ブログ:ノルマ!!  TOPページ (2010)

              京都のイベントや社寺を主とした写真日記的ブログ

 

                          色々なご案内などを書き込んでいます。

修正 09  07/26  07/31  10/17    10  06/01  08/31

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-1: 雑記帳(10/06/03)

此のブログも初めてからもう5年になりました。 
関西電力のメンテ用光ファイバー網を利用したeoのネットワークで、加入した頃は3万人になったら経営が成り立つと言うことでしたが、昨日今日は100万を越えた、とTVコマーシャルをしています。
ただし一昨年の八月にそれまで関西ドットComと称していたのが今のeoblogに変わり、ブログのソフトも変わって実用上もサービスも低下してしまいました。
集計の仕方が違うのでしょうが、以前は最大一日400人/1000アクセスまで記録したものが、現在では平均して250~300アクセス/日程度です。
それでもやっと記事の数が2000を越えて、最近では毎回10枚程度の写真をアップしますから、掲載した枚数も万を超えることに事になると思います。
その間の皆様方のご声援を感謝すると同時に、今後も続けられる限りやっていこうと思いますので、宜しくご支援の程お願い申し上げます。

  08/31追記
アクセス数累計ですが、eo側の集計で本日200000アクセスを越えました。 またFc2アクセス解析によると、今月16日 ユニークアクセス526人、累計722アクセス/日を記録しました。
今月はまた日本、アメリカを別として、世界21カ国からアクセスされています。
おかげ様でこのように昨今は次第にカウント数等が良くなりつつあります。 皆様のご声援を感謝いたしますと共に、倍旧のご支援の程お願い申し上げます。


0: 一般事項

この辺りに特記する事項ではなく、当たり前のこととして居りましたが、世知辛い世の中で書いて置いた方が無難なようなので此の項を設けます。

 01: 当ブログ所載の記事映像の著作権標示は (C)Sango/Morino-Fukurou です。
 02: 当ブログ所載の記事映像は原則として二次使用可です。 但し事前に目的等を明示して了解を取っていただくことが、当然のエチケットと心得ています。
 03: 良識常識外の行為とその結果について当方として責任を持ち得ませんし、必要な手段を執る権利は留保します。


1: 記述内容に関する訂正事項:

最近ではありません。

2: ブログの移転絡みの問題点について

08年8月関西ドットComがeoブログに統合された結果、多くの不具合が発生し、大変ご迷惑をおかけしております。  10年6月現在も残っている不具合は下記の通りです。

 1)  ブログ内リンク切れ

a: 関コム時代のページ(08/09以前のアップ分)内にある当ブログ内のリンクは、サーバーが無くなった為に全て機能していません。 
それで”ブログ内検索”窓を右欄外に設けております。
此処にキイワードを打ち込んでいただくと、Googleが開き、、そこの検索窓下にある

  ”http://sango-kc.blog.eonet.jpを検索” ボタンをチェックしてから、
再度検索ボタンを押して下さい。

Googleが収集してくれた当ブログ内の項目がほぼ全て現れます。 
目的ページ周辺のものもあり、ブログ内検索及び内容概観としてご活用頂くと、結構お役に立つかと思われます。

b: 当初の不備を解消するために、eo側で設けた検索窓がブログ頁最上部欄外にあります。これは少し宛改善されていますので、上記a:の検索欄を試みられて不充分な場合はお試し下さい。

 2)  ページ間の移動

関コム時代のページ末尾にある  前の頁へ  次の頁へ  *Blogノルマ!! 内容一覧*
に関しては上記のと同じ理由で機能しません。 
前後頁への移動リンクを毎日手製で設けておりますが、古いアップ部分迄手が回りません。
ページ間を移動して頂くのには各頁トップにある”メイン”の左右に標示されたタイトルをクリックすることでお願いする事になります。

 3)  05/09/08以前の写真の消滅

これは関コムの仕様で画像一点に限定されていた頃のものですが、横位置の写真が消失しています。 本来は移転時にeo側で修復すべきものですが、時間経過と共に逆の現象が起きて次第に消滅、今や全部消えてしまいました。
関コムの時アップした30000点ほどの写真をeoからCDとして送ってきたのですが、ファイル名とNoが変更されていて、その命名法に法則性がありません。 
自分で修復したいのですが、必要な写真を探し出す作業は絶望的な偶然性に頼る事になり、戦意喪失中です。 

 

 

2010年9月 3日 (金)

大原陵:10/08/28

さて勝林院で息継ぎをして人心地を取り戻し、本来の目的地である三千院に戻ります。
時間は思ったより経っていて、もう正午過ぎ。 処が意外なところが開いていて、それや此やでまた予定が狂い・・・

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もう一軒、この辺りの子院として此の実光院があります。 大原へ:宝泉院、実光院

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そこはパスして律川の橋へ。 そこで意外なことが起きました。 横手から外人観光客が数人現れたのですが、見るとそこの大原陵、後鳥羽天皇と順徳天皇の大原稜入口の柵の扉が今日は開いている!  
いつもは施錠し閉じられていて、中まで入ってお参りできたことが無く、前を通り過ぎるだけだったところが、です。
当然喜んでお参りに入りました。  
参道は短いですが鍵の手に曲がって整備が良く、此の写真のように如何にも大原の里らしい光景が望めます。

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素晴らしく枝振りの良い松があって、そこを直角に曲がります。

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大原陵の正面です。
何時も公開されていないだけに静寂、清浄。
神明造りの鳥居が高い木立と相まって荘厳な佇まいを示しています。

後鳥羽帝は平家が安徳天皇を伴って都落ちをした後、後白川法皇によって四歳で即位し、その後鎌倉幕府の初期の頃、朝廷の権威を保つのに腐心され、後白川法皇亡き後は自ら三代に渡って上皇として君臨されて、承久3年には幕府の執権北条義時追討の院宣を出されましたが、このクーデターは失敗に終わって隠岐の島に流され、協力した子の順徳上皇も佐渡に流されました。 
承久の変です。


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後鳥羽院は歌人としても百人一首の  
   人も惜し人も恨めしあじきなく世を思うゆえに物思う身は
で有名な方ですが、そのまま配所で崩御されました。
日本の歴史上幾人かおいでの、京の都に帰ることを望みながら空しくなられた方のお一人です。 今は此処大原の静寂の中に鎮まっておいでです。

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参道の砂利は掃き清められていて綺麗でした。 蝶が一匹、ひらひらと飛んでいました。

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貴重な体験をして外にでました。 これは丁度陵墓入り口正面の実光院の塀。 向こう側には律川からの瀧が落ちる庭があるはずです。

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律川の橋を渡って三千院側へ。 流れの水は写真では判らないほどに薄く流れたいます。

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橋のところから見た三千院の石垣です。

さて此処まで戻ったからには当然所期の目的である三千院の放生会に向かう・・・
筈ですが、何しろ疲れました。
もう午はとうに過ぎていて、本来の計画では遅い食事をとるべく大原を離れている頃です。
だいたい京都の人間が観光地でメシなど食うもんやない。
(やらずブッタクリいうんか?)
(そこまではイワンけど)
兎に角飯にして休息しなければ。 疲れがとれたら、午後は三千院、と云うより無い、と、覚悟を決めて、(オオゲサ!)
そんなら一層のこと一番観光客が入りそうなところで一番それ向きのもの食ってみるべし、と、妙なところで探求心を起こしました。


