ブログ:ノルマ!!  TOPページ

                           
                      色々なご案内などを書き込んでいます。

修正 09  07/26  07/31  10/17)

0: 一般事項
この辺りに特記する事項ではなく、当たり前のこととして居りましたが、世知辛い世の中で書いて置いた方が無難なようなので此の項を設けます。
 01: 当ブログ所載の記事映像の著作権標示は (C)Sango/Morino-Fukurou です。
 02: 当ブログ所載の記事映像は原則として二次使用可です。 但し事前に目的等を明示して了解を取っていただくことが、当然のエチケットと心得ています。
 03: 良識常識外の行為とその結果について当方として責任を持ち得ませんし、必要な手段を執る権利は留保します。

 

1: 記述内容に関する訂正事項:

09/07/13アップ 祇園祭神輿蔵出し:09 のページ記述に大きな誤りがありました。  09/07/25訂正いたしました.。

 

2: ブログの移転絡みの問題点について

08年8月関西ドットComがeoブログに統合された結果、多くの不具合が発生し、大変ご迷惑をおかけしております。  09年10月現在も残っている不具合ですが:

 1)  ブログ内リンク切れ

a: 関コム時代のページ(08/09以前のアップ分)内にある当ブログ内のリンクは、サーバーが無くなった為に全て機能していません。 手動で全部(1300頁ばかり)書き直す気力は今やございません。
それで同じ境遇の某氏から頂いた”ブログ内検索”窓を右欄外に設けております。
此処にキイワードを打ち込んでいただくと、Googleが開き、、そこの検索窓下にある

  ”http://sango-kc.blog.eonet.jpを検索”    ボタンをチェックしてから、再度検索ボタンを押して下さい。

Googleが収集してくれた当ブログ内の項目がほぼ全て現れます。 目的ページ周辺のものもあり、ブログ内検索及び内容概観としてご活用頂くと、結構お役に立つかと思われます。

b: 当初の不備を解消するために、eo側で設けた検索窓がブログ頁最上部欄外にあります。これは少し宛改善されていますので、上記a:の検索欄を試みられて不充分な場合はお試し下さい。

 2)  ページ間の移動

関コム時代のページ末尾にある  前の頁へ  次の頁へ  *Blogノルマ!! 内容一覧*
に関しては上記のと同じ理由で機能しません。 ページ間を移動して頂くのには各頁トップにある”メイン”の左右に標示されたタイトルをクリックすることでお願いする事になりますが、実際上この機能はページ末尾にないと不親切です。 
前の関コムは指摘にすぐ対応しましたが、今回は期待できませんので、前後頁へのリンクを毎日手製で設けることにしました。
ただしこれも関コムの時と違って頁アドレスがアップし終えるまで判りませんので、前日アップ分から以前分で整う形になります。 尚過去に遡っての設置はご勘弁下さい。 

 3)  05/09/08以前の写真の消滅

これは関コムの仕様で画像は一点に限定されていた頃のものですが、横位置の写真が消失しています。 本来は移転時にeo側で修復すべきものなんですが、時間経過と共に逆の現象が起きて次第に消滅、今や全部消えてしまいました。
言っても直してくれそうにありませんので、此は閑を見て修繕しようと思っています・・・・
→→関コムの時アップした30000点ほどの写真をeoからCDとして送ってきたのですが、ファイル名とNoが変更されていて、それに法則性がありません。 必要な写真を探し出す作業は絶望的な偶然性に頼る事になり、これ又戦意喪失中です。 

   

 

 

 

2010年3月12日 (金)

三条通10/03/08:その2

御幸町から西へ歩きます。 京都市の”歴史的界隈景観地区”  京都文化博物館前の歴史的建造物案内盤には、寺町~室町の間に13件の建物の名が記されており、和風住宅から煉瓦造(風)の洋館まであって文化財的な価値も色々ですが、通りとして一つの景観を作っているとも言えるでしょう。 西から東へ歩きました。

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これ、さっき書いた案内盤には出てません。 が、パーキングタワーで駐車場業をされるのに町屋パークと号して町屋(的)エントランスを設けられる辺り、なかなかと思いますが。

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これも建物は本筋に無関係(煉瓦タイル貼りで気を使ってはりますよ) ただROLEXという相当に大時代的”名前”ブランドが威張って回りを支配している辺りに、此の通りらしさ?を感じたのかも。

因みに私は目下マルマンのソーラー電波時計¥2900をしていますが、腕時計の機能としては今まで持った中でこいつが最高ですわ。
(毎日0時に勝手に時刻合わせするので、狂いようがないですし、電池の無くなる心配もないし~但し良くできていて、ゴムの腕バンドの寿命が二年程度で且つ交換が利きません)


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富小路西北角のSACRAビル。 旧不動貯蓄銀行。

大正始めの建物で、今は着物や小物など、物販系のお店が入ってます。


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和風旅館です。 日昇別荘。 右の木造二階建てが本館で、江戸期の商家であるとか。

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柳馬場(やなぎのばんば)西北角、日本生命京都三条ビル。
辰野金吾、片岡安設計。 大正3年竣工。

角の部分だけが旧態保存されて、お店として使われています。


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堺町角の分銅屋さん。 私が記憶している限りの昔から此の佇まいで営業されています。

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京都文化博物館。 旧日本銀行京都市店。 高倉西北角。

後方に新築された部分が博物館の主体部ですが、正面の旧日銀側は外装内装ともそれ自体が展示物でもあります。
偶々休みの日(月曜)で今回は内部の画像はありませんが、古いページはこちらからどうぞ。

京都文化博物館別館その1

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中京郵便局。 旧京都中央郵便局。 東洞院(ひがしのとういん)東北角。

明治35年築。 昭和49年外観を残して内部を耐震的に且つ現在の局舎機能に適するように一体として改築されました。
歴史的建造物保存手法の一つの典型例です。


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烏丸まで来ました。 西南角は元の第一勧業銀行で、今はみずほ銀行京都中央支店ですが、実は全くの新築です。 以前にあった建物の外観をそっくり再現してはいるのですが、どうにもしっくりと来ません。 違和感が残ります。 もう少し時間がたてば良いのかも知れませんが、古い良い建造物を残すという意味では??ですね。

≪    三条通10/03/08:その1

2010年3月11日 (木)

三条通10/03/08:その1

三条通。 条坊制由来の東西メインストリートで市の中心部です。 但し四条や御池のような現代の大路ではなく 道幅だけで言えば普通の通りです。 ですがやはり歴史的な由縁があってかキャラが立ったエリアも多く、その中で一番馴染みの多い寺町の交差点辺りを拾ったのが今回分で、明日は烏丸までの一町ロンドン、明治以降の文化財的建築が並ぶ辺りをアップいたします。

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新京極の三条突き当たりです。左から来るのが新京極で、緩い坂を上がって三条通りに繋がりますが、これはたらたら坂と云い、新京極七不思議の一つ。 何が不思議かというと、平行する寺町通には坂がないのに此処だけにあるからですが、河原町と木屋町の間の狭い通りにも同じ現象があります。
昔の幹線~東海道の終点であるポイントと鴨川の河原との高低差?。

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寺町との交差点に移動しました。

寺町の通は此処で南北食い違いますが、これも鴨川の流路が少し西へ振れ出すのと関連があるのでは?

つまり昔の鴨川の河原はもっと自由に幅広く、それに沿って秀吉がお土居と寺(の)町を作った。
自然に逆らった人工の痕跡で、たらたら坂も明治の始めに時の権力者(京都府のエライさん)が新京極を拵えた時の副産物・・・・・いずれも妄想に近い戯言です。

その寺町の交差点。 なんの変哲もなく美的価値もないタダの交差点ですが、なぜか四方を向いて写してしまいました。
自分でも意図していないことですが、なんか変なシャシンの束が出来ました。
(原因はハッキリしていて偶々20mmの広角が付いていた、と言うだけのことです)


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交差点から南の方。 古美術屋さんと三嶋亭の木造三階建てには得も言えぬ味があります。

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ちょっと南へ下がって三嶋亭の正面側。 インテリアもなかなか味があって、此処ですき焼きを食べたら天国ですが、年金爺には天国も遠くなりました。

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寺町の北側ドンツキには手足を蠢かしている巨大蟹。 かに道楽本店。

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三条通りの西向き、京極の方。 実際問題としてはつまらない小汚い交差点(おこられるで!)なんですがね。 因みに新京極は終日、寺町は昼間車の進入禁止でデリバリも此処までです。

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そこを一筋西へ行って、御幸町(ごこまち)の交差点。

南東の角に旧毎日新聞京都支局のビルがあります。
今は飲食店ばかりのようですが、地下、二階と割拠してそれぞれが自己主張をしてられるようでもあり、大きく見れば概ね同じ傾向~デザインもメニューも~で揃っているようでもある辺りが面白くもあリます。


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地下のお店 ”CAFE INDEPENDANTS”への階段。

踏面のタイルデザインが秀逸です。


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三条側の入り口ホール。

扉の札には ”MUM'S THE  WORD" とありました。

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建物の西南角、富小路側です。 ヌーボー調の入り口は”ラヂオカフェ”、左のビルの入り口からは地下のお店"PARALLAX RECORDS"へ行くようですね。

≪        京都植物園:10/03/07・日本の森

三条通10/03/08:その2    ≫

2010年3月10日 (水)

京都植物園:10/03/07・日本の森

当ブログの駆け込み寺、京都植物園ですが、流石こんなにしょっちゅうの神頼み仏頼みでは神通力も発揮していただけません。 変わり映えしない内容で逃げ回ることになり、今回のように未だ蕾の連中まで引っぱり出すことにもなります。 それでも何とかブログを保たせていただけるところは、やっぱり駆け込み寺、信心する値打ちはありそうです。   

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ミツマタですが、やっと一つ開き始めました。 これだけの花の束が三つ組みになって、それがまた無数に付いているのの中の一つだけなんです。 (ムリしはるワ)

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クリンソウ、九輪草。 九壇になって花の輪が出来る筈なんですが・・・・

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柳の類に違いありません。
春の息吹、と言っていいでしょう。
名前については、遙か遠くに小さな名札が付いていたのを写して帰って拡大してみました。

ヤナギ科  キヌヤナギ と読めました。


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オオミスミソウです。 キンポウゲ科   本州中部の日本海側だそうです。

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元々良く知らないのに開ききっていないのでは図鑑でも調べきれません。でも可愛い蕾です。

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これも未だ蕾で花が開くのはこれから。 ただこれは判りました。 フッキソウ 福喜草です。

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ミヤマシキミ  ミカン科で、図版で見ると紅い実が付いていますが、これから花になるのでしょう。

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これも見覚えがあり、言われれば、あぁそうか、でしょうが、名前が出てきません。
キクザキイチゲの散りかけ?

実物はうんと小さいです。


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小さな流れの中の、花びら三枚の小さな小さな花です。


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ユキワリイチゲ キンポウゲ科  札が立っていると安心です。

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座禅草の現状です。 葉っぱばかり大きくなって、でも中に座っているお坊さんの姿が見え始めました。

≪        京都植物園:10/03/07・梅、桜、杏

三条通10/03/08:その1    ≫

2010年3月 9日 (火)

京都植物園:10/03/07・梅、桜、杏

だいたいイベントが少ないときなのに雨ばかり、無茶苦茶暑いかと思えばこれからまた寒くなるとか。 毎日アップのノルマは大変です。 9日には貴船神社の雨乞い祭 があり、此処での写真はユネスコ のパンフレットに採用して頂いたりした因縁もあるので、是非行こうと思っていたのですが、どうやら大雨のよう。 (雨乞いやもん、アタリマエやろが)
おまけに叡電貴船口からのバスは未だ冬季運休中の筈ですので、今の私の体力ではどうしょうもありません。 いざというときの穴あき対策はあの手この手と結構してあるのですが、先の見込が暗い身にとってはできる限り出し惜しみもせねばなりません。  日常ペースで穴を明けないためにはつまりは駆け込み寺、京都植物園へ。  雨? 梅に雨、エエ写真になるかも  (ツユのシャシンか??)

