたのだそうです。
9日午後3時からは恵比寿様だけでなく七福神の乗った宝船が出て四条通を練り歩き、氏子中に福笹を配って廻られます。


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初詣には遅いですが、八坂神社はこのような賑わい。 三つの神鈴に向かって長蛇の列です。

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恵比寿様とは事代主神あるいは蛭子神のことで、神社の漢字表記も色々あります。
八坂の摂社である蛭子(えびす)様は古くから参道南側に北向きに居られて、社殿は正保三年(1646)建造の重要文化財です。

この日は七福神の宝船がお囃子船と福笹船を従えて市中巡行をされますが、御本殿脇に置かれたその宝船の帆が揚げられました。


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えべっさんと云えば、此の福笹です。
笹の枝に色々な縁起物を求めて吊す。
福娘さんが大勢で押し寄せるお参り客に対応する様は正月の風物詩の一つでしょうが、今のところこちらではそこまでは行っていません。
さりながら八坂さんでの十日戎には、もう一つ他にないイベントがあります。


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それは三社詣の集印。

事代主命~えべっさんは大国主命~大黒さんのお子で、大国主命は八坂神社御祭神素盞嗚尊のお子と云うことになっており、大黒さんも摂社として蛭子社の筋向かえに居られるので、御本社を含めての三社詣でと集印です。
百メートル四方くらいの間を歩いてのことですから、一寸ばかり大袈裟な言い方ではありますが、逆に言えばそれだけお手軽に福が授かるか、とも言うことで、私は目下三年連続で頂いています。

写真は大黒さんにお参りしたあと、巫女さんから振って頂く打ち出の小槌です。


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お参りは順不同ですが、入り口に近く集印用の浄紙が置いてある蛭子様が最初でしょう。 大黒様は打ち出の小槌ですが、此処では鈴を振って浄めていただきます。

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集印を終えて奥の方へ行きました。 福娘さんが集まっています。 こちらの福娘さんは蛭子様の台車を引っ張り、福笹を配って歩きます。

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出発時間が迫って七福神もお出ましです。

毘沙門様は鉾と多宝塔を持ち鎧兜姿、仏法の守護神の一人多聞天のことです。


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布袋さんは和尚さん。

七福神は素性を調べると実に色々で神仏、天、尊。
国際混合部隊で、出身地は日本 1(えべっさん) 中国 3,インド 3(七福神の大黒さんはヒンズーの主神シヴァと大国主命の合体らしいです)と云うことです。

七福神の準備とともに宝船などが円山公園口に廻って待機して、三時には街中に出発です。


≪    神輿参内:5月

八坂のえべっさん:宝船2010    ≫

2010年1月10日 (日)

神輿参内:5月

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京都の春の祭の先駆けは先日アップしたやすらい祭とされていますが、それに続いて多くのお祭りが行われます。 
京都ならではのお祭りも多く、かつては何処の神社でも鉾が立ったのですが、今は電線だらけのせいもあり少なくなりました。
神様の乗り物についても京都では鳳輦のような天子の乗用に似たものが少なくありません。 しかしながらやはり一番多いのは写真のようないわゆる御神輿で、掛け声はワッショイ、ワッショイではなく、ホイット、ホイットが一般的です。
ところで此れは上御霊神社、~早良親王=崇道天皇を始めとする政略絡みで恨みをのんで亡くなった方の魂を鎮める為のお社~のお祭りに出る御神輿の一つで、京都でも有数の盛大なお祭りですが、写真自体にはあまり変わったところはありません。

ではなくて、後ろの建物に、ご注目。       (おっきな神社やなぁ)  (ぶ~ッ!)

此は京都御所、築地の北にある朔平門。 内側は皇后宮と女御、若宮姫宮御殿の一画です。
その昔、現在の御苑が公家の住宅街であった頃、御霊社のお祭りは此処まで入ってきて巡行したのでしょう。  それが久しく途絶えていたのですが、昨年に限り旧に復して御神輿が参内することが許されたのです。
そして三座の神輿が勢揃いしたとき、昔のように朔平門が開きました。 中に立ってご覧なる皇后を初めとする女官や皇子などの姿はありませんでしたが。


≪白馬総覧:上賀茂神社2010    ≫

八坂のえべっさん:三社詣2010    ≫

2010年2月

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