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三千院門前、正真正銘ま正面のお店に入りました。 生湯葉定食なるものが表に太書されていて900円ほど。 蕎麦かうどんにご飯、鰻ザクにお土産用に売っている芥子椎茸やお漬け物と云った小鉢が三つばかり添えられています。 それにデザートの八つ橋が一個。 袋にIz 八つ橋とあったので、お店の経営主体が知れました。 生湯葉そのものは美味しいし、京都以外の人にはもう一つ日常的ではない食物でしょうから、良いアイデアとは思いますが、麺類専門店でのタネ物としてはまあ見かけない~と云うことは些かパンチに欠けるところがある、という素直な結果が全て、と云う辺りの感想となりました。

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食事も終え、満腹満悦ではないにしても、栄養補給は出来ました。 昼食休憩も十分とった(筈)なので、 さて、では三千院へ、放生会へ、そして明日のブログはその情景で・・・・の筈が、どうしても意気上がりません。 
結局は当初の目的は放棄、一種の食い逃げ状態で山を下りました。 途中またネコちゃんにあって、ポートレイトが売り物になっているのを知り、昭和一桁乃至大正人の一隊と出会って、「私は戦争には行きませんでしたが」と言ったら、むこうは皆経験者。 なんか自然に 「ご苦労様です」と言葉に出したら、皆さん感激して下さいました。 その時は多分直立不動の姿勢をとっていたのだろうと思います。 
私は先に下に向かったのですが、途中でその一隊に追い越されました。 やはり鍛え方が違いますな。
「 以上、 終わり! 」

≪        大原勝林院:10/08/28

 



2010年9月 2日 (木)

大原勝林院:10/08/28

でッ、出たッ !!    

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間違わないで下さい。 大原は勝林院の池で転生を繰り返している、天然記念物の一族に過ぎません。
其の名は モリアオガエル。(森青蛙?)

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勝林院は静かです。何時も。 三千院前の道の突き当たりで、遠くからも此の御本堂真正面が見えていますから、観光客が見落とすことはありません。 でも見ていると立ち止まって眺めるのが半分くらい、また半分くらいが駒札を読み、そして寶泉院へ行ってしまいます。 大抵はガイドブック持参なので、血天井の方がインパクトがあるのでしょう。

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誰も居ない受付のお鉢に300円入れて入ります。 右手にある鐘楼の鉦は藤原時代の物で重文。 

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右手奥の山側を最近整備されています。 余りやり過ぎると善し悪しになるのですが、今のところ丁度くらい? 歩きやすくはなりました。 左寄り二本の木の間に見える宝篋印塔(ホウキョウイントウ)は鎌倉時代のもので重要文化財。 大きくてプロポーションが良く、此の形式の石塔の代表的なものとして覚えて置いても損はないでしょう。   

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其の斜面の下。 本堂前庭の平場のレベルに小さい池があって、上に紅葉が二本差し掛かっています。
此処がモリアオガエルの王国です。
尤も恐ろしい天敵も寄っては来ますが、
(オマエのことかいな)
(チャウ! おれはせいぎのみかたや)

大原へ:極楽浄土

岩倉実相院

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上の段の遊歩道脇、新たに植えられた琵琶の若木の葉の上に此が居ました。 見つけたのは若いお嬢さんの三人連れ。 此処では珍しいお客ですから、お出迎えをしているのかも。

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アップです。 実物はせいぜい親指の爪くらいの大きさで、今まで見たのはこの倍はあります。  よく見るとシッポの残りらしきものが付いているので、やっと大人になった処なんでしょう。 でも池からは水平に十数M、垂直に五Mは離れた場所でした。

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それで池を覗きました。 居る居る。 ウジャウジャと、と言ってもいい数のオタマジャクシ。 モリアオガエル王国は当分安泰かも。

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やっとこさお堂の方へ向かいます。 こちらは山中とは思えないゆったりした平場の中央に御本堂一つ聳えているだけのシンプルさ。  今の建物は比較的新しく、享保二十一年(1736)再建ですが、此の時代には珍しく端正優美なプロポーションと良いデテールを持っている総欅作りの御本堂です。

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此処は私にとっての安息場ですから、のびのび勝手にさせていただいています。
正面キザワシのとっかかりに座って息を継ぎ、靴を脱いで辺りを見回してていたらこれが目に入りました。
回廊の欄干の擬宝珠です。

”・・・炎上失諸衆唯謀再建・・・成テ慈明和四年・・・” 此のお堂の再建の銘文でした。

このお寺は藤原道長の頃の創建で、法然上人の大原問答や、皇室の勅願法要御懺法構、そして仏教音楽である声明の中心道場として栄えましたが、江戸初期に春日の局が崇源院(家光の生母、二代将軍秀忠の室、その菩提寺崇源院も血天井で有名)の為に作ったお堂が焼け、それを再建した時の由緒が書かれているようです。


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やっと上に上がって参拝し、且つ休息です。  上がろうとしてふと上を見ると、階段の一番下からも御本尊のお顔が見えました。 此の阿弥陀如来さま、道からもお顔が拝めますが、こういった開放的なところがこちらの真骨頂でしょう。
尤もこっちが勝手にそう決め込んでいるだけで、阿弥陀様にしてみれば 「このやろう、ええかげんにせい」と、思ってられるかも知れませんが。

≪    大原寶泉院:10/08/28

大原陵:10/08/28    ≫

2010年9月 1日 (水)

大原寶泉院:10/08/28

     

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寶泉院に入ります。
こちらはお抹茶つきで800円。

入って庫裏の玄関に向かいます。 傍らには良く整えられたこじんまりした泉水があり、此はその玄関脇の瀧の辺りです。

こちらは例の伏見城血天井のお寺の一つですが、それよりも額縁風景のお寺として、とみに有名です。 
つまりお庭と外の景色を室内から眺めるのに、柱、鴨居、敷居と云った四角いフレームに填め込んだ形で鑑賞する。
額縁効果というのは美学的にも認められている方法の一つですが、其の最も典型的な例として価値があります。

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入ると小さい中庭などがある庫裏から方丈へ導かれます。 一間巾の畳縁が取り巻いていて其の天井板は伏見城の血染めの床板。 部屋は手前側に仏間があって、奥のサイドがメインルームになり、付書院と床に囲まれた一郭には脇息を置いた赤い座布団が敷かれています。
此の時間帯、お客は写真の程度。 私は額縁風景の模写をしに来たので、人が居ないことが絶対条件。 此の程度ならと思って油断していたのが大間違いで、此の後すぐに満員になりました。 向こうの廊下に立っているひと、この時に一寸お願いして退いて貰ったらそれで完璧だったのに。

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脇息付きの赤い座布団、つまりお寺の旦那や殿様が座る位置から先ず南側正面を見てみます。 此処の額縁風景の一つがこれ、樹齢数百年の五葉松。 もう一つは西側です。

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さいわい人が退きました。 私のために置かれたお茶碗のみ。  額縁効果というものの判りやすい見本です。

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全く同じものですが、一寸寄って松の姿が周辺まで写り込みました。 同じ額縁でも画は大分違った印象になりますね。

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実は本当の額縁庭園とはこちら、西側のことです。  そしてもう少し幅が広く、ことに左側がもう一スパン加わります。  その佇まいを真正面から見る。 もちろん前の夾雑物は無しに。  此が此処のお庭の神髄なのですが、残念ながら今回も無理でした。 
此のブログ上で私は結構あちこちのお庭に関して毒づいたりしています。 でも此処のお庭は些か違います。 構成要素に何の奇もなく銘木名石に頼っても居ません。 ただそれらの織りなすコンポジジョンだけで出来上がった素晴らしい風景です。 竹の林の隙間から見える向こうの山の風情なども加わって構成されているわけですが、其の隙間な るものの配置も只のものではありません。 木竹という生き物、成長し変化するもので作りながらです。