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北門脇の梅園の梅はようやく咲き始めました。

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木によっては未だのもありますが、一応白、赤、ピンクなど。

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半木の東の池の梅林は、もう落花盛ん、と言ったところです。

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雨は丁度小降りでしたが、足元はとても悪かったです。
それでも日曜日なので、そこそこの人出がありました。


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此処からは桜。 キンキマメザクラ 近畿豆桜です。 このあいだ今年の成績は悪いと書きましたが訂正。 結構びっしり綺麗に咲き揃い始めています。

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場所は日本の森の一番北側の道の真ん中辺りの北側です。

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もう一つの桜。 寒桜も前より揃い始めました。 

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寒桜などと言っても、やはり暖かい方が良いんでしょうね。

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こちらは杏。 当ブログ立ち上げの頃からのお馴染み、杏姫です。

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未だ真ん中の杏姫だけが咲きはじめですが、回りの木も蕾み膨らむ、の状態です。
杏の花盛りには、桜とも梅ともまた違った華やかさがありますよ。

≪        錦天満宮(但し旧聞)

≪        京都植物園:10/03/07・日本の森

2010年3月 8日 (月)

錦天満宮(但し旧聞)

錦市場の東の突き当たり。 錦小路が寺町を過ぎて新京極に突き当たった所に錦の天神さんが鎮座されています。
錦小路は此処で無くなるわけですが、まさに錦市場の鎮守宜しく此の京都一有名な市場の通りを見通して居られるのです。

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少し時間が遅くて、白梅に雪洞が映えていました。

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錦の手水は向かい合って二つありますが、何れも名高い名水を絶えず流し出しています。

此は社務所の側の分。


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反対側のこちらは、容器を持って頂きに来る人が多いようです。

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繁華街の狭い敷地ですが、脇に幾つもの摂社があります。 此はお稲荷さん。

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十二社だったか、良くある神様の団地??です。

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狭い中にささやかに華やかに紅梅もあります。

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牛さん。 天神様にはつきものですが、こちらのがっちりしたブロンズ像のおでこは皆さんに撫でられて、テカテカに光っています。

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錦通りの方を向いた御本殿正面。

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更に引いて新京極の通り越しに見たところ。 此の提灯が目印です。

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前の写真の振り返り。 一の鳥居と言ったところですが、此が又名物。
鳥居の先端がビルに埋まっています。  繁華街で上空を越境している神様との折り合いが、こう言うかたちになったのでしょう。

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そしてその下に目をやると、
此処から京のお台所錦小路、錦市場が始まります。


このページ、実は一昨年三月の制作で、発信し損ねて冷凍保存し、正味二年遅れてのアップです。

(ショーミ期限、きれてへんか?)  (中毒はしやへんおもうけど・・・)

≪    下鴨神社の雛流し:2010:下

京都植物園:10/03/07・梅、桜、杏    ≫

2010年3月 7日 (日)

下鴨神社の雛流し:2010:下

なんせ賑やかで華やかな行事ですから、その部分をアップする迄に二日掛かりました。
(けっこうカッテなハナシ、ちゃいまっか!?) 

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宮川町からお三人、聞くところに依ると、この頃は宮川町が元気良く、舞妓さんの人数も一番多いとか。 ~未確認情報でした。

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と、いうことで、

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お三人揃っての流し雛ですが、

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そのアクションの流れ、きれいな揃い方にご注目のこと。 

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ヤッパ、立ち居振る舞いがホンマモン。 今時稀少でっせ。      ジスイズジャパン 

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 ( 裏地紅い、・・・・・ )

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と、言うことできれいどころが席に戻られた後は、タワワちゃん登場。

そこら中に愛想を振りまいて歩くのがキャラであり、お役目でもあるのでしょうが、階段途中で余りお仕事熱心だと、アブナイあぶない。


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あんなんでよう前がみえるもんやな~、と感心している内に、見事にお仕事を終えました。

拍手喝采。


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その他多くの招待者関係者の雛流しが終わって、いよいよ一般参加者の出番です。

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大小のお雛様の桟俵は、ゆっくりと流れに乗って動いて行きます。

この日も季節外れの暖かさ、とても春らしくなって華やか、賑やかな雛祭りになりました。


≪    下鴨神社の雛流し:2010:上

錦天満宮(但し旧聞)    ≫

2010年3月 6日 (土)

下鴨神社の雛流し:2010:上

三月三日は桃の節句、雛祭り。 
家庭でのお雛様の他、あちこちの社寺でも色々な催しがあります。 中でも下鴨神社の雛流しは京人形の商工業協同組合が主催されることもあって賑やかです。   

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場所は御手洗池、井上社から流れ出る流れに載せて桟俵のお雛様を流して祈ります。
流れに架かる反り橋の傍らには名物の光琳梅が満開でした。

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行事は10時頃から始まって、橋殿に飾られたお雛様の前での記念写真が出来、大道芸などのアトラクションがあって、10時半からは十二単の着付け実演となります。
此のモデルさんは後ほどの雛流しでは女雛役を務められます。
11時10分から御手洗池で式典が始まり、お祓いの後色んな方が雛流しを行い、12時頃からが一般参加者となります。
桟俵に載せた男雛女雛の人形は大小あって、御手洗池に流すのはいわばヒトガタ流しと同じような意味あいもあるのでしょう。
10時20分から授与の受付が始まって、先着250名は無料、以降大千円小五百円で販売されます。

と言うところが、公式のコメント内容ですが、先着250名に入るには1時間前位に列に並び、池の畔の良い席に座ろうと思えば、それより早く行かねばならない、と言うのが実状です。

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と言ったことで、境内は早くから賑わいますが、但し些か偏った感じで、マニアック?な人たちが先に溢れます。

(おまえさんもそのひとりやな)
(そ~かも)

とはいうものの、このような大道芸などもあり、拍手喝采です。


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手に持ってられるのが桟俵に乗ったお雛様。

お嬢ちゃんは初節句かな?


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時間になりました。 この行事の参加者が集まってきました。 その顔ぶれの多様さ、賑やかさがこの行事のポイントの一つでしょう。

宝鏡院のご門跡など来賓の他、宮川町の綺麗どころに、キョウトタワーのマスコット、ゆるキャラのタワワちゃんも居ます。

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御手洗い池正面には男雛女雛の役目の方も座って、神事がはじまります。

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最初は神職さんから。

桟俵のお雛様を捧げて石段を下り、池に設けられた赤い高欄を巡らした台に進まれます。


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流し雛は向かって左側の井上社の床下から湧き出る流れに乗って、右手方向へゆっくりと流れていきます。


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宮司さんも雛流しをされました。


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そして内裏様とお雛様が降りてこられての雛流しです。

ついでながら~当然の事ながら、立ち方並び順は京風、御所風でっせ。


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このようにしてご列席の方々が、順次台上から桟俵のお雛様を流されますが、フォーマルな部分をアップしたところで今日はお仕舞いです。 

(ホンマにみたいおもてはる部分はあしたかいな)  (そうなりますな)

≪        上賀茂神社手作り市10/02/28

下鴨神社の雛流し:2010:下    ≫


2010年3月 5日 (金)

上賀茂神社手作り市10/02/28

また今月も上賀茂さんの市へ行きました。 どうも癖になりそうです。
15日の知恩寺に比べて雰囲気、人出とも未だ少しゆとりがあり、緑の中でリラックスできる辺りが良いところでしょう。   

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何時もの社頭ですが、手づくり市の大看板が座っています。

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お参りをした後、今日は真っ直ぐ真正面、つまり二の鳥居のところから入って、キチンとお店を一巡してきました。 天候が怪しかったせいか、お店も人出もやや少ない感じです。

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例によって品物への関心よりも、写真的情景で撮っています。

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この間の”エレキ虫屋”さんがまた出てはりました。 右手が自然素材の小さな飾りもの。
真ん中が例の虫達 です。

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今日は左にあった ”貝がら蝶” に着目です。

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此処の市は ならの小川 の水辺と言うのが良いですね。

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陶器や絵などの場合、たまに撮られるのを避ける方が居られますが、こちらは快くOKです。 その辺りの雰囲気も此処の場合はハイレベルな感じで好ましいです。

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つい上賀茂らしい情景に目が行ってしまいます。 庁屋の北側、渉渓園との間です。

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3時13分現在、完売御礼。  店主さんのお姿は見えず。 カレー粉のお店です。

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神社の一番奥、 二葉稲荷さんの登り道に通じる方です。

木々は大きく、鬱蒼としています。


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ならの小川畔でこんなお店を見つけました。 
刃物屋さんですが、注文の包丁にタガネで銘を打って居られます。 すぐに ”My包丁”が出来上がります。 こうした手作り市ならではの事、いいですねぇ。

≪        梅花祭2010:市

下鴨神社の雛流し:2010:上    ≫

2010年3月 4日 (木)

梅花祭2010:市

いわゆる縁日の市で京都で大きいのは21日の東寺の弘法さんと、此の25日の天神さんでしょう。 いずれも露店が多数出て賑わう大規模なもので、食い物系、植木系、古物古着系と概ね似たようなところもあり、雰囲気的に少し違ったところもあり、と言った感じで、それぞれのキャラクターが在るみたいです。    (ソラ、神さんと仏さん、上カミと下シモやもん)

正直なところ、天神さんも弘法さんも写真的には何時行っても同じ事で、スナップ的偶然以外にはあまり変わりません。 (アンサンにシンポが無いしゃ)(むりいうな!)  それで去年の終天神 には70-300mm一本勝負で、自分の目がカメラについて行くかやってみました。 〔結果は60点くらい?〕 今回は24-70mmの24側固定でのトレーニングです。

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古物系でも”顔”が付いたものは、色々言われることがありますね。

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手前は植木屋さん、向こうは正面参道のお店を裏側から見た格好です。

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南の入り口近くですが、西側の隅っこです。

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脇のお寺側は植木屋さんのエリア。

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この方、外人さんですが、えらく熱心に見て回ってはりました。

但し、小盆栽専科です。


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盆栽や苗木の向こうに古着、その向こうが正面参道。 天神さんですわな。

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前の写真の続きみたいなところです。

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参拝をおえて北門を出ます。 平野神社の正面になる道です。

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鹿の角と古い兜。

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結構大規模な反物屋さんでした。 境内の西側です。

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一の鳥居近くまで戻ってきました。 御前通り添いの境内ですが、平行する外の通りも露店が列びます。

以上24mm一本勝負でした。  (ラクダイちゃうか?)

≪        梅花祭2010:梅

上賀茂神社手作り市10/02/28    ≫

2010年3月 3日 (水)

梅花祭2010:梅

二月の二十五日は北野神社の梅花祭。 好天と三日続きの高温に恵まれて、物凄い人出でした。
大体梅の花を撮るなら何も二十五日に限らず、天神さんの縁日を撮るなら二月でなくても良いわけですが、とにかく人が集まります。 (ゆ~てる本人はなんなんやね)
カメラマンは年輩者でフイルムの人が多い傾向があり、なぜかひどく目に着いたのは外人さん。 それも青い目系の人が大勢上等のカメラを振り回している、と云った様子でした。 
梅に関しては何処で撮っても梅は梅、とヅボラに構えているせいで、写ってるだけに近いものですが、とにかく天神さんの梅花祭の梅として一日分稼がせていただき、露店、市の方は明日アップします。 

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楼門内の西側に紅白の幕が張られてお茶会です。 周囲の幕の上から人が覗き込んで、あまりいい雰囲気とも思えませんでした。 (このシャシンとったのはだれや?)

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とにかく先ずは参拝です。 こちらに限ったことでもありませんが、お鈴の前に列ぶ人が多くて長い列が出来ます。 左手の紅梅は見事なものですけれど、未だ少し早かったです。

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どうもこの辺りから写真がいけません。

梅という花、嫌いではないのですが、なかなか良い具合には行きません。


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第一に画面構成、目の付け所が悪いですね。


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ピントやなんかも曖昧で、メーカーに叱られるかも。


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とにかく暑い日で、此の写真を見てもそれしか思い出せません。


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南から入って北へ。
御本殿北側の摂社の辺りは特に整っていて、写真は撮りやすいですが平凡なものなってしまいます。


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北門脇にある文子天満宮

御祭神菅原道真公の乳母であった、多治比文子(タジヒノアヤコ)と云う方をお祀りしています。
同じ名のお宮さんが市内由緒の地に幾つか在りますが、この方が始めて神として道真公をお祭りされたのです。


≪    上賀茂さんやれ2010:上賀茂神社

梅花祭2010:市    ≫

2010年3月 2日 (火)

上賀茂さんやれ2010:上賀茂神社

最初の組と次ぎの組が上賀茂神社へ向かった後も、私は三組目とともに大田神社の拝殿にくっついていました。 何しろ狭い中にあがりと関係者一同入って居られるので、前半では舞われる里神楽の映像が撮れなかったからです。
そしてその後は藤木社の大楠の辺りまで走って行列を待ち、上賀茂神社へ向かう道中を撮影です。 こうしたハードな作業には最早全く不向きな年齢で、終わってみればこれから後の映像が手薄になってます。

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此の最後の組は太鼓や鉦、笛などの鳴り物が豊富なようで、あがり二人を囲んで大行列でした。  背後に見えるのが藤木社の大楠で、右が明神川です。

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進行方向には社家町の土塀が続きます。

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この辺りまで来ると、社家への入り口や脇道の橋の上に見物人の姿がありました。

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上賀茂神社の参道を、一の鳥居を背後にやってきます。 上賀茂の神職さんが何やら”取材”中ですが、”あがり”の姓名聞いて祝詞にでも入れようと言うのかな?

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二の鳥居を潜る一行。 今年の二月二十四日は去年とは打って変わっての猛暑?!になりました。 先走りした私ならずとも、皆さん多少へたったようでもあり。

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三組目が御本殿へ向かうのと入れ替わりに、一組目の三人が退下してきました。
立て砂の前でポーズして皆さんのアンコールに応えています。

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御本殿内囲い内での祭儀は例によって非公開です。

暫くして三組目の一同が退出してきます。


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御本殿前の石段での記念写真を横からちょっと。  フォーマルに撮って居るんでしょうが、なんか自然にくだけて、とてもいい感じな写真になってます。

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終わってバラバラと楼門外に出てきます。
皆さんホッとした様子で、この辺りで一行は散り散りになりました。

上賀茂神社の参拝で今日のお祭りは終わったようです。


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ところが、あがり君だけがなんとなくその辺に残っていて、写真にポーズしたりしています。
お供や関係者がゴチャゴチャと居ない分、私にとっても歓迎すべき状況ですから、上賀茂らしい瞬間をと、他のカメラマンや取材陣が皆居なくなっても粘っていました。

(ホンマはへばってウゴケンカッタンやな?) (きょうがタンジョウビ やもん)


そしたら一番手近にいた一人が、また向こうの方へ引き返していきます。

ならの小川や、奥の山口社の方へ行くのかな。
それだったら背景は絶好だよな。

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なんと何人かに増えた一群が立入禁止の注連縄を無視して、背後の山へ入っていきます。
どんどん登って、姿が見えなくなりました。
この神社の後ろの山は神域になっていて、登る石段は見えますが入ってはいけません。
ただ私は小さい頃この辺りの山の中でも遊んだ覚えがあり、戦争中はゴルフ場もなくて出入りについて今のような規制はなかったと思います。 詳しくはありませんが、おおむねの雰囲気は判ります。
踏み跡のような道があり、祠の礎石みたいな人の手の跡もあったりするところ、つまりは一種の里山です。 
私はその場に立ちつくして、何時皆が降りて来るか、次ぎに何が起こるかを待ちました。
やがて微かに太鼓の音が聞こえて、例の「おんめでとうござ~ある」の祝い言葉も山の奥から風に乗って確かに聞こえてきました。
だからと言って、登っていった一行の後を追うわけには行きません、その資格は私には無い筈です。
一行が降りてくるまでは辛抱できませんでしたが、さんやれ、幸いあれ、山の神に詣でる。と云うお祭りは、ホントに山の神に詣でる地もとの人だけの儀式なのでしょう。 ひょっとしたら上賀茂さんも蚊帳の外なのかも知れません。

お祭りの合間に一行の中の方に聞いたことがあります。
「新住民の方の参加はどうなんですか?」 
一人の方は言下に 「無い!」 と言われ、もう一人は「閉鎖的やなぁ」と小さく呟かれました。 内省的な口振りに聞こえました。
それを思い出して、やっぱり賀茂は奥深いな、と改めて感じている次第です。

≪    上賀茂さんやれ2010:大田神社

梅花祭2010:梅    ≫

2010年3月 1日 (月)

上賀茂さんやれ2010:大田神社

10時半過ぎた頃でしょうか。
遠くで”ドン、ドン”と太鼓の音が聞こえだし、やがて最初の組の行列が見え始めます。
各列は少し間をあけてお参りするようですが、今年の”あがり”は三地区で五人。
一つの地区は該当者がおらず、但し行列はきちんと編成されての参進でした。

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先頭には此処のフォーマルウエアである大島紬姿(つまり あがりと同じなり)の長老が三宝に御神酒を捧げて立ち、以下神餞と大人の男。
お祓いの真木を持ったり、鉦を首から下げた年下の少年たち、そして太鼓を打ちながら進むる あがり の後ろには笛、家族や地区の人などが続き、

「おめでと~うござぁ~る」

と、独特の節回しの祝い詞が入ります。


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最初の組が社頭に到着。

此処で少し時間調整か、あるいは神前の用意が整うのの待ちか、暫時休息です。

行列が捧げてきた御神酒と神餞が神社の標柱のところに置かれてありました。

向こうに見えるのは福徳社です。


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太田の沢側に座っている子等は鐘掛り、もう何年かであがりでしょう。 前にいる更に年下の子は先頭を祓うお榊と弊、真木の持ち手です。

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これが本日の主役の あがり たち。

大島紬の着流しに羽織姿、白い襟巻きに黒足袋で下駄履き。 これが地域行事での正装なのでしょう。
素朴ですっきりとしていますが、今日日なかなか纏うことも難しい素材、仕立てで、とても良い好みだと言うことですね。

偶々ですが天然記念物の標柱と歴史的風土特別保存地区の標柱をバックに立ってます。

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そして正式な儀式、お参りが始まりました。 行列と同じ順序で、真木、鐘、太鼓を打つあがり、笛、と続き、福徳社の周りを三度、時計回りに巡ります。

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そして緩い登りの参道を御本殿へと進みます。 背景の木立の中に幾つかの末社が見えています。

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割拝殿の土間に立って神主さんからお祝いの言葉を頂き、大麻の祓いと祝詞を受けます。


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参拝が終わると、こちらでも真木を先頭に御社殿の回りを右回りに巡ります。


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鉦を鳴らし、太鼓を叩き、

「おんめでとう ござあ~る」

と囃子詞を唱えながら三度。


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そうこうしている内に次の組がやってきました。 只此の組には15歳のあがりが居ませんので、「来年は」と、平服の代役が太鼓を鳴らし作法通りの参拝がありました。

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三組目が到着しました。

此の組には あがり が二人居て神前に進み、先と同じように参拝とお祝いの神事が行われます。
その中でこれが”最も素朴、原初的”と評せられる大田神社の里神楽
里の女性が勤められるものですが、この場に立ってひたすらグルグル回るだけ。
以前に聞いたところでは目が回ってトランス状態になり、神懸かりして神託を口走るようになる、と云うのが、巫女さん本来の形なのではないか、と言うことでした。

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最後に巫女さんからお鈴を受け、神主さんからご神酒を頂きます。 
ところで後ろの晴れ着のご婦人は、弟さんをおんぶしたお母さんかな? その後ろはお姉さん? まことに地域のお祀り、お祝いの光景です。

(新成人いうても15歳ちゃうんか?)  
(いわいのせきでゴチャゴチャいうな! 神さんが ノメ! ゆうてはるんや)

此の後一行は明神川の畔社家町添いに進み、上賀茂神社へ詣でます。 そのお参りが終わったあと、実は此のお祀りの真骨頂を垣間見るような機会がありました。

≪    上賀茂さんやれ2010:社家町

上賀茂さんやれ2010:上賀茂神社    ≫

2010年2月28日 (日)

上賀茂さんやれ2010:社家町:

上賀茂というのは現在ではもちろん市内、地下鉄北山駅の北っ側の方、と云うことなんですが、元を言えば平安京の近郊農村でありました。 今でも名産のすぐき菜の畑などもありますが、 素朴な農業的風土の中に首都のお膝元の文化圏ならではの 奥深さが残っているところだと思います。 そう言う意味で上賀茂神社のお祭りである燃灯祭 や、社家の同族会のご奉仕の競馬 (くらべうま)さらには葵祭の後の山駆け 等はもちろん、重陽の節句の烏相撲 奉納や地域が主催する 上賀茂やすらい 、それに今回のサンヤレ、幸在祭などまことに多様多彩で、改めて千年の都とその文化とはどういうものなのかを考えさせられものがあります。

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さんやれ、幸在祭とも言いますが、これは上賀茂地域の古くからの住民独自のお祭りで、男の子が十五歳になると正式に地域社会の構成員として迎えられる、つまり成人式ですが、古くは山の神を祀って田に迎える儀式らしく、地区内を廻って幸い在れと祈る行事です。
村社的なところもある太田神社に先ず詣で、世界遺産でもある上賀茂神社へと参拝しますが、その次第や周辺の内容を幾らか知ると、普通の神社のお祭りとはまた違った古く深い由縁があるというような面が感じ取れるような気がしてきました。
実は去年始めて伺ったのですが、大降りの雨に遭って上っ面を少し見せて頂いただけに終わり、今年こそ、と再度出掛けました。 神社のお祭りとは違うのでスケジュール管理する主体などははっきりしません。 幾つかの地区毎に新成人、~”あがり”と云います~が居る家~宿というのかな?~がベースになって行列を整え、地区内を巡って概ね10時過ぎには大田神社、と云うくらいしか余所者には判りません。
五大力さんで馬脚を現した似非京都人が窺うには、少しばかり大きく古く凄い中味があるように思います。 その辺りが巧くお伝えできるかどうかは疑問ですが、まことに隅に置けないまことに中身の濃い都の周辺農村地区なのです。

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さて、時間的にはルーズに出掛けました。 10時頃大田神社付近に居ること。 行きがけは当然明神川沿い社家町の道経由ですから、その辺りも一通り眺めて行こうというわけです。
前の二枚の写真が社家の並びと、その前の明神川の情景です。

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何故か知りませんが一応の身繕いされた神職さんがお二人通り掛かられました。 社家町というのは賀茂社神官のお住まいで、景観的には旧の侭を保っていますが、今は一人もお住まいではありません。  さりながら社家町を神職さんが歩いている~当然の事として絵になります。 近所の方とは顔馴染み、挨拶を交わされながら行かれます。

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明神川が社家の並びから逸れて南へ行く辺りに樹齢五百年の大楠があり、下には藤木社が鎮座しておられます。 社家と藤木社大楠
あれ、二人の神官さんはそこの角を右に廻って行かれました。 何処へ行くんだろう。 大田神社は東へ真っ直ぐもう少し、今日のお祭りは関係ないのかな?