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というわけで、ちゃんとご紹介することが出来ませんでした。 
写真に関してこちらのお寺は拒否的ではないようにお聞きしてもいるので、本来ならもっと適当な時間帯などを選んでお願いでもするべきなのかも知れません。

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退出するときに見た、庫裏の脇の小庭です。 手水に海棠の花が・・・

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前はなかったと思いますが、綺麗な囲炉裏のあるお部屋が見えました。

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外へ出てフト気が付くと、門の真正面があの五葉松の側面になるのでした。
またこちらには最近出来た宝楽園というお庭が別にあり、広大なもので樹木や石組みなどにも想を凝らされたものです。 私は額縁を撮ろうとして疲れ果てたのと、足元もおぼつかないので今回は失礼しました。

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此の後勝林院へ向かいます。 おもての杉の根本に赤い前垂れのお地蔵?さんが。 この辺りも画になるように考慮されているのかな?

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これは寶泉院の方から見た勝林院の蔵で、微妙な光の照り返しが魅力的でした。

勝林院は魚山大原寺に二つある本堂の一つで、寶泉院は住職の坊と云うことですが、今勝林院には余り人は詰めて居られません。 通常入り口で300円置いてパンフレットを頂いて入れば良く、少なくとも私 (のような邪心のない者・・ウソとチャウ?) にとっては、ゆったりとしたご本堂でのびのびさせていただき、大原の自然と交流してリラックスできる極楽なのです。

≪    登り道:三千院へ10/08/28

大原勝林院:10/08/28    ≫

2010年8月31日 (火)

登り道:三千院へ10/08/28

昨日今日物凄く紛らわしいタイトルを続けています。  (アクシュミやで)
偶々内容的にどっちもそのようだったからに過ぎませんが、つまりはその程度の内容です。

8月28日には三千院で放生会が行われます。 
11時かららしいのですが、朝のうちに出掛ければ暑さも幾らか増しでしょうし、そもそも大原は市中よりは僅かでも涼しいはず。
お昼に少し跨っても、ついでに幾つかのお寺を巡ってブログネタを仕入れるべしと云う、未だにノルマ氏の呪縛に掛かったままのような行動を予定しました。

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大原へは地下鉄国際会館終点から向かいます。
ここから京都バスと云うのが京都在住以外の人にも最適な経路と思うのですが、どうも集客力がないようで、大原から出る時京都駅行きが満員でも国際会館行きは座れるという状態で、かつて二〇分間隔であったのが四〇分間隔になってしまいました。
それに時間を計って行って九時二〇分発。 大原着は四十二分です。

お土産物屋さんはぼちぼち店を開けかけて、参拝客はまだちらほら。
呂川の道を登るのに、今や途中二回休む必要があるだらしなさですから、私にはこの位が丁度いい。

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毎回写す呂川の流れなんですが、今回こんなものを見かけました。 
道の傍らから流れの側まで降りる石段です。 河原の自然石を積み上げて竹で作った手摺りも添えた、地元の方の工夫でしょう。 まわりの景観にもマッチして、深く刻まれた呂川の渓流にも接近できる、素晴らしいアイデアだと思います。
と、思う一方で、 
(あんなぁ、紐育の街路でコケたら、先ず誰を訴えるか、カンガエル、という話もあるで)・・・・・・
そうなんですよね、バブルが弾けた後、なんでも”グローバル”とやらで起こった色んな社会的変化、其の考えに従えば此の手積みの石段が崩れて川に落ちたら・・・・、訴える先はありますよね。
だけど、やはり此処は日本、此処は大原。   です。

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途中休憩する定番の場所、棚田(と云うほどではありませんが)の展望台です。 稔りの秋、豊葦原瑞穂の国の秋、も近いですね。 

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元の参道へ戻るところの寸景。

なんてこと無い光景、でもやはりこれもジスイズジャパンかな?


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此のお地蔵さん、何時も撮るのですが、正直これ以上には写りません。 訂正、写す能力がありません。

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元の参道に戻りました。 アイスきゅうり? 以前から此処で売ってられますが、私は未食です。 所がこの間何かのマスコミで紹介されていました。 其の記事で行くと結構いいモンのようです。 と云いつつ今回もまた食べ損ねました。

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これ、参道脇ですが、何を写したの?
それなんですよね、 写ってるものは木の根っこと、上にあるお家。 何かの表現ではなく技術的トライに過ぎません。 つまり物凄い明暗差のある被写体がどちらも一枚に写し込まれている・・・(それ、ナンのいみがあるんや?)  フイルムで言うラチチュード(寛容度)デジタルのダイナミックレンジの拡張、・・・・なんてことよりも、”竜馬伝”のあのギラギラした逆光のハレーションやら色の滲み、カブリ、と云った表現が”トレンディ”なのかどうか。
すみません、かってに我滅ってました。

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どんどん登っていきます。
と云うのは修辞でして、この爺さん、完全に顎が上がっています。
もう終点、三千院の直下ですが、何やら路上に若い人達が群がっています。

ハハン、アレやな。


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そうなんです。
此処の道の脇にあるお店屋さん、手作りの装身具屋さんでしょうか、そこのご主人。 いや違った、ご主人についてきた店番の猫タンです。
もう何年になるでしょう、今や此処いらの名物です。


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と、言うことでやっと三千院にたどり着きました。  下りだと15分くらいの道を1時間掛かって到着。 でも放生会は法要が11時からで、放生は12時近くからと言うことです。 それではその前に表のお寺を廻りましょうと、入りませんでした。

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三千院の門前を通り抜けて行くくと律川の橋があり、その向こうにこの景色が見えます。

魚山大原寺下本堂勝林院。
私のリラックスさせていただける桃源郷です。
今日は此処へ入る前に左手に曲がって、先に寶泉院に参ります。
こちらは額縁の寺、血天井の寺。 観光客の受けという点では天地雲泥差で、皆勝林院は素通りして奥の分かり難い位置にある寶泉院へ向かいます。

そんなわけで何時も混むので大抵は敬遠。 でも今日は未だ昼前ですから、額縁風景が撮れるかも、と云う期待で行きました。



≪        09/09 登り道:三千院へ

大原寶泉院:10/08/28    ≫



2010年8月30日 (月)

09/09 登り道:三千院へ

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09/09/23

洛北大原の場合、公共交通の足は京都バスただ一つです。 
当然春秋の観光シーズンはマイカーも殺到して大混雑し、駐車場は満杯、鯖街道も渋滞と言うことになります。 ハイシーズンに真っ向から大原へ向かうという愚はお止めになった方が良いでしょう。 
そうでなくても大原の里を貫通する鯖街道、国道367が日本海から京都へ向かう幹線であることは昔も今も変わりなく、今は琵琶湖大橋を渡って湖東方面へ向かうにも近道ですから普段でも混むのは当然です。
ただ大原の里へアプローチするだけなら、八瀬から行かなくても賀茂川を遡って市原、静原、江文峠と云うルートがあることは覚えて置かれた方が良いでしょう。 このルートは上賀茂、貴船、鞍馬、大原と回遊するのにも使えます。 (私が車を駆っていた頃のメインルートの一つです)
所で元へ戻って、公共交通である京都バス(昔の名を言えば鞍馬バス)の大原バス停から歩いて西へ向かうと寂光院方面へ。 東へ向かうと三千院方面と、ルートは全く別に二つに別れます。 
そのうち三千院方面へは呂律の呂川の坂を登っていくのですが、其のとっかかりにあるお土産物屋さんの辺りの風情が此の写真です。
観光地の土産物屋さんが並ぶ参道というものは、なんかもう一つパッとしないのが通常ですが、呂川沿いの道はそれほどではなく、その辺り京都は一応の水準を保っていると言っても良いのでしょうね。
呂律の呂川(ロリツのロ川)と書きましたが、これは大原~正式に言うと天台密教の魚山大原寺(ぎょざんだいげんじ=三千院などを含む全体の正式な山号と寺号=比叡山延暦寺と云うのと同じ言い方)が保持し研鑽されている声明(しょうみょう)~お経にリズムを付けたようなもの=教会音楽と同じようなコーラス、音楽的なもの~の用語で、もう一本律川というのがあって、あわせてロリツ、つまり声明の音階等を示すことになるのだそうです。 
酔っぱらってロレツが廻らない、と言う言葉はここからきています。  (モ一つ、ロレツがまわってないカイセツやな)

≪    09/08 崖のお地蔵さん:化野

登り道:三千院へ10/08/28    ≫

2010年8月29日 (日)

09/08 崖のお地蔵さん::化野

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09/08/24

此のシリ-ズはなんとなく話題が途切れた時用の去年の残り物ですが、この間からなんとなく旨い具合に季節に填ってきました。
これは化野念仏寺の崖の下。 彼の有名な千灯供養の晩の撮影ですが、いまや愛宕古道街道灯しなどともとリンクしてこのところとみに盛んになり、特にカメラマンが大勢蝟集するイベントになりました。
実際問題としては行事の趣旨上大勢が押し掛けるようなものではなく、戦後すぐの嵐山から歩く以外方法がなかった頃、もちろんブログなどもなく広報も行き届かなかった頃は、それは幽玄、幻想的な風景だったでしょうが、今は不逞のカメラマンを始め観光客が大勢押し寄せて、全くの観光地の行事になってしまいました。
元もとは都の三つの野 の一つ、早い話が無縁仏の風葬の地だったような辺境が、其の残映故に賑わっている、と云うような言い方をしたら、これはすこし行きすぎでしょう・・・ね。

ところでこのお地蔵さん。 特別な御由緒があるのかどうか、見たところはごく普通の石の地蔵さんで、この上に上がったらそれこそ無数に居られる方々と何処も変わらないような印象なのですが、兎に角”いい場所”にお座りです。 
化野念仏寺には此の左手の坂を登ってお参りし、終わると一方通行で此の右手にある坂から退出します。 丁度そこんところの愛宕古道の崖の穴に座っておいでなので、目を引きます。 もちろんご近所の人達がきちんとお守りされていて、写真のようにささやかでも豪勢に飾られていて、そう言った意味でも目を引きます。
但し、写真写りという点では難物で、当方の思い入れのようにはなかなか写っては下さいません。

≪    鴨川:二条大橋あたり10/08/22

09/09 登り道:三千院へ    ≫

2010年8月28日 (土)

鴨川:二条大橋あたり10/08/22

夏と言っても京都のこと、その気になれば追いかけるべきイベントには事欠きません。 八月中だけでも六斎は目白押しですし、宵弘法に愛宕古道、化野の万灯籠。三千院の放生会。 数え上げたらいっぱいあります。 さりながらこの猛暑+の体調不良。 歳のせいか病気のせいか、はたまた薬の副作用か、問いかけてもお医者さんの返事はなく、兎に角暑い間は安全運転を、との指示のみです。
実際問題として今までは、そう言うことがあっても「なにくそ」とガンバって、カメラを振り回していれば気も晴れたのですが、肝心の其の気力が薄れつつあり、さればどのような手段でカバーするか、元もとがアクチブな方で、家でぼんやりTVを見るというようなパッシブな生活は性に合いません。 なんかしてやろうと思いつつ、未だ解決法が見つかりません。
(今頃になって定年退職後の毎日をどうしたらいいのか迷う、並のサラリーマンの水準に到達したのかも)   

長い前置きは (いつものこっちゃ、トシヨリ現象や) ええ加減な写真で一日分誤魔化していることへの予防線です。
其の一方で、京都ッてのはヤッパ一寸したもんやないかいな、と自己満足もしても居ます。

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なんてことのない写真を並べます。 場所は二条大橋の、文字通り周辺のみ。 全くなんてこと無い場所での全くなんてこと無い時の写真です。

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橋の東側の植え込み縁石に腰掛けています。 実はすぐ東のお寺で遅くなった盆詣りをし、河原町からバスに乗るのに川端通でもうへたってしまったのです。  転んでもただ起きるモンかという(さもしい)気概と、カメラ持ちだして気を紛らわせることを目的に、周辺に向かってシャターし始めました。

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よちよち、ポチポチと橋を西へ渡ります。
大きな建物は河原町通の京都ホテルオークラ。 むこうに見える橋は御池大橋です。

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柳と遊歩道。 橋は丸太町の橋。 
二条大橋の東端から北を見ています。


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橋の途中からの西南側ビユー。 此処が鴨川納涼床の北限になりましょう。

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同じ所からの北の眺め。 川中に飛び石があって、何故か北山は霞んでしまって見えません。 広角レンズで遠近感が誇張されたせいでしょう。 左側の建物はホテル藤田。 鴨川縁ですから低層の建物です。

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その反対の下流側の眺め。
最近河床を綺麗にしたので、雑草の生えた中州はありません。

でも鴨達は何処で子育てするんやろ?


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三枚前と同じ眺めで少し西に寄ったところ。 一段目の堤防の上に有って、床の下を流れている水流には、みそそぎ川 と言う名もあるようですが、余り一般的とは言えないです。

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その みそそぎ川は此処のすぐ上流から発します。
もちろん人工的なもので、琵琶湖疎水の分流の一つです。

5枚前の写真と対称の位置になる、西岸からの北のビューになりますが、突き当たりに見える緑は賀茂川と高野川の合流点の北側、下鴨神社の糺の森です。


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みそそぎ川を真北からアップ気味に見たところ。
青鷺が一匹真ん中に立っています。 
こいつは縄張りを持ちますから、この辺のボスなんでしょう。


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橋を西へ渡って高瀬川の始まり、一の舟入の所まで来ました。 右手の建物は島津創業記念資料館。 日本の近代科学機器製作の原点の一つで、近くはノーベル賞受賞者田中耕一さんを出した島津製作所の記念館です。   なんとなく、高瀬川舟まつり   島津創業記念資料館

全くなんてこと無い場所のなんてこと無い写真ばかりです。 と云いながら、これ、やっぱり余所から来られたお客さんなら、撮るかも知れない光景かな、と言う思いが横切りました。
身びいきかも知れませんが、そう言う要素もあるとしたら、やっぱり京都、ということにもなりましょう。
そうした目で見て、そのくらいの京都を拾えたら、多少足腰がイカれても間に合うのかも。

≪    清水寺:雑景10/08/08

09/08 崖のお地蔵さん:化野    ≫

2010年8月27日 (金)

清水寺:雑景10/08/08

タイトルの通り相当な旧聞です。 つまり清水寺での中堂寺六斎奉納の時の余録です。
でも今から考えるとあの頃は未だ涼しかった??     