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上賀茂神社の前の道を明神川添いに東へ行って、大楠を過ぎると信号があります。 そこを左に曲がった山裾の突き当たりが大田神社。 これは神社の前の道との交差点に立って西の方~上賀茂神社の方を見ていますが、角にお社がひとつ在ります。 大田神社の末社で、大田神社は上賀茂神社の境外摂社です、が・・・それは諸事整理された今の話。 
大田神社は上賀茂さんより古くから此の地に居られたと言うことで、御祭神は天宇受売命(アメノウズメノミコト)です。  写真のお社は福徳社と云い、御祭神は福徳神で鎮座年代不詳。 
そして”さんやれ”は実はこちらのお祭りのようで、福徳の神が村の中を巡られるのを象っているのだ、と云うことらしくもあるのです。

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前の写真の直角右側を見ています。 上賀茂神社から大文字送り火の妙法へ連なる小山の並びを背後に、右手に杜若で有名な太田の沢を控えて大田神社です。

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これが太田の沢。 東にある大きな深泥池とともに天然記念物です。 杜若ばかりが全国版になって有名ですが、この神社及び上賀茂の里が如何に驚くべき存在であるかは、今回のページ(と中のリンク)を丹念に読んでイメージを膨らませていただく必要がありそうです。

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なんとなく歩いて大田神社です。 10時過ぎくらいでしたが先にお参りを済ませます。 このように”あがり”の参拝を祝う準備は出来ていて、白砂には綺麗に箒目が入って居ました。
今五色の幕に囲われていますが、此の拝殿は本来周囲が吹きさらしで、両側に縁側状の板間があり真ん中は土間で、神殿とは切り離された割拝殿と呼ばれる形式です。 今日は右側に神事進行方、囃子方、巫女さん(全て里の人です)が座り、左側に神職さんが座られます。 (年に三度の勅使は左側にお座りでした)

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ものものしい手水の施設はありません。
参道脇に山の水がさやさやと流れ落ちています。
この辺りの雰囲気も、そうと思って見るとただ者ではないように見え始めます。


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神前から鳥居の方を振り返ります。

参道に巫女さんのお姿が見えました。 そろそろかな、と、サンヤレの行列を待って居られるのでしょう。

因みにこの時点で境内にいたのは私一人でしたが、やがて何人かの余所者が集まり始めました。 普通のお祭りと一寸違った雰囲気だったのは、概ね筋金入りのジャーナリストと、まともなカメラマンのようでして、いい加減な騒がしさはありませんでした。


≪    五大力さん餅上げ奉納:2010

上賀茂さんやれ2010:大田神社    ≫

2010年2月27日 (土)

五大力さん餅上げ奉納:2010

”五大力さん”に関して如何に無知であったかの恥は昨日曝しました。 今日の頁は私が唯一事前に知っていた、大きな鏡餅を持ち上げる力比べです。 

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これは五大力さんに”力”を奉納する、と云う趣意の宗教行事の一環でして、山伏さんが奉行以下数人立ち会われて審判を務めて居られます。 女子は12時から始まってその後男子がありますが、私は女子だけで退散してしまいました。
因みに抱え上げる餅の目方は、女子が90k男子150k、持っている時間を競うのですが、過去のレコードは女子8分36秒男子12分4秒、この日女子の部では8分41秒の新記録が出ました。

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最初に力比べの順番を決める抽選が行われます。

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一番から三番までの出場者には、プレス取材に対応する義務があるようです。


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ちゃんと持ち上がったか、審判役の山伏さんが周囲からチェックしています。 右の方は計時掛かりのよう。

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日の丸をほっぺに出場です。 優勝したのはこの方ではなかったと思いますが、七分か八分台で多分準優勝くらいの成績の筈。 先ずはエイコラサと持ち上げにかかります。

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”決まった!”  時計スタート! 総奉行の右手が挙がって合図がありました。

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そして持久戦。  一分、二分、七分過ぎ、

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持ち上げが成立し続けているかどうか、審判の厳しい目が光ります。

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アカン!、あぶない!  もう限界です。  次の瞬間ダウンでした。

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選手が次々に台上に上がりますが、中には全く持ち上がらない人も居ました。

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膝を使って抱き抱えるのはいいけれど、お尻が床に着いたり、前の台に膝を突いたりしたら駄目、と云うルールのようでした。 

ところでこの人が優勝者だったかな?

≪        五大力尊仁王会2010:醍醐寺

上賀茂さんやれ2010:社家町    ≫

2010年2月26日 (金)

五大力尊仁王会2010:醍醐寺

五大力さん。 京都ではよく聞く言葉です。 
そしてそのお札は町屋の玄関先などで普通に見かけます。 お台所にある愛宕山の火伏せのお札とどっちが多いか、と云うくらいに。
処が我が家にはありません。それどころか実は醍醐の五大力さんには行ったことが無く、そこでどう言うことが行われているのかも知らず、ただ力比べの大きな餅上げがある、と云う事を新聞報道などで聞く程度なのでした。
京都の寺社やイベントでブログを云々と言ってる奴が馬脚を現した感じで、わずか100年三世代前に京都へ出てきた似非京都人の正体丸出しです。

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醍醐山は勿論大寺院ですし、若い時の仕事でも御縁があったりし、何しろ国宝重文だらけの処ですから相応に訪れ、勉強もさせて頂いています。
なのにこちらでの最大の法事である五大力さんには全く御縁が無く、結構マンネリ化しかかっている当ブログにとっても未開の地でありました。
と、云うわけで2月の23日、お参りに出掛けた、と云うわけです。
何時もの取材?ですと、イベントの内容次第を下調べして時間など気にして行くのですが、今回は全くの無知故に無手勝流。 朝飯食って身支度が出来たら出掛けます。 10時近くになっていたでしょうか。
幸い今は昔と違って足の便は格段に良くなっていて、その地下鉄東西線ですが、いつもなら市役所前から三条京阪で空いて来るのに座席はきっちり、みんな醍醐で降りました。

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地下鉄醍醐から醍醐地区のコミュニテイバスに乗ります。 特別便で200円往復切符は300円。 山門を入った光景は写真の通り凄い人出。 お寺に依れば十数万人のご参詣とか。

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これは前の写真に見える仁王門の仁王さんで、これより金堂五重塔などのある境内へ入ります。
その中で行われる本日の”五大力さん”、正式には五大力尊仁王会は、元々上醍醐の五大堂で修せられた真言密教の秘儀ですが、此の法会の御本尊五大力尊即ち不動明王を中心として大威徳、軍茶利、隆三世(ごうさんぜ)、金剛夜叉の五大明王のお札を頂けば、一身一家の安泰をお守り願える、と云うものです。
そしてそのお札”御影”は七日間の前行で祈祷され、23日当日限りに授与されます。
年に一度のことですから、昨年の古いお札を携えてお参りするのが、京都市民たる者の年中行事である。と言う事になるわけです。

 

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仁王門を入って直ぐに此の列が始まります。 向こうに見える金堂で御影を授かるための行列です。 先頭がお堂の側面に小さく見えますが、そこまで曲がりくねって繋がっています。

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私は似非京都市民?ですから御影は頂かず、境内一円を参拝して廻ります。
とは言うものの噂に聞くお餅上げの力比べは見て行きたいので、今日は奥の大講堂などの方迄は行かず、この辺りにとどまります。

金堂の方に向かうと、このような紅白の大鏡餅が沢山奉納されておりました。

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正面右手にはこのような壇が設けられ、此処にも鏡餅が供えられています。 壇上では法螺貝が鳴って、どこかの添乗員さんらしいのがお餅を囲んでなにやらやってます。

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案内放送では12時から女子の奉納餅上げが始まる旨を告げています。 向こう側の不動堂の斜面には人が集まり始めていましたので、私もそこへ行って座り込みました。
で、女子の力比べ、奉納餅上げをとっくり見せて頂くことが出来ましたので、その模様は明日纏めてお目に掛けましょう。
(なんや、どケチ! ブログのくいのばしかいな) (そやなしに、本日はマジメに”五大力さん”の解説ですわ) (えせキョートしみんが俄仕込みでカイセツ??) (・・・・すんまへん)

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実は駅でホンマモンの京都市民のお一人に出会いました。
お祭りの場でよくお見かけする方ですが、五大力さんの御影を頂きに行かれるところでした。
そしてさっきの列に列ばれたところで、不信心者はお別れしたのですが、道中で色々と教えて頂けたのです。
その中に一つ、”御影”を授かった後、護摩の火に翳して頂かねばならない、と云うことがありました。

真言宗醍醐派本山である此のお寺は、当山派の山伏さんの拠点で、五大力尊の法儀も密教的なものでしょうから、成る程、そういうことですか。
見れば金堂で御影を頂かれた方は皆ひとつ上の段で行われている柴灯護摩の壇の方へ向かわれています。 


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御影はきちんと袋に入っていますが、このように大きなものです。
大勢の山伏さんが、護摩壇の火を取り囲む人達の手から御影を受けとって、このように火に翳して祈りを籠められます。

このようにして五大力さんのお守りが完成します。


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さて、皆目夢中であった五大力さんに関して多少の常識も頂けましたし、イベントの力餅上げも見せていただけました。
この日は季節外れの暖かい日で、正午を過ぎると四月頃の陽気になり、そうでなくてもヘバッてる身体が持ちません。
女性の次の男性力比べの順番を決める抽選が始まりましたが、最早ここいらで撤退します。

さはさりながら醍醐へ来て、これだけは落とせません。
国宝の五重塔。
 
現存京都府下最古の建築物で、平安時代の天歴五年(951)に完成したプロポーションは、江戸期などのものとは違い優れて美しいものです。


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お帰りはこちら、と仁王門へは戻れず一方通行で、鎮守社清滝宮前から上醍醐登山道側に誘導されて外へ出ました。 もう二時近かったかと思いますが、この頃になると御影を頂く行列は殆ど解消しているように見えました。
因みに写真のお餅はお土産に買って帰り、丁度今お善哉の中味になってパソコンの横に出現したところです。

≪     京都植物園:10/02/21:梅、桜、椿

五大力さん餅上げ奉納:2010    ≫

2010年2月25日 (木)

京都植物園:10/02/21:梅、桜、椿

植物園の花回廊へ行った後、椿園に向かいました。
京都植物園の椿園は広大で、色々な種類の椿で埋め尽くされています。 花盛りの時に行って一々つき合おうものなら、此のブログの十日や十五日分くらい (と云うことは百枚や百五十枚)撮るのは容易いところなのですが、少し早すぎるのか、今年が不作なのか、とにかく見るべきものがありませんでした。
しょうがないのでその他の木の花、と云うことは梅、と云うことになりますが、ロウバイや早咲きの桜などを交えて、一日分作ります。

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北門寄りの梅園は未だ蕾固しです。 これはようやく開いた紅梅の一輪

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植物園にはもう一つ、半木(ナカラギ)の森の東の池の北側に大きな梅園があります。

そこで今盛りの白梅の一つから。


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同じところの紅梅です。

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別の白梅。 今が最盛期でした。

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同じ梅林に一本混じっているロウバイなんですが、少し遅かったです。 此の写真はカンニングでして、二月一日、雨の中で撮ったものです。

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こちらはソシンロウバイ  全く別のところ、園の西北寄り、杏の木のある辺りです。 少し遅いですが、未だ良い香りが立ちこめていました。 因みに杏ですが確か例年はもう咲きかかっていたかと思うのに、未だ蕾が出掛かったところでした。

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そのお向かえに早咲きと云うか、変則咲きの桜が二種類一本宛あります。 これは寒桜。
これも去年より成績が悪いです。

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その隣にある子福桜。 秋と二季咲きと云うことですが、花はもう一つぱっとしません。

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そして日本の森の中にあるキンキマメサクラ。 去年は可愛らしく整った花をいっぱい付けていたのですが、今年は全然です。

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本来の目的地である椿園は更に成績が良くありません。 此の源平咲きの花は白雪。

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植物園の椿園は本来的には品種見本園で、庭園樹として管理しているのとは違うのでしょう。そのせいか花そのものが綺麗なのを見つけるのは困難です。 そう言った意味で人の手が加わった椿としては、東山の霊鑑寺などは見事なものです。(とはいうものの、そう言った立派な園芸樹より、ただのヤブツ~藪椿の方が好きなのですが)
写真は花唐子。 花自体の形状から来る性質なのでしょうか、此の木は汚れや痛みのない花があったのでピックアップしています。

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おまけです。 ソシンロウバイの処に、こ奴が居ました。 
画面は面積で半分くらいトリミングしていますが、とにかく此の距離まで許容してくれました。 
何者であるのかは、把握していません。

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≪    京都植物園:10/02/21:日本の森補遺

五大力尊仁王会2010:醍醐寺    ≫

2010年2月24日 (水)

京都植物園:10/02/21:日本の森補遺

17日に行ったばかりですから、そんなに変わり映えはしていない筈、 新しく見つけた種類の花は無くても、良さそうなのは拾っていこうと、気軽に通り抜けたのですが、意外な収穫がありました。 草花の話ではありますが、植物園カテゴリから少し脱線して、数日前にアップした上賀茂神社の燃灯祭 に絡みます。

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この前(2/17撮影18アップ分)にセリバオウレンを載せましたが、その近くにこのバイカオウレン梅花黄蓮が居ました。 同じくキンポウゲ科で、本州南寄りと四国にあり。 大きさも同じくらい(写真の半分くらい)の植物です。

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先日の分が少しピントが怪しいので・・  セリバオウレン 芹葉黄蓮。

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これも再出ですが、節分草の全体像です。 こんな感じで群落になっています。

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節分草のアップ。 この花はアップが綺麗ですが、現物ではこうは見えません。

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日本の森から少しはずれて、カンザキアヤメ 寒咲菖蒲?  地中海原産ですから園芸植物でしょう。

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こちらは日本の森の藪の木陰にひっそりと咲いていた藪椿。 

椿園にも沢山の藪椿がありましたが、これが本当の藪椿の有りようです。 
此の木は下草、灌木並みの大きさで、それがまたよかったのですが、藪椿は大きくなれば高さ20m以上にもなるでしょう。
私の大好きな植物です。


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やっぱりありました。 春と云えば此れ、蕗の薹  フキノトウ。

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ついでに、もういっぺん福寿草。

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これから以下三枚が今日の本論。  
枯れ草ですが、こんなのに目が留まりました。 下の写真は 同じものの他の部分を別アングルで撮ってます。

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全体像は次の写真の通り。

  

30cmかそこいらの草丈の単なる枯れ草でした。 
五六本が固まっていましたが、見た途端に妙なデ、ジャ、ビュ~既視感に襲われました。

そうです、19日の上賀茂神社燃灯祭 で、神前に供えられた小松の箱にあったもの。  
松毬状のと綿状のと、いずれも火付け草、燃え草にはぴったりの姿形をしていたもの、
つまり燃灯草、玉箒草に違いありません。


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大体お祭りの名前の燃灯草の正体も何も知らず、箱の中で見たものの類推だけで片づけて居たものが、日を置かずにちゃんと立体化して、こうして目の前にある。
ほんとに不思議な巡り会い、大袈裟に云うと神慮に依るものか~~
(ソラ、おおげさすぎるわ)

名札が立っていました。 

カシワバハグマ  キク科

確かに柏の葉の格好の枯れ葉がくっついていました。
そしてハグマというのは払子(ホッス~お坊さんが法事で手に持つ白い毛で出来たはたきみたいなもの)に使うヤクの毛のことで、白熊と書いてハグマと読む。 (赤いのは赤熊つまりシャグマ~やすらい祭 の鬼や時代祭の官軍将校 の被りもの)
花弁の様子が払子に似ているから。 
と、フイールド百花(山と渓谷社)に解説がありました。


≪    京都植物園花の回廊:2010

京都植物園:10/02/21:梅、桜、椿    ≫

2010年2月23日 (火)

京都植物園花の回廊:2010

   

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京都植物園の年間定例イベントの一つに、早春の”花の回廊”というのがあります。

此は春本番に先駆けて美しい季節の草花を展示するもので、北門の広場、噴水の前にビニールハウスが仮設されて、鉢植えの園芸品種が並べられます。
今年は2/19~3/24の間で、桜や紅葉とは違い、鉢植えですから、その間は何時行ってもメンテナンスによって美しさは保たれているはずです。

ところで、此の男、園芸品種は原則写さないと公言していますが、毎年此の催しはアップしています。
植物園の公式イベントですから、選り好みせず写させて頂いている・・・というのは建前で、冬枯れのネタ不足対策であることは否めません。
それ故に、と云う注釈をつけまして、苦手とする花の名前は一切つけない映像のみの羅列といたします。


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今回は規模が大きくなったのか、充実感は過去最大のように感じます。
概ね入り口から出口へ向かって写したのを並べています。


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園芸ですから小道具のあしらいも見せ場の一つでしょうね。


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外の池の畔に椅子テーブルが置かれていて、そこで一寸したパーテイ~迄はいかないか~を楽しむ家族の姿がありました。

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花の名前、品種関係無しに、光の当たり具合だけで撮り、載せています。


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これも現地でのインプレッションだけで写したものと言えるでしょう。

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いいですねぇ、楽しいですね。 春ですね。

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西側の外はいつもの花壇で、此処でも春の花がスタンバイ中ですが、露地ですから未だ華やかさはありません。

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目で見ているときと違い、黄色や赤の草花は一種の蛍光色を帯びて写ります。 相当頑張っても写真の画面ではハイライトの色飛びが起こって、目で見るより一層派手に写ります。

此の後椿園に廻り、ついでに梅林と早咲きの桜を見て回りました。 それなりに期待して行ったのですが、今年はどうも少し遅いのか不作なのか、どれももう一つ、と云った印象です。 そして日本の森を通り抜けて帰ったのですが、此処で意外なものに出会いました。
明日はその話です。

≪    さらさ西陣 (09/10/19)

京都植物園:10/02/21:日本の森補遺    ≫

2010年2月22日 (月)

さらさ西陣 (09/10/19)

どうもいけません。体調がおかしいのはもうしょうがないのですが、脳調までおかしくなり始めました。
昨日(10/02/20)平安神宮まで出掛けました。 京の朝市という催しを写すために。 去年は蝦蟇の膏郡上八幡踊り など随分ブログになったので、今年も冬枯れ対策に打ってつけだったのです。 ところが行ってみたら何もない。
実は数日前から”京の朝市 2010”と云ったような形のキイワードで去年のページに沢山アクセスがありました。 ビッグイベントの前にはこうした情報取りが多くて、アクセス数を押し上げるのですが、日取りや時間等を知りたいのでしょう、 私自身も必要なので、調べましたが今回は役所の広報などにもありません。 どこかの旅館のHPで見つけたのが、20(土)21(日)と云うことだったのです。 
今まででもたまにこうした空振りはありましたが、そんなときには”転んでも只では起きるモンか”とファイトして何処か他へ向かうのですが、体力だけでなく気力も衰えていてスゴスゴ帰宅しました。 まあ、明日の京都駅大階段登り競争を撮れば一日二日は稼げるわい、と思って寝て、今朝(21日)起きて朝刊を見たら、写真入りでその記事がある。 実は昨日行われたのでした。

と云うことで志気粗相して、遂に奥の手で逃げることにします。 前に作って”冷凍保存”していた旧聞です。 悪しからずご覧の程宜しくどうぞ。

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さらさ西陣。 アップするのは確か二度目です。

前回は純粋にブログネタを探して、鞍馬口通なるテーマで  飛び飛び切れ切れにですが、出雲路橋から金閣寺まで歩きました。  此の通りが持つキャラに曳かれてのことですが、その中でも異彩を放ったのはここでしょう。
今回はそんな立派な意図など無くて、建勲神社の鉄砲隊 の帰り道、西陣痰切飴屋さんに寄って一口羊羹(この頃の体力では時々こうしたカロリー補給しないと保たないのです)を買おうと思い、そこへ行き着く前に消耗してしまった所が目の前にここが現れた。
へたり込んで昼食を取り、ついでに一回分作る根性が残っていたところは未だに生きている証拠という次第です。
鞍馬口通:離楽庵さらさ西陣
上のリンク貼って一寸がっかりしましています。 前の方がきっちり良く撮っています。
つまりは今度の頁はやっぱり余分だった。(・・・・と云うことで、お蔵だったのです・・10/02/21追記)

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築80年とやらの銭湯廃業後、其のインテリアの主要部を残してカフエに再生したという、ユニークな建物です。

外観は唐破風の玄関を保ったお風呂屋さんの侭。
内部は男湯女湯の仕切壁の上部と一部を取り払って脱衣室共に客席として一体化しただけ。

昔の銭湯に良くあったこの派手なタイルはマジョルカ風タイルと言って、地中海のマヨルカ島の特産タイルを模したものです。


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これ、お昼ご飯。 ランチメニューは”おかず””めん””サラダ””パン”とあって各900円。 チョイスしたのは”めん” 豚肉など入りのペンネに焼いたパン。サラダにはお豆腐、コンソメスープ、ドリンク付き。 ちなみに”おかず”はサラダスープご飯付きのチキンカツ。”サラダ”はベーコンじゃがのシーザーに、スープ、パン。と言った具合です。
(それにしても下手なシャシンやな、クイモノブログできんわけや)

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見上げた天井は真ん中が高く吹き抜けていて、天窓の明かりが快々としています。 この辺りも元の構造そのままです。

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秀逸なのが此。

昔の上がり場にあったタイル流しをそのままに、トイレの手洗いに流用しています。


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お風呂場の方から元の脱衣場の方を見ています。 右側にはカウンターが設けられていますが、こっちが元は女湯の脱衣場。 黒板が掛かっているところの壁が風呂場の境で、左が元の男湯。

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入り口側(旧脱衣場)からカウンター越しに旧女湯を見たところ。


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反対側男湯の方。

風呂場へ入るには三段ほど登りますが、鴨居は随分低くて頭を打ちます。
昔の侭なんでしょうが、要注意。


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外観は概ねこのようで、唐破風屋根玄関の外部の腰にもマヨルカ風タイルが張りつめられています。


2009/10/19撮影のブログ穴対策用冷凍保存品でした。 

≪    乙子神事・燃灯祭2010

京都植物園花の回廊:2010    ≫


2010年2月21日 (日)

乙子神事・燃灯祭2010

上賀茂神社で古来から行われた神事の一つに 乙子神事・燃灯祭(おとねのしんじ・ねんとうさい)と呼ばれるものがあります。
これは平安朝の宮中年中行事の一つである子の日遊びを神事化したもので、鎌倉時代から行われていたと記録されています。
二月の二番目の子の日(ねのひ)、今年は19日でしたが、この日宮司さん以下神職方が、かつて神館(こうだて)があった御阿礼野(みあれの)へ赴き、小松を曳いてそれに玉箒草(燃灯草)を添えて神前に献ると云う神事です。
この日二時から行われる御阿礼野の小松曳き、つまりは昔宮中で行われた春の野の野遊びを模した行事の有り様は一般の参詣者にも公開されていて、神職方と共に御阿礼野までお供をして見ることが出来ます。

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神事の前に先ずは子の日の野遊び、神前に奉る小松曳きの為に御阿礼野を目座して社務所から神職方が出掛けられました。  我々はその後ろに従います。
・・・・と、此処まで読まれた京都人、あるいは一度は上賀茂神社に詣でて境内を一通り歩かれた方は、 「一寸待った、上賀茂神社の何処にそんな”野”があるの?」 と言う疑問を呈されるはずだと思います。
小松を曳く、と云うからには、松が種から実生しているような原野がいったい何処にある?

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神職方の列は御阿礼野へ向かって進んで居られます。
いや、この場所は既に<御阿礼野の一部なんでしょう、きっと。


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そしていにしえの野遊びから発し、それを模した神事の一環である小松曳きが始まりました。

私自身は御阿礼野とは何かが判っていましたが、正直なところ、本物の小松、松ぼっくりの種から自然に生えた小松が、このように取れるとは思っても居ませんでした。
形だけ何かを曳かれるのだろうと思っていたのですが、そうではなかったのです。


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このように皆さんそれぞれに小松を見つけ、曳かれて従者が携える箱に入れて居られます。
ところで此の写真を見て、以前のページを思い出される方も居られるかも知れません。 
そうです、此処 です。 

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小松を入れた箱を捧げる従者の方を先頭にした列は神社へと引き返していきます。

 (なんや? これ、ここ)  (みてわからんかいな、遼君が打つのまってるんやがな)

種明かしはこうです。 神社の裏に隣接する京都ゴルフ場の相当部分は元々神社の境内で、戦後に進駐軍~占領軍が自分たち用のゴルフ場を作ったのが始まりなんですが、土地の所有権は今でもお持ちと聞いています。 リンクスのなかに昔からの神事に関わる部分が残されていて、今でも祭事が行われる、と云うわけです。 (これ、7番テイー、小松を曳かれたところは8番の右OBエリア)

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さて、神社に戻りました。

土舎(つちのや)に置かれた箱から小松が取り出されて、折り畳んだ奉書の中に納められていきます。


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これは小松を曳かれた神職さん自身の手で行われて、奉書の束が脇の案上に積まれていきました。
此の形で神前に捧げられるのでしょう。

(尚、御本殿内でのお祀りに参拝は可能ですが、初穂料三千円が必要です)


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作業が終わると一人の神職さんが、ならの小川に架かる祝橋(ほうり橋)に立たれて自己祓いをされ、その後他の神職方、及び随伴者にお祓いをされました。 賀茂社独自の陰陽串(写真)が通常の神社での大麻のように用いられます。

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祓い終わった串は折られて川に流されます。 
こうして出来上がった小松の奉書包みを捧げて御本殿へ向かい、子の日の神事が始まりました。

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神事に向かわれたあと、土舎に残された箱の中に、残り物が少しありました。 曳いてこられた小松と、添えられる燃灯草です。 燃灯草というのはその名の通り昔火を着けるのに用いたものらしく、玉箒草(たまほうきぐさ)ともいうそうで小松に添えて神前に供えられるのですが、正直言ってどの段階で此の箱の中に入ったのかは私には判りません。

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神事そのものには参列しませんでしたし、また写真にして良いのかどうかも判りません。
但し先ずは摂社片岡社への祝詞や捧げものから始まった神事は滞り無く終わって神職さん一同退下されました。

(写真の右手のおっさん、外人さんで初めて見る顔なんですが、カメラマナーに関しては最低でした。 あんなんをパパラッチいうんでしょうな)


≪    京都植物園:10/02/17:大温室2

さらさ西陣 (09/10/19)    ≫

2010年2月20日 (土)

京都植物園:10/02/17:大温室2

熱帯ジャングル室以降のピックアップです。 

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次にあるのが熱帯有用植物の部屋で、此処へ来ると前の部屋の厳しい高温多湿環境から開放されます。

何時も思うのですが、此のバナナ、最後は誰が食べるのでしょう?