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夏雲が広がって暑いことは暑いが、今日この頃のようにしつこく長く暑いのとは違った感じでしたね。 今がへばっているからかな。
正面、子安の塔は未だ足場が掛かっていて姿を見せません。 その向こうのなだらかな山は秀吉の墓が頂上にある阿弥陀峯でしょう。

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この日は御本尊の千手観音ご開帳です。 千本の手のうちの一対を頭上に真っ直ぐ差し上げられて、掌を合わせられたお姿が特異です。

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前の写真が入り口でして、門を入ったところ。 内陣を一周して拝んで出ると此処、舞台の西脇です。

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大きな錫杖やなんかにお参り客が群がっています。
こちらの場合は何と言っても参詣客が多い。 ご信心の方も多いが観光客がもの凄い。 
その中でも近頃目立つのは、甲高い声で感興をかわしあって歩いている団体客。 同じ肌色をした外人さんの一行です。


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清水の舞台というのは流石のもので、金閣寺同様、大衆的虚名とは言えません。 とはいうもののポピュラーな観光地の代表で、この頃それに花を添えてくれるのがこの方達。
業者さんの数も多くなったようで、以前は(ほんものと)見間違えることもありましたが、この頃はそうではありませんし、廻りの関心も今一つです。

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此は六斎の奉納が終わった後ですから午後も後半。 西日の京都市街と言うことになります。 六道珍皇寺の迎え鐘や、五条坂の陶器市の夕景などブログネタ収集にはもってこいの状況なんですが・・・・

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本堂から見た奥の院の舞台です。 青龍会のパレードは此処から始まります。
清水の青龍会10/03/17:奥の院から  (そのほか当ブログ上の青龍会はこちらで全て検索可です)

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ほぼ同じ辺りから裏側を見たらこの地主神社(じしゅじんじゃ)があります。
見るとおりの縁結びで有名な神社ですが、清水寺とは別のもの。 でも参詣するには清水の境内を通らねばなりません。
明治以前は清水寺の鎮守社でしたから。

 地主神社 


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奥の院と本堂舞台の間の坂を下ります。 
舞台を支える柱の群はやはり見応えのある風物でしょう。


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同じ所から真っ直ぐ正面下を見ています。 
見えているのは音羽の瀧。 
行列をして汲んだりして居られますが、清水と言う言葉の元は此の浄い水から来ています。


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下の段まで下りて舞台の下を表の方へ向かって帰ります。 西日が真正面で綺麗でした。

≪    京の七夕:堀川

鴨川:二条大橋あたり10/08/22    ≫

2010年8月26日 (木)

京の七夕:堀川

京の七夕。 新しいイベントです。 
鴨川納涼の会は以前からあって盛況 (此を盛況と言わずして何が盛況か、と云う賑やかさが身上) ですが、それが拡大発展して鴨川会場と堀川会場に別れ、旧暦の七夕というわけなのか、8月6日から15日までの間、19時~21時30分点灯という「京都の新たな夏の風物詩」を目指してスタートした企画です。
この内堀川会場は、堀川の流れの復活と親水公園の登場に伴って浮上したイベントでしょうが、基本的な骨格は素晴らしいもの。 但し最初と言うこともあってか、必ずしも手際の良い運営とは言えない面もありました。 だがハードと企画の根幹はしっかりしたものですから、きっと年々良くなって、本当に京の夏の風物詩の仲間入りをすることでしょう。、
範囲は二条城南側、流れの暗渠化する押小路の所から始まって、上は一条戻り橋までの堀川河川敷~と云うことは掘割の中。 すべて北行きの一方通行規制です。
途中の出入りは出来ますが、場内(堀川の掘割内)移動は北向きのみで、反対には動けません(物理的にも)。 私は事前に知っていたはずですが、京都の老齢者として反射的に南へ下る~地勢的な意味でも坂を下る、と云うこと~経路を思い浮かべたものですから、戻り橋でバスを降りて、堀川の水端を中立売迄下がってから、19時開場で南行きはストップ。 追い出されて上に上がり、下長者町までは下を覗きながら堀川通の歩道を歩き、バスに乗って三つ目の二条城前迄行き、南端の正規の主入り口から入り直して北へ向かいました。 そんな無駄足と大混雑でヘトヘトになって下長者町手前迄戻ってギブアップしてしまい。 幸い目の前がルビノ京都堀川で我が子のようなものですから、転げ込んで遅い夕食。 と云った妙な行程を辿る結果となりました。

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映像は歩いた順に並べます。 従って位置座標的には少々混乱します。 但し会場の様子は伝わってくるでしょう。
これは一番北の終点、戻り橋の下あたり。 子供達の手作り水車と北山杉のオブジェが流れの中にありました。  時刻的には開場ちょっと前でひと気がありませんが、実際にもこの辺りまで上がって来ると人は減っていい雰囲気になるはずです。

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19時になって南へ向かうのは規制され、一旦上に上がって堀川通の東側歩道を下がります。

此は上長者町辺りから上を見た堀川の情景で、北へ向かう人影は未だまばらです。
水面には”いのり星”と称するLED内蔵のボールが流されいて、全会場の点景となっています。

此の後押小路入り口に向かう為に、バスで移動しました。


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三つ目の二条城前でバスを降りて押小路入り口へ。 写真の二条城も19時から21時半まで開門。 二の丸御殿と唐門がライトアップ中ということです。

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押小路のスロープから掘割の中に下りますが、其の段階で、「もう~やめた」って方も出られると思います。  (その感覚はケンゼンやで) (そやねん)
写真は二条から夷川までの間の両岸約100mに並んだ七夕飾りですが、そこに至る200mほどは、ただ人いきれの掘り割りの中を押し合いへし合いして進むのみです。(マイクの係員のひっきり無い我鳴り声の伴奏付き)

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従って短冊のお願いの筋など、一々見ている閑はありません。

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夷川通から竹屋町通の間には、幾つかの”竹と光のアート”が並んでいます。

この辺りは元もと流れが単調な~つまり親水公園としても面白くないところですが、そこにぎっちり人が詰まると、もうどうしょうもない感じです。


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光の友禅流し、と云う部分です。

アイデアは兎も角、イベントの出し物としては晴れやか、華やか、効果的なものでした。

”いのり星”の群も間断なく流れていきますが、ちゃんと見えるのは流れ沿いの端っこに位置できた人だけです。
(落っこちないよう注意、人は多いし暗いし勿論手摺りはない)


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丸太町を過ぎると光の天の川。竹のアーチにLEDの星星が流れています。
一番の見せ場でしょうし、事実綺麗なものです。
人混みについては丸太町で幾らか逃げ出しはしたものの、此の展示が遠くからも目立ちますので、此処を過ぎるまでは大混雑のままです。


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これ、なんの星座かな?  ついでに ”はやぶさの帰還” を加えれば良かったのに。

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天の川を過ぎると下立売橋の処で大半の人がギブアップして上陸しました。
やっと京の夏の宵、七夕らしくなってきて、振り返って人の流れを写す余裕も出てきます。

これから先には竹の行灯などが並んでいて静かな雰囲気の筈ですが、当方はもうアウト。
下立売ひとつ上の出水通の橋で上にあがり、目の前のルビノ京都堀川に入って一息ついて夕食です。


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例によって催し期間中出遅れて、行ったのが最終に近く、そのうえ他の続き物記事などに紛れてアップが遅くなり、最早旧聞になりました。 
此の催し、具体的には多々問題がありましたが、基本がしっかりした企画ですから、来年は期して待つべし、かと思いますが。

≪        干菜寺:小山郷六斎ー獅子と蜘蛛

清水寺:雑景10/08/08    ≫ 

2010年8月25日 (水)

干菜寺:小山郷六斎ー獅子と蜘蛛

もう三年くらいも前になりますか。 上善寺で「お獅子がニューフエースで今夜が初出演」と言ったようなことを聞いたことがありました。 その時のお獅子と同じ方がやっているのかどうかは知りませんが、とても活発で余裕を持ってやっていました。
ステージが広くてしっかりしているせいもあるのかな? 