(このクイシンボウめ!)


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もう一つのバナナの房の先ッぽです。
柄の部分の凸凹は実をもいだ跡なんでしょうが、先端のこのバカ派手なのは花なのかな?

以上二枚はビッグジョブ。
環境が良いと、こいつも良く写ります。
(ソンなん、イミない)


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パパイア

パパイヤ科

これ以降はα350にツアイスバリオゾナーDTですが、ゴミ箱から救い出されたフジノンの方が写りが良いですね。

因みに元の画像サイズは、
1280*1024対4592*3056pix


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カカオ

アオギリ科

熱帯アメリカ原産

チョコレート、ココアの原料ですが、幹に直接実が生る幹生果と云い、人工交配で結実させるのだそうです。


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冷房室と言う名の部屋があります。 閉館間近になるとダクトから冷たい霧が吹き出してきます。
これはそこにいた
エスキナンツス属の花で、イワタバコ科の一種、
と云うことです。


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同じ部屋の

ゴンゴラ マクラタ

ラン科

トリニダードトバコ、ガイアナ、ペルー


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デンドロキルム グルマケウム

ラン科

フイリッピン

着生蘭だそうです。


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ラバジュリア・ロセア

ユリ科

チリ原産

チリの国花で、山地に生育するので冷房のない温室では栽培困難、とありました。


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コルムネイカ  マグニフィカ

イワタバコ科

コスタリカ、パナマ


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花ではありませんが、砂漠サバンナ室ではこれが落とせません。 奇想天外 です。
一科一属一種のヴェルヴィッチ科に分類され、アフリカ南西海岸のナミビア砂漠の極限られた地域に自生しています。 二枚の葉しかなく、それが幾らでも伸びていくという変わった植物で、推定樹齢2000年のものある長命植物です。 日本でも当然稀少なので、数年前にはこの場所から二株が夜陰に乗じて盗まれた事がありました。

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一番お仕舞いのアナナス、蘭室で、鶴頂蘭。  東南アジア、オーストリア、南西諸島など。
環境庁の絶滅危惧種指定だそうです。

≪    京都植物園:10/02/17:大温室1

乙子神事・燃灯祭2010    ≫

2010年2月19日 (金)

京都植物園:10/02/17:大温室1

京都植物園の大温室。
ブログネタ切れの時の駆け込み寺としては適当な存在ですが、もともと”園芸種”にはあまり興味のないわたくしにとっては、しょっちゅう行く存在とはなりません。
などと言いながら今回も緊急駆け込み、但し二つばかりが常と違います。
何しろ場所が両陛下がおいでになってとてもお喜びであった、と云う実績付き、もう一つは急に矮小な話に変わって、当ブログ内のカテゴリ、”カメらコレくしょん”とのコラボ的な趣が付随することです。

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大温室は、熱帯ジャングル室、有用作物室、冷房室、砂漠サバンナ室、アナナス、蘭室とありますが、そのとっかかりの熱帯ジャングル室は規模も大きく何より一番”温室”らしい雰囲気で、珍しい連中が屯しているところです。
所がその環境というのは基本的に高温多湿。 外から入ったら眼鏡もカメラも忽ち曇ってしまいます。 
ことに今の季節は激しいので、場合によっては機器の内部結露も心配になり、もしも電子部品に結露を生じたら、全損に繋がり兼ねません。


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と、云う事で、新兵器登場。 と云いたいのですが、実はこれ”ゴミ箱”からレスキューされた代物です。  
#109 フジ Big Job DS260HD   No0G03532  FUJINON ZOOM 7.4-22mm  F3.5-5.6   1/4-1/1000   1/2"CCD   1280*1024  640*480pix   リチュウムイオン専用バッテリ スマートメディア使用 開閉部分の蓋にはOリング付き と云う、いわゆる現場監督、相当程度の防水防塵耐震機能を持っていて、軍手で握るのに丁度良い、でっかいカメラなんですが、バッテリ2個(へたってます)チャージャー、メディア、取扱説明書、ストラップ付き、と云うことは現役そのままの姿で、ただ性能的に今様ではなくなったと云うことからご主人様に見放され、京都のムツミ堂のゴミ箱に落ち込んでいたものです。 
ほんとにトロイ奴で、シャッターを押してから数秒(はオーバー)してからフラッシュが光ってレリーズします。 そんなのがなんで我が家に、と云うのは何時もの博愛主義で、カメラと名の付くものはなんでも(但し限りなくタダに近い原資で)と云うことではあるのですが、実は今度湯快リゾート辺りに行ったとき、温泉の中へ持ち込んでやろうという下心があるからです。
その下調べ?に、結露間違いなしの今回の此の環境は向いています。

熱帯ジャングル室に入って現役復帰しました。 レンズカバーのガラスもファインダー(ズームしますが、視差矯正は無し)も1.8”位の背面液晶も忽ち曇ってしまいますが、そこはタフガイ、ハンカチで拭いながらの撮影です。 実際問題としてフレーミングはアバウト見えますが、ピントがどうこう迄は判りません。 結果的には打率3割程度、前に突き出た花は全部バックにピントが行ってペケ。何枚かは霞が強すぎて使えずですが、とりあえずはハードな環境のなかで写ったのを並べて見ましょう。

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パキスタキス・コッキネア

キツネノゴマ科

ガイアナ


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オオベニゴウカン  マメ科  ボリビア

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写した説明板にはアマゾンユリとありましたが、ユリであろう筈はないですね。

先ずは入り口近くの難儀な環境で現場監督に働いて貰ったのですが、この位には写ります。
但し、やはり実用性という点では無理で、あくまでこのような酷い環境で人身御供的な仕事をして貰う以外には役には立ちません。~けれど、時と場合によっては貴重な存在ですし、目下カメらコレくしょんカテゴリで進行中の”変な奴”シリーズに出場の資格は大いにありです。

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此処で随伴していた正規軍の小型草花対応、α350が動き出しました。

ところが、覿面、このように霞が掛かってしまいます。
それでも強引に写し続けていたら、プロテクターフイルターと最前球との間にまで曇が発生し始めます。
このまま続けたらスームレンズの鏡胴内も危ないと、またしても仕舞い込みます。


コンロンカ

アカネ科

種子島、屋久島、沖縄、台湾

熱帯アジア、太平洋諸島、アフリカなどに広く分布する半蔓性の植物だそうですが、京都でも鉢植えで見かけます。

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などと言いながら、段々周辺の条件にも順応し、ジャングル室も水生植物の辺りから離れると少し乾いてきます。  これ以降は少し靄が掛かりながらのDTバリオゾナーの映像です。
 コエビソウ  キツネノマゴ科  メキシコ

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クレロデンドルム
クアドリロクアレ

クマツヅラ科 フイリッピン


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ハナチョウジ

ゴマノハグサ科

熱帯メキシコ


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オオベニゴウカン 
大紅合歓(おおきな赤いネムの木)

マメ科  ボリビア

通常は紅い花で、前の方に出ました。
これは白花ということです。

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 ツンベルギア ウォゲリアナ   キツネノマゴ科  西アフリカの熱帯

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おなじみの アンスリウム

トロピックミタと云う園芸品種。

サトイモ科


明日は熱帯ジャングル室より先の分を少々並べましょう。


≪    京都植物園:10/02/17:早春

京都植物園:10/02/17:大温室2    ≫

2010年2月18日 (木)

京都植物園:10/02/17:早春

17日、京都植物園へ行きました。
春のうららかさに誘われて・・・などと言うにはチト早いです。 このところ雨が多くて、内輪話をすると此の15日、松ヶ崎の大黒さんで水行が行われた筈なんですが、行け(き)ませんでした。 なさるのは日蓮宗の荒行で、此の寒空に頭から水を被られるのですから、雨が降ろうが槍が降ろうが、 (ヤリはムリやで) なんですが、こちとら柔弱の輩は雨が降ったらもう家を出ません。
 松ヶ崎大黒天大祈祷会09:水行
と云うことはまたまたネタ切れ、ノルマ様に叱られる・・・但し、良い逃げ道はありまして、それが京都植物園。   (今ごろいっても、なんも無いやろが)
ところが大温室という駆け込み寺がある。
畏くも昨年は11月19日、今上陛下の行幸を賜ったる施設があるのが目に入らぬか!
(ミトコウモンとまちがえてよる)

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と、云うことで晴雨不問、出掛けて温室に入り、それなりに工夫し遊んでなにがし撮影をし、それが済んでから一応は、と何時ものフイルド、日本の森植物生態園に向かいました。
通り抜けて北門からバスに乗るつもりだったのが、行ってみるとカメラを構えた同病患者の姿が結構見える。
子細にその辺りを見ると、
 「もう、春は、そこまで!」 と、
云いたくなりそうな状況がいっぱいありました。
嬉しくなって、季節感は何時も同じの温室は後廻しにし、先ずは天然自然の動きからアップするといたします。

左の写真はメタセコイヤ林の前の梅の園。

(ウメがもうさきかかってんのにそんなにかんげきすんの?)

(これは、たんなる前置きですわ)


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森の下草に隠れ、あるいはその蔭から小さな春の妖精が姿を現し始めていました。 どれも皆写真の方が大きいくらいの可愛い連中です。 
これはセリバオウレン。 芹葉黄蓮 キンポウゲ科

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そして節分草。 節分草と云うからには正に季節まっただ中の花ですが、未だ出始めでこれから盛んになりそうです。  此の写真で実物の三四倍位にはなりますか。

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そしてやはり出てきていました。 福寿草。  これも出始めたか、と云う雰囲気です。

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千両万両ありとおし。 棘が蟻を突き抜く、と云うネーミングで本名はカラタチバナですが、此の季節揃い踏みする(筈)の縁起物、紅い実が生る万両から一両までの中の百両です。 (探したのですが、万両以外が見つからず)    植物園:千両万両有り通し

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一応水辺には水仙が咲いていましたので・・・


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春先の水辺と云えばこれ。
と、云いたいんですが、実は京都では暖かすぎて葉が先に出てしまい、様にならないミズバショウです。


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ご同類ですが、全く風体が違う座禅草。
これもまだ早すぎる雰囲気でした。


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全てのツツジ類の中で真っ先に咲くというこの花も、もう咲き始めて二つばかりが開いていました。  
ゲンカイツツジ

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木の姿を構成する要素の全てが三つからなるミツマタです。 もっと先の花と思っていましたが、此の程度の蕾をいっぱい付けています。

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そして、そして、もう咲き始めていました。 キンキマメザクラ。  近畿豆桜
去年はとても綺麗で可憐な花がいっぱいでしたが、今年は反動で不作のような感じ。
花がとても小さくて少ないのですが、でも間違いなく桜の美しさです。  
09 さくら、桜、#2:京都植物園0226

≪    魚山大原寺下院本堂勝林院

京都植物園:10/02/17:大温室1    ≫


2010年2月17日 (水)

魚山大原寺下院本堂勝林院

国際会館駅10時発の京都バスに乗って、三千院の門前まで上がったのは10時45分でした。  どうせなら時分時に大根焚きを頂こうと考え、時間調整をかねて”ご信心”の勝林院に詣でます。 