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ゆっくりと登場。 なんかユーモラスな風体です。

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早速にトンボ。 それも連続技。

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此処のお獅子は耳が動きます。 機嫌がいい時には耳をピクピク動かします。

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そして此処のお獅子のもう一つのお仕事は、観覧者の頭を丸かぶりすること。 幸せを配る作業だそうです。

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跳ね回ったあと、子供達(大人も)の頭の丸かじりに精を出して、次は碁盤乗り。
その前に一休みですが、お嬢さん方が団扇を持って集まって中に風を通してくれています。
お獅子の役得、上機嫌で耳がピクピク。

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さて碁盤乗り。

小山郷は三段ですが、本碁盤の三段ですから、高さ的には最高でしょう。


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見事倒立成功。

危なげない演技でした。


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碁盤乗りの後も連続ジャンプで、へたばって休憩。 またお嬢さんたちが扇いでくれましたが、そこへ土蜘蛛が忍び寄ります。

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土蜘蛛との対決、決闘開始。

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トンボも綺麗、バックライトの蜘蛛の糸も綺麗。
場所が広いので獅子も蜘蛛も活発に動けます。

たった一つの問題は、蜘蛛の吐く糸の回数が少ないこと。
三回くらいでお仕舞いなのです。

(シロウトは此見るために寄って来よるんデッセ)


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戦い疲れた獅子を励ます辺りも定番通り。

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元気を取り戻した獅子は勝ち鬨を上げます。

ちょうどお月様が、頭上正面まで上がってきました。


念仏六斎総本寺の干菜寺で芸能六斉の小山郷が奉納するということについての疑問は解け、未だ保存団体に入るまでは行かないものの、かつてあった村の講の伝統を繋いで活動しているグループがあると言うことを知って、嬉しい驚きを感じました。
その上此の干菜寺の会場、とてもゆったりして条件が良く、全てがワンランクアップに見えようか、という心地よいものです。
六斎を一通り渡った方も、是非一度ご覧になるようお奨めします。

≪    干菜寺:小山郷六斎ー祇園囃子

京の七夕:堀川    ≫

2010年8月24日 (火)

干菜寺:小山郷六斎ー祇園囃子

田中の子たちによる四つ太鼓が終わり、祇園囃子から手鞠歌、そして獅子の曲へと続きます。 
この辺りは小山郷六斎の定番で、入れ事なども入ってきます。   

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三河万歳ですか。

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祇園囃子。 舞台が広いのでとても見栄えがします。

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今度初めて知ったのですが、祇園囃子の鉦の櫓の前でアクションするお二人は”音頭取り”と云うのだそうです。 つまり鉾の前の綱に縋って扇子を翳すあの音頭取りなのです。

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出てきました。 お多福さん。

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願人坊主も場が広いのでのびのびやってます。

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上善寺では此の入れ事のお二人、大変撮りにくいのです。  ひょこひょこ動き回るのが身上の道化ですから、狭くて暗い舞台では手こずります。

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手鞠歌になりました。 

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四人が二人ずつ組になって相対し、太鼓の種類や組み合わせを入れ替えなどして、種々のアクションをするような曲がメインなのが、小山郷の特徴のように思います。

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演奏中の四人の環の中に四つ太鼓の櫓が挿入され、また取り出されます。

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獅子の曲に変わりました。

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やがて獅子、そして土蜘蛛の出番となります。

≪    干菜寺:小山郷六斎ー四つ太鼓

干菜寺:小山郷六斎ー獅子と蜘蛛    ≫


2010年8月23日 (月)

干菜寺:小山郷六斎ー四つ太鼓

六斎の基本、四つ太鼓ですが、全員田中村の子たちで、ずっと此の練習を続けているそうです。 そのせいでしょう、私の今まで見せて頂いた四つ太鼓の中でも、ずば抜けて練度の高い 素晴らしい演奏でした。    

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年少者からの原則は此処でも守られているようです。

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でも、最初の子から習い立てのご愛敬なんてものはありません。

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演奏順に全員撮影したつもりですので、順次皆並べます。

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ばち裁きだけでなく、全身のフォームが決まってます。

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演奏前後の控えのマナーも立派。

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ベタ誉めですが、ほんと素晴らしい演奏でした。

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ブッチャケタ話、四つ太鼓がこんなに響くものとは思いませんでした。


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この辺りになるとテクニックも高度になって、音楽性を感じます。

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演奏の手順は全員同じ、と云うことは同じ曲のように思いましたが、後の方ほど、つまり経験年数が長く練習を積んだ人程、なめらかさと力強さを感じます。

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この辺りまで来ると、相当ハイクラスになりました。

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他の六斎でも終わりの方はベテランの大人の出番ですが、今まで聞かせて貰った中でもトップレベルのもののように思えます。

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ラストの人は現在大学生、小学校の頃からやっているとのこと。

力強さ有り、音楽性あり、アクションも決まり。
素晴らしいものでした。


他の六斎の四つ太鼓に比べて曲打ちや繋ぎ、入れ替わり、多人数打ちなどの芸は無くて、ひとりひたすら四つの太鼓を叩きます。
それ故にでしょう。 私のような音痴にでも感じ取れる音楽性があり、正しく”器楽”の演奏だ、と思いました。

≪    干菜寺:小山郷六斎ー謂われ

干菜寺:小山郷六斎ー祇園囃子    ≫

2010年8月22日 (日)

干菜寺:小山郷六斎ー謂われ

暫く六斎が続いています。 此は八月~お盆前後が旬?のものですから、そう言った傾向になるのは自然なのですが、今年はことに行動力に制限があるために、座って見ることが出来る~それも基本的には夜~の催しがメインになってしまいました。
所で今回のタイトルですが、此れ、ひとことで簡単に 書いてしまいましたが、多くの矛盾した問題を孕んでいます。
その辺りの講釈を致します。
 (で、~此処で多くのお客が逃げ出す~) (ナニゆうてんにゃ??) 