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天台の流れの大原のお寺ですが、全体の山号を魚山(ぎょざん)といい、お寺の名前は大原寺(だいげんじ)と云うのが正式な名称です。
比叡山に延暦寺という名の建物がないのと同じで大原寺という建物はありませんが、ご本堂は上下二つあって上は来迎院、下がこの勝林院です。
因みに三千院は門跡寺院ですが、歴史的には全体の管理者であったと云うことです。

その三千院の門前を抜けて真っ直ぐ律川を渡ると写真のような光景です。
右側は後鳥羽、順徳天皇陵で、鎌倉幕府を倒そうとしたクーデター(承久の乱)に破れ、隠岐と佐渡で亡くなった非運の天皇陵です。


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その大原陵の向かえに有るのが実光院、声明(ショウミョウ)の楽器などの資料があり、公開されています。    大原へ:宝泉院、実光院

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勝林院本堂。 お寺は長和二年(1013)の創立ですが、おおくの歴史を経て徳川初期に春日局が寄進した建物が火災に遭った後、安永七年(1778)に再建され、昭和の初めまでは勅願の法要道場であった、と云うことです。

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此の御本堂は三千院~律川の方から真正面によく見え、御本尊のお顔もこのように拝めます。
その為か観光客は奥の寶泉院へは行くのに、こちらに入る人は大変少ないのです。
通常は無人ですから、入り口で300円置いて説明書を取り、広い静かな境内と御本堂内をゆっくり参拝し滞留できます。
撮影は自由、当然の事ながら全てが自律的でなければなりませんから、そう言った意味で極楽です。


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左脇侍

不動明王です。 大分以前にこの前で、此のお姿をガラス絵の作品に映したいと仰るご婦人に出会い、写真撮影のお手伝いをしたことがありました。
色々と此のお不動さんの特徴など伺いましたが、確かに光背の火炎の立ち上る形状など、あまり他に見かけないある意味では近代的な雰囲気を持つお不動さんです。

 

大原へ:勝林院


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御本尊

阿弥陀如来ですが、寛仁四年(1020)と、文治二年(1186)に此処であった大原談義、大原問答と云われる法論の時、ともに証拠に立たれたと言うことで、別名を証拠如来と云われます。
元文二年(1737)の補修で大変綺麗、お寺に依れば”美男”でいらっしゃるとか。


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右脇侍

毘沙門天です。 七福神のお一方ですが、別名は多聞天。
仏法守護の四天王のお一人です。

この前に八講壇と称する問答台があって、現在そこに仕掛けられたボタンを押すと天台声明(てんだいしょうみょう)~お経に節をつけて歌うような仏教音楽~がお堂内に広がります。


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もう一つのご自慢は此の彫刻類。 江戸も中期ですし、再建にあたっては御所や将軍家からの援助もあったので、構造材をこのように手の込んだ彫刻仕立てに出来たのでしょう。 建物は欅ですし、仏殿として彩色がありませんから、すっきりしていて心地よいものです。

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お堂の回りは杉や檜の木立に覆われて、山の水が豊富。

東の池にしなだれている二本の紅葉の木には時期になると白い房が点々と下がります。
モリアオガエルが生息しているのです。

 

 大原へ:極楽浄土

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その東側の山手ですが、回遊しやすいように今手を入れて居られます。
此処で見落とせないのが写真左に見える宝篋印塔です。 形の整った大きなもので、鎌倉時代。 重要文化財。 また入り口に近い鐘楼の梵鐘は藤原期のものでこれも重文です。

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極楽にゆっくり滞在して魂を洗い?三千院へ行って大根焚きです。 これは律川に架かる橋で、渡った山側は三千院の石垣、向き合ってお土産物屋さんが並んでいるところになります。

≪    初午:三千院大根焚き2010

京都植物園:10/02/17:早春    ≫

2010年2月16日 (火)

初午:三千院大根焚き2010

初午と云うことで、金色不動堂の前でだいこ焚き、(此処では大根焚きと書いて居られましたが、)行われていました。 
大根の焚いたんなんて、子供の頃の感覚ではご馳走ではありません。 それを嬉々として食べ、あちこちのだいこ焚きの食べ回り、食べ比べをするようになりました。 まあ、ブログネタの採集ではあるのですが、歳食ったモンです。 

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本来的にはお不動さんの特別祈願護摩木の奉納に伴うご接待のようでして、従ってだいこ焚きは無料で幾らでも頂けますが、山門を入る通常の拝観料(700円)は必要です。

いつものように靴を持って上がり、お堂内を一巡して宸殿で御本尊にお参りし、往生極楽院のお庭有清園へ降ります。
宸殿の玉座の間の縁から見る定番の絵柄ですが、季節柄か障子が填っていて柔らかい光がありました。


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お馴染み往生極楽院の正面。 何時もと違って東側からも廻れました。 それと此の位の遠くでもカメラに目を光らせている係員の姿もありませんでした。

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とても可愛いお地蔵さん、但しあまりにもメジャーになってしまった童地蔵さん。 そして些か苔が付きすぎて本来のフォルムが変化してしまい、幾つか問題もありますが。

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などと言いながら、今日は明かりの具合が良かったのと、人が空いていたのとで、少し真面目におつき合いしてみました。

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三群四体の童地蔵さんのうち、一番なんでもないポーズのこの方が一番すっきりされていて、すんなり入ってこられるように思うのですが。


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もう一段上の金色不動堂前広場です。 大根は地元産だそうですが、ご奉仕の方の姿もズバリ地もと大原産ですね。

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大根は大振りの物を長めに切って一個入り。 サイズが揃っている辺り上等なのでしょう。 大根のみでお揚げは入って居ません。

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このように大賑わいでした。 ただ他所のだいこ焚きは、それ自体がお目当てで集まる参拝客ばかりですが、此処の場合は偶然来合わせた方が多いようで、反応の仕方はまちまちです。  

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写真のサイズが大きいのは単純な作成ミスなんですが、こちらの景観の大きな特徴である、天を突く鉾杉の様子は出ていますので、そのまま使ってアップしています。

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三千院は近年上の方の不動堂と観音堂の辺りの整備に力を入れて居られ、律川の向こう側にある此の石仏にも行きやすくなりました。

鎌倉時代のものだそうで、以前は探しても見つからないような奥の方に潜んでいたのですが。


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石仏のところから初めて通る道を辿って有清園への下り口に戻りました。

下に往生極楽院の正門である南の門、朱色に塗られた朱雀門が見えています。



≪    初午:大原行き2010

魚山大原寺下院本堂勝林院    ≫


2010年2月15日 (月)

初午:大原行き2010

節分の行事で暫くブログってましたが、それも終わり、ニッパチ即ち二月八月はお商売屋さんならずとも暇な季節です。  つまりイベントが少ないのですが、その上此の一週間は天候不順。 寒暖の差もさることながら雨が多くて建国記念日の上賀茂神社の蹴鞠など、始めから中止だろうと決め込んで出掛けませんでした。 そんなこんなでタマ不足になり、ノルマ様からお叱りを被りそうな状態になりました。 只此の11日から14日までの間、大原三千院では初午のだいこ焚きをやって居られます。 それがあるからとたかを括っていたら又また天気の関係で、実行がずれ込んで最終日の日曜日になってしまいました。 結果は節分関係のストックページが出払って終い、本日14日(日)は初めてホンマの自転車操業、つまり今日行ってきた分を今日セットして明日アップするという”離れ業”~~~(ちょう、待て! フツ~のブログ、そうとちゃうんか?)~~ともかく、今日大原へ行って来た分の端っこで明日の分を今書いています。 と、云うことで、此処からは真面目な話し。

世の中には紀行文というのがあるそうです。 
要するに旅の起承転結をわたくし風に書き並べればいい~~のと、ちゃう?~~と云うことで、とりあえず今朝家を出てから大原三千院門前まで、写真らしきものと文章らしきものを並べて行くことに致します。

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私の大原行きは例の如く地下鉄国際会館終点から始まります。 大原への公共交通機関は京都バスだけですから、市外からの日帰りを基準にしてお話しするとして、殆どの人が京都駅発 四条烏丸、河原町、三条京阪経由の京都バス17番に乗られると思います。 京都市街を南から北へ縦断してから洛外大原の里へというわけですから、長時間の乗車で季節には大混雑です。 したがってJRは京都駅、阪急は四条烏丸から地下鉄で国際会館終点迄お乗りになり、国際会館駅と大原(及びその先の小出石)を結ぶ19番という京都バスに乗るのがベターです。 但し此の経路をとる人が少ないらしく、通常1時間二本だったのが二時間三本(40分間隔)に減っています。 従って京都バス の時刻表を調べて行動される必要がありますが、ややこしいことに今回のような三千院のイベントがあるようなときには臨時便が出ますから、電話か何かで確かめる方が良いかも知れません。(因みに今回は間に一本宛挟まって20分間隔でした)。 京阪沿線からは出町柳、叡電と乗り継いで八瀬でバスに乗られるのも良いのではないでしょうか。 いずれも帰りに関しても同じ事になります。

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国際会館終点のバスターミナルを出ると、宝ヶ池通りを東へ行き、南へ曲がって高野川へ出て遡ります。 写真はそこの花園橋で、向こうの鉄橋は叡山電車の鞍馬線、向かって右手の宝ヶ池駅で八瀬方面行きと別れたところです。 背後の山は比叡山。

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大原への道はいわゆる鯖街道。 今でも若狭方面への幹線道であるほかに、途中峠越えで琵琶湖大橋へも抜ける主要道路です。 従って普段から込んでいてシーズン中は大渋滞。 大原の里を抜けるのに1時間掛かるなんて事はしょっちゅうでした。 写真はそう言ったことで出来た一部のバイパスですが、ここで一寸・・・・。  途中峠越え と、書いたのは途中(道なかば)で峠を越えるという事ではなく、途中という地名の峠を越えると云う意味ですからお間違いなく。 京都バスには途中まで行くのもありますから、混乱しないようご注意のほどを。

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と云うことで、大原の小盆地に入ります。 此処でマイカーの場合の逃げ道を一つ。 大原の京都バス終点よりも京都寄りに野村別れという信号のある交差点があります。 此処を西へ行くと江文峠、静原、市原経由で上賀茂神社の御園橋まで出られます。 鞍馬方面へも連絡出来る道筋です。

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京都バスの終点で降りて三千院へは鯖街道を渡り、呂川沿いに登ります。 そこの横断歩道についてですが、赤信号が長い上に一見見通しがよいように見えるので、車が見えないと信号無視をする人が多いのです。 実は小浜方面から来る車から見ると、手前が急カーブなので横断歩道は見えず、青信号だけを見て突っ込んできます(概ね猛スピードです) 命がけですから要注意。
写真は登りかけ辺りのお土産物屋さん。

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こういった看板が幾つもあって、要所要所で適宜な解説をしています。

此の畑、季節にはこれも名物の紫蘇の畑になります。


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突然ですが、こんなお店がありました。
縁もゆかりもないんですが、私の好きな物ばかり並んでいます。
何時も行きに横目で見ていって、帰りには閉まっているのが、今日は帰りが早いので開いていました。
で、買い食いをしたのですが・・・
(だいこ焚き食べたんとちゃうんか?)
(別腹や)


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登り道の右側に挿う渓流が呂川(ろかわ)です。

もう一つ北側の渓流を律川(りつかわ)と云い、あわせて呂律。
魚山大原寺(大原全体の正式な名称、比叡山延暦寺というのと同じ言い方です)の大きな特色である、天台声明(しょうみょう)、つまり仏教音楽の音律のことになります。
それでお酒を飲み過ぎた時に起こる現象を称して、”呂律が廻らない”と云うわけです。


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このようなお土産屋さんが並びます。
多くは柴漬けなどのお漬け物。


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また突然ですが、名物ネコちゃんの登場です。 もうそこが三千院と云う呂川の一番上のお店に毎日”出勤”しています。 飼い主の店長?さんと何時も一緒の店員さん。

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と云うわけで、怪しげな紀行文~~(こんなん、そないにいわへんで!)~~で、一日分誤魔化しました。 (多分)明日明後日は三千院のだいこ焚きと、魚山大原寺下の本堂勝林寺と云うことになりそうです。