六斎念仏とは何か、と云うことについては既にご承知であるとして話を進めます。 
京都を中心とする重要無形民俗文化財六斎念仏は、念仏六斎と芸能六斉に別けられますが、より本来的な宗教性を帯びたものと、近郷のあちこちが競演するうちに娯楽的な方向への変化が生じたもの、との二つと言えるのでしょう。 
何れも空也上人の鉦乃至托鉢鉢、太鼓或いは瓢箪を叩き、念仏を唱えて町中を踊り躍りする市井の宗教行動から始まっているわけですが、芸能六斉を空也堂系、念仏六斎を干菜寺系、と言う言い方もあります。
この干菜寺とは通称で正式には干菜山光福寺と云い、現在は知恩院に属しますが、鎌倉時代に道空上人が亀山天皇から六斎念仏総本寺の勅額を賜って以来の由緒があって、干菜寺という名は秀吉が鷹狩りの折り立ち寄ったのを供応するのに、当時の住職が干し菜を以てしたことから秀吉の知遇を得てつけられたものと言うことです。  
所で現在念仏六斎は水尾の円覚寺、西賀茂の西方寺、上鳥羽の淨善寺で保存会や講が活動して居られるくらいで、総本寺である干菜寺は聞きません。 
一方小山郷六斎は芸能六斉として鞍馬口の上善寺や上御霊神社などでの奉納に盛んに活動して居られ、此処数年前からは干菜寺でも奉納公演をされています。
私が持っていた知識は以上のような程度ですが、そこで大きな?が出てきます。

”芸能六斉~空也堂系の小山郷が、なんで念仏六斎の総本寺~干菜寺で奉納公演をされているのか?” 

干菜寺の所在: 比叡山電車始発駅、出町柳の駅のすぐ東側に当たります。
小山郷=現在も町名の頭に小山がつく紫明通から上賀茂橋迄位の賀茂川西岸あたり=の地域。

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そんなことを大いに気にしながら、実は干菜寺での小山郷六斎は初見なのです。 小山郷のホームグラウンド(と自称されています)は22日六地蔵巡りの夜の上善寺で、私は大抵そこに伺い、干菜寺の20日の夜には大覚寺大沢の池で宵弘法の催しがあります。 写真写りという点ではダントツですから自然そちらに足が向くのですが、まあ今年は体調のこともあり、近場で「空也堂系がなんで干菜寺?」の宿題を解くべし、と云うのが今回の行動の動機です。 
20時頃から始まる、と云うことで早い目に出掛けました。 
干菜寺の駐車場には写真のような準備が整っています。 演じる舞台は平土間で充分に広く、ライティングも完璧です。(此の頃は何処も格段に良くなりました)

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入り口にこのような看板が出ていました。

田中村=高野川が賀茂川に合流する辺りの東側で、北白川までの間=現在も町名の上に田中がつく、出町柳の駅や干菜寺も含まれる範囲でしょう。
小山郷と同じ時代に、京の都の郊外にあった近郊農村の地名であり、その頃は此処にも六斎の会があった(筈)!?

幔幕の向こう側が干菜山光福寺の山門です。


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門は閉じていましたが、潜りが空いています。 今宵は人の出入りがあるのでしょう。
昼間の佇まいはこちら でどうぞ。

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人が集まり始めました。 小1時間前に着いたので最前列のいいところに座りましたが、お客ほ地の人ばかりでそんなに大勢ではありません。 不逞のカメラマンは居りませんでした。 (オマエがいるやんか) 先に結論を言っておきますが、小山郷の公演中一番見よい環境です。

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小山郷の定番、巨大蚊取り線香。
そしてアサヒビールの団扇も配られました。 此も定番です。

 

定刻、光福寺の御住職が挨拶に立たれました。 
そして六斎の代表の方も。

そのお話で私の疑問が氷解します。

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干菜寺のお念仏は現在知恩院の末寺として50年ごとの大遠忌に本山で行われているそうですが、ご住持自ら仰っるには此は本格的なもので、普通のものには最後まで付いていけない位のもののようです。 
そして今宵の六斎はユニフォーム始め演者も演目も小山郷なのですが、挨拶に立たれた方は昭和25年まであった田中村の六斎を繋いで居られる方で、今は子供達がメインに太鼓の練習を続けている。 近年小山郷の力を借りる事が出来て、こちらで奉納演奏するようになった。 と云うお話でした。
今宵の進行はこの方が司会され、四つ太鼓の子供達は皆田中村、その他は小山郷の何時もの演技、と云うような流れでありました。

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先ずは出演者全員でご挨拶。 前列に並んだ子供達は全て田中村六斎の子たちです。

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お念仏から始まります。 何時もの小山郷より人数が少し多いのかな?  それとも舞台が広いからか?  立派で堂々としています。

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小山郷の六斎はオーソドックスな各種太鼓の演技演奏と其の組み合わせ、掛け合いが主軸ですが、今宵はいつもより迫力がある感じです。

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アクションも心なしか大振りでメリハリがあるように思えましたが、見せて頂いたポジジョンが良かったのかな?  因みに上善寺の舞台は椅子に座っての目の高さ、広さはここより大分狭いです。 上御霊さんの拝殿は床が高くて立ち見になります。

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お念仏から打ち出しと続き、二、三曲が続けて演奏されたのですが、例によってどれがどれやら判らなくなりました。  念のためにプログラムも写し込んでいるのですが、今度は達筆のせいでよう読みません。

≪    千本六斎10:獅子と蜘蛛

干菜寺:小山郷六斎ー四つ太鼓    ≫


2010年8月21日 (土)

千本六斎10:獅子と蜘蛛

さてお仕舞いはご存じ土蜘蛛と獅子の決闘です。 こちらの場合も獅子が善玉、蜘蛛が悪玉。 でも観衆は蜘蛛の糸を拾いたい関係上、結構蜘蛛びいきなんでしょうな。    

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被衣に正体を隠した蜘蛛、 足の運びが独特です。

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正体を現すと、先ず第一撃。 (鉛の芯を巻き込んだ紙の解けていく過程が写ってます)

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獅子はアクロバットでかわします。

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蜘蛛は碁盤の上に立ちはだかり、獅子を相手にトンボを切ったりして、結構こちらもアクションが派手でした。

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舞台左右に入れ替わっては、何度も蜘蛛の糸が吐かれ、獅子はかわして争います。

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最後は蜘蛛が負けて、舞台から追い落とされます。

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負けた蜘蛛は最後っ屁に客席に向かって糸を吐き、皆がそれを奪い合うのが千本六斎の演出なのですが、今回は変わりました。  蜘蛛が姿を隠したと思ったら、舞台下の脇から観客に向かって奇襲攻撃、それも二回も。

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蜘蛛は逃げ去り、勝ちはしたものの、疲労困憊した獅子を励ます攻め太鼓。 廻りからの祝福の音色で獅子は元気を取り戻します。

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最終は阿弥陀打ち。 結願のお念仏で今宵の奉納公演は終わります。

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静かになりました。 今回の公演の客席はご近所の人たちで一杯、なぜか不逞のカメラマン始め余所者が殆ど居りませんでした。

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今度初めて蜘蛛の糸の根っこ部分を拾いました。 土蜘蛛役が投げると、パーッと広がるあの仕掛けの手元です。 ちゃんと南無阿弥陀佛と書いてあり、只の遊具ではありません。
蜘蛛の糸の構造ですが、巾4cm長さは6~7m位も有りそうな長い和紙の先に鉛の丸棒を貼って巻き、それを糸の巾に切断したものを、こうした状態にして手元に隠し持ちます。 根本の部分が写真のようで、先端部の鉛は画面中央に光っているのが見えます。 鉛の直径3mmくらいで糸の巾は4mmくらい。 もう一個が其の左手パンフレット上にありますが、これらの重りのお陰で投げるとパアーッと広がって飛んでいくのです。 なお画面に見える赤い紐は根っこ部にくっついているのですが、多分手首に巻き付けて飛び出さないようにするためのものでしょう。 土蜘蛛は此の仕掛けを複数袖口に隠し持っていて、順次指に填めては投げるのだと思います。
今回は鉛部分だけでなく糸もついたまま持ち帰りました。 私は各六斎会でせっせと集めたお陰で鉛そのものは結構沢山持っています。 財布に入れておくと福が溜まる、というアレです。 ところが一向に貧乏が改まりません。 持ってなかったらもっと貧乏して居るんだ、と諦めていたのですが、ある権威者の曰く 「糸のついたまま、一週間神棚にあげて置いて、しかる後、鉛を財布に入れる」 のだそうです。
で、写真の状態で神棚にあげました。 
今度のジャンボは買うぞ~っ。