≪    法輪寺、嵐山周辺

初午:三千院大根焚き2010    ≫

 

2010年2月14日 (日)

法輪寺、嵐山周辺

針供養の日の法輪寺から嵐山の周辺です。   

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法輪寺の紅梅は何時も律儀に針供養の日、チラホラと色気を示して居ます。
この日に写すだけで、盛りの時に訪れた事はないのですが、さぞ見事ではないか、と思わせる咲き始めです。


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と云う一方で、この日は前日の雪が屋根に残っておりました。

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そしてもう一つの恒例。
甘酒のご接待です。

(まだ、クイシンボウかいな)

昔からありますが、寒い時期の甘酒はとても嬉しいものですよ。
(ご芳志の箱は置かれています)


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御本堂前。 
我々が参加させていただける蒟蒻差しのご法事以外に、色々な法事をなさっているようで、それ等が11時からなのかも知れません。


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おびんずる様の前に置かれた箱が、供養していただく古針の奉納箱で、既にいっぱいになっています。


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その箱の中にあった一瓶をアップしています。
留め針というのでしょうか、縫い針でなく頭のついた針が多いようですね。


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此のお寺には大きな展望台があります。

京都の西端の此の高台からは市街一円が遠望できますし、足元の渡月橋などもよく見えますから、必ず此処へ寄ることになってしまいます。


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お寺から下って、その渡月橋の畔です。

単なるカメラワーク、レンズ遊びですが、渡月橋の上流側を嵐山側から見たところ。


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上の写真に連なる川の左岸。 今や名物、点景になった人力車の基地です。

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もうひとつ、絵葉書をば。  左岸、嵐電側の下流から見た渡月橋。 三条通東行きのバス停の所からです。

≪    針供養:法輪寺2010

初午:大原行き2010    ≫

2010年2月13日 (土)

針供養:法輪寺2010

嵐山の渡月橋から西を見ると山の中腹に多宝塔が見えますが、十三参りで有名な虚空蔵法輪寺です。 そしてこちらでもう一つ珍しい行事が針供養、お裁縫仕事で働いて折れたり使えなくなった針をお持ちしてご苦労様と供養していただく、元は勅命で始まったというこの供養は 12月と2月の8日にありますが、12月の場合は今でも皇室からの針をお預かりして供養されているそうです。 当ブログでも何度かお参りしていますが、此の12月の方は御縁が無くてまだなんです~と云うよりも昨年初めて伺ったのですが、時間を間違えて失敗しました。
法要は11時から13時までとなっていますが、今日お伝えする蒟蒻に大針を刺す一般参加のお参りは1時からなのでお間違いなく。 

なんとなく嵐山09/12/8   針供養09:法輪寺   法輪寺針供養 (08)   虚空蔵法輪寺:針供養  (07)

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昔はお納めする古針を刺してご供養したのかも知れませんが、現在では用意された此の五色の大針を蒟蒻に刺してお祈りします。

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二段に積まれた二色の大蒟蒻がこのように三カ所に置かれ、仏前に供えられてこれから法要が始まります。


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虚空蔵菩薩は虚空即ち宇宙を宝蔵とする仏様で、知恵、福徳、芸道などの護り仏であり、したがって人の成長の過程でそのようなお願いをしに上がるのが十三参りと云うことなのでしょう。
そして技芸の一つである裁縫の針のご供養もなさって下さるのが此のご法事なのでしょう。

またその昔此の辺りに住して技能、産業面での功績が大きかった秦氏が崇敬したお宮などの流れを汲んでいる事もあるようです。


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此のご供養にお参りの方は、圧倒的に和装のご婦人が多いのが特徴です。

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読経が進み、列席者は順次前に進んで、大針を蒟蒻に刺してお祈りをします。

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何度かお参りしましたが、今回は何故か途中でえらく空いてきました。
内陣の外側三方にぎっちりと人々が座り込んでお経が始まったのは何時も通りでしたが、和装のご婦人の集団が早い目に引き上げられてこのようです。
おまけに今回に限っては不逞のカメラマンも殆ど居らず、その意味では落ち着いたご法事ではありました。


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後から遅れてこられた方にとっては、大変良い雰囲気でのお参りになったようです。


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そのおかげ様で私も静かに撮影させていただくことが出来、昨年末のフラストレーションはなくなりました。
明日は例に依って周辺部の情景などを・・・

≪    節分100204:壬生寺

法輪寺、嵐山周辺    ≫

2010年2月12日 (金)

節分100204:壬生寺

立春の二月四日です。 節分は済みましたが、壬生寺では壬生狂言などを含む主要行事が全て終わったこの日、朝からお善哉の接待があると云うことです。
信心よりも食い気で浅ましくも出掛けました。

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だいたい動機行動などが、昨日追い払われた鬼並みに低劣なのの言う科白ではありませんが、じつは私壬生寺にはあまり御縁がありません。
何故か、の第一は”新撰組”というのが大嫌いで、歴史的事実は兎も角、こちらは今でも奴らに占領されているからです。
ブログなんてものは当たり障り無く八方美人で行くのがベストでしょうが、これだけは旗幟鮮明です。
それが何故か、の議論を始めたら益々泥沼に填りますからやめておいて、念仏狂言や六斎などに関しても、この頃相当な集積になった此のブログなのに、大物中の大物、壬生狂言は抜けています。
これも些か含むところ?がある故ですが、それだけ悪態を付いて置いてタダのお善哉が10時から1000人分振る舞われると聞いたらひょこヒョコ出掛けて行く、と云う訳で、安物の鬼並みの行動です。

(オニがオコルで)


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悪態はこの位にして、壬生寺御本堂正面です。 未だ出店の幾つかは残ってお商売でした。

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先にお善哉の列に並びましたが、罪滅ぼしにブログの方は真面目にいきましょう。 こちらの御本堂南側には大きな仏塔、スツーパがあります。 そしてその前にはこのお寺ならではの焙烙納め所のカウンターがありました。

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焙烙~此の字はホウロクと打ったら出ますが、ほうらく という言い方は法楽に通じるのでしょう、此処ではそう書いてありました。 本来的には豆や炒り子を煎る素焼きの調理器具ですね。

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厄除けとして奉納し、壬生狂言の始まりの”焙烙割り”の演技の最後に舞台縁から払い落とされて割られます。 割ることによって厄を祓うのでしょうが、その為に一家一同の名を書き連ねてお納めし、家内安全を祈って頂くのです。  ほうらく600円奉納料100円

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その狂言堂はこちら。 大念仏堂と言い重文。 飛び込みや獣台を完備した立派なもので、春、秋、節分の延べ14日30番の演目が演じられますから、規模内容において京都の念仏狂言中群を抜いています。 が、私は未だ拝見したことがありません。 理由は三つ、一つ目は真正面に書いて貼ってある事のゆえ。 二つ目は右側の観客席。 此の素晴らしい古典建築と、コンクリートの今出来の付属幼稚園屋根を雛壇Iにして対峙させる”安手の機能主義”的アイデアの割り切り方。 
(もひとつあるやろ) (ごせったいちゃうことはわかってま)
四つ目を云えば、直接関係無いことですが新撰組が嫌い。 (ファンおおいのに、キラワレるで・・)

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と、偉そうなことを云った途端、次ぎは此、お善哉の接待です。 ほざいたついでに云いますが、お接待とは本来”タダ”の物なんでしょうが、この頃は”対価”を求められることが多いですね。 今日日ですから当然のことではありますが、つい”コスト”を考えてしまいます。 三宝やお賽銭箱が置いてあると、どうしたらよいか、これも困ります。 結局徹底的にケチなだけの神仏にも見放された奴、と云うことなんでしょうが、こちらのお善哉はタダでした。 ただし朝10時からと言うのに9時に並ぶ人が居るそうで、10時半現在写真の長さの列が三重に重なり、並んだ途端に、此処までで終わり、の札が立ちました。

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これ、三列折り返しの中程ですが、建物は狂言堂の前のコンクリート。 今風は構わないとして、こちら位なら建築家の手を煩わして欲しいところです。 色んな情報が写っています。 先ず10時37分現在”ぜんざい接待ここで終了です”のプラカード。 二階入り口には”すべての写真ビデオ撮影禁止”の大看板~全てと云うからには携帯も入るのでしょうね? その下には”狂言鑑賞は毎回入れ替え制です。その回が終われば次の方々のためにご退出下さい”と書いてあります。 大変尤もなことですが、やっぱり拝見する気力が萎えてしまいます。

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言いたい放題ですがお善哉の方は滞り無く到着して頂きました。 スチロールのカップにお餅入り。 製造のほうは大勢で大車輪のご奉仕です。

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皆さん楽しそうに立ち食いです。 実は此の後焙烙を写しに行きまして、終わって帰って来たら列は無く、逆にご接待のおばさんに呼び止められて残り福に預かりました。 (食いしん坊はヨウ見てはるんですね) ただし小豆が品切れになってお汁粉状態でしたが。

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ボクも絶対満足しています。 こうした記憶が積み重なれば、世界は絶対平和になる。~~

(そんな甘いモンとはチャウやろが!)

食いしん坊の節分を終わります。

≪        節分100203:平安神宮の豆撒き

針供養:法輪寺2010    ≫

2010年2月11日 (木)

節分100203:平安神宮の豆撒き

災厄を追い払う大儺之儀は終わったのですが・・・

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鬼どもは応天門の扉を蹴破って侵入してきます。

”鬼の舞い” の始まりです。


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鬼の正体は狂言の茂山社中の人達で、その舞いの演出は茂山千之丞さんですから、これは只のアクションだけでは済みません。

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その所作、振る舞い、全て能舞台で鍛えられた本物なんですから。

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大人は喜んでいますが、子供たちにとっては大恐慌です。

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広い龍尾壇の広場内を踊り回り暴れまわって、遂に大極殿にまで侵入。 ところが、

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そこで年男の反撃にあいます。

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年男たちに福豆を投げつけられて、さっきまでの威勢はどこへやら。

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這々の体で逃げますが、応天門まで追いかけられて、ザ・エンドになります。

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斯くして鬼は去り、この後が一般的な豆撒きとなりました。 

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やはり綺麗どころも参加して愛嬌を振りまきます。

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このようにして大儺之儀~追儺式は終わって、このあとは16時から下の段でお火焚きの神事ですが、少し寒くなり始めました。 後30分程のことが辛抱できなくて逃げて帰ります。
そして夜は捲土重来、千本閻魔堂で”鬼の念仏”でも見て、「福は内、鬼も内」の豆を頂いてこようと思ったのですが、結局それもようしませんでした。
でももう後一日、明日の4日、立春にも行くべきところはあるのです。

≪    節分100203:平安神宮の方相氏

節分100204:壬生寺    ≫



2010年2月10日 (水)

節分100203:平安神宮の方相氏


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この日も時折時雨、霰が舞う節分らしい天候でした。 方相氏はこのようにして盾と鉾を打ち鳴らします。

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上卿と殿上人が厄を祓うと、方相氏は伴の小童八人を引き連れて動き出します。
その行列の後ろには上卿を始め一同が続きます。


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右廻りに斎場の周りを三回廻り、盾と鉾を打ち鳴らしつつ、

 「鬼やろう」 

と、唱え、従う子供たちもその他の者も、そして観衆も、それに和して「鬼やろう」と声を発します。

 

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斎場の周りを三周し終えると、一同応天門へと向かいます。

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応天門前では又別の群衆が待ち受けていますが、此処でもゆっくり観覧できます。

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方相氏は再び 「鬼やろう」 と唱え、
盾と鉾を打ち鳴らします。


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上卿は今度は南西と南東に向かって矢を放ちます。  矢は群衆の中に落ちますから、注意する必要がありますが、破魔弓の矢が当たる人は ”魔” なんでしょうよ、きっと。

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続いて殿上人の桃の杖の出番です。
桃は邪気を祓うとされていて、このようにして四方を祓い浄めるのです。


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方相氏以下が引き上げて大儺之儀は終了します。 これで邪気は追い払われた筈ですが・・・

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なんと、応天門の門外に、完全武装をした鬼の一隊が現れます。

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鬼どもは武器を翳して応天門の中を窺っています。

(以下明日)

≪    節分100203:平安神宮の追儺式

節分100203:平安神宮の豆撒き    ≫

2010年3月

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