≪        千本六斎10:猿回し、さらし、碁盤乗り

干菜寺:小山郷六斎ー謂われ    ≫

2010年8月20日 (金)

千本六斎10:猿回し、さらし、碁盤乗り

引き続いて太鼓踊りと引抜手踊りです。   

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太鼓踊りは堀川猿回し。 此もあちこちの六斎で演じられます。

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子供達に大人どもも加わって、太鼓を担いで叩きながら、グルグル舞台を回ります。

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猿回しはアクションを見たら其の通り、堀川はこれも何かの芸能に出典がありますが、解説はそこまでです。

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次は引き抜き手踊り。 と云うより単純に”さらし”

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此も越後獅子か何かからの抜粋のようですが、そんなことより白布が照明にひらめき輝くアクションが身上です。

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千本の場合アクターは女性二人。 もうベテランですからそれは見物です。

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で、引き続きお獅子が登場。 なんでも各種芸能などの獅子舞が一堂に集まった催しの時、六斎の代表として出たのが当会のお獅子だそうです。

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先ずは各種のアクロバット。

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碁盤は三段ですが、全ての動きはなめらか、綺麗です。


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後ろ足が先に下りて、前足が転回、着地。

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後ろ足で顎を掻いている居る猫、 じゃない獅子に忍び寄る妖しの影。
明日は決闘です。

≪    千本六斎10:祇園囃子

千本六斎10:獅子と蜘蛛    ≫

2010年8月19日 (木)

千本六斎10:祇園囃子

祇園囃子という曲は各六斎会とも必ずある定番ですが、映像的には纏まり難いものです。
ただ千本六斎の場合には賑やかな入れ事が詰まっているので画になります。

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祇園祭の鉾のお囃子がベースではありますが、櫓に吊した鉦だけでなく、太鼓の音が加わります。

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鉦の櫓の前ではペアでの太鼓の掛け合い、曲打ちが披露されます。

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太鼓も増えて笛も加わり、舞台上が派手になってきたとkろへ・・・

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”入れ事”が加わります。 入れ事とは字の如く演奏の内に加わるアクションです。

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こちらの祇園囃子の場合の入れ事は、雀踊りと呼ばれます。

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奴さんの扮装をした男数人が登場。 入退場時の所作から雀踊りというのでしょう。

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ただ踊るのではありません。 そこは六斎の会、手太鼓を手にすると、掛け合い、曲打ちが始まります。

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雀どもが真ん中に集まって太鼓を付き合わせ、打ちながらせり上がっていくアクションです。

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勿論祇園囃子の鉦の音は続き、扮装とも相まってそれは賑やかです。

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打ち終わると再び雀どものフリに帰って、環を描いて退場です。

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今回はもう一つ入れ事がありました。 締め太鼓と紹介されて二つの太鼓が加わります。

≪        千本六斎10:四つ太鼓、山姥

千本六斎10:猿回し、さらし、碁盤乗り    ≫

2010年8月18日 (水)

千本六斎10:四つ太鼓、山姥

小さい子たちの後はベテラン連の四つ太鼓です。    

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女性メンバーも何人も居て花を添えています。 因みに会員募集中、年齢性別住所一切不問ということで、開放的な集まりです。

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四つ太鼓は舞台上に据えた櫓の太鼓四つを使った曲打ちですが、鉦、笛、の伴奏がつきます。

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男性の若手になると、大きな手太鼓の伴奏も加わりました。

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色んな太鼓の色んな打ち方、扱い方の妙が六斎の見所でしょうね。

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この辺りから二人打ち、三人打ちになります。

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メンバーは次々入れ替わり、組み合わせも色々変わります。

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演奏者の周囲を踊りながら回って、曲の終わりに素早く入れ替わる。

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だんだんテンポも速く、周りを回るスピードや、フリも早く大きくなってきます。

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大勢が入れ替わり立ち替わりの曲打ち的状態で、クライマックスとなります。

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四つ太鼓が極まって静かになって、今度は山姥(やまんば)の曲が演奏されました。

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此のカンカン=豆太鼓の曲の山姥とは、足柄山の金太郎のお母さんなどがモチーフのようですが、出所などを聞いても元の演劇なり邦楽なりの知識がないので余り参考になりません。

ただし吉祥の曲であるそうです。

次は祇園囃子になります。 

≪    千本六斎10:発願、四ッ太鼓(一人打ち)

千本六斎10:祇園囃子   ≫

2010年8月17日 (火)

千本六斎10:発願、四ッ太鼓(一人打ち)

     

千本六斎会の公演を見せて頂きに閻魔堂へ向かいました。 15日の7時からですから、お弁当替わりに太巻きを一本仕入れて、千本鞍馬口でバスを降りました。
交差点で信号待ちをしながら、空を見上げました。
少し暮れなずんで、未だ真夏の熱気が残っている夕空が広がっています。 
丁度あのときと全く同じように。
8月15日、終戦の日。 などと言わずに敗戦の日、でいいと思いますが、65年前の丁度此の時刻、わたしはこの場所に立っていました。
昭和20年には中学の三年生も工場へ動員。 上級生は愛知県の半田まで行かされて、東南海地震で煉瓦造の工場が潰れて大勢死にました。 幸いなことに我々の学年からは工場の方が学校へ疎開してきて、体育館と集会場で戦闘機のエンジンの部品を作って居ました。
あの日は三直、24時間稼働の0時から8時までの勤務だったと思います。 帰って寝て正午に重大な放送があると云われ、起きてラジオを聞きました。 いわゆる終戦の詔勅です。
ただその時は殆ど内容は聞き取れませんでした。 でも、負けたんだな、と云うことは判りました。
学校~工場へ行くべきかどうか、判断に迷いながら夕方家を出て、学校~工場への途中千本鞍馬口近くの友人宅に寄りました。
その時の空の印象と、自然は少しも変わってはいませんでした。  オシマイ。

千本六斎会とは何時の間にか御縁が深まってしまい、今年はご近所廻りの内輪の行事にまでお供をしてしまいました。 それ故此の年に一度の本公演を端折るわけには行きません。
撮影して帰って整理してみたら、座った位置が去年と同じ舞台下手側のせいもあり、腕が鈍って頭も少し暈けたせいもあり、変わり映えしないどころか、幾らか低下した映像を並べる結果になりました。
先にお断りしておきますが、それは全て私の方のせいで、公演そのものは毎年工夫をこらされて向上されており、今年はことに諸事スマートに且つグレード高く演じられたように見せて頂けました。
此は提灯ではなくほんとの話。 後継者が不足してことに中堅級が手薄、その為に演目が年々減っていくと嘆いて居られますが、内容的にはより充実、その辺りの工夫は他の会にも増して抜きんでて居られるように感じます。

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演目はプログラム上では大きく分けて七つ。 当ブログでは順序は変わりませんが切れ目は多少アレンジしてアップしていきます。 
先ずは最初は発願、打ち出し。 当然の事ながら先ずはお念仏から。

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打ち出しの後は、豆太鼓の曲から始まります。 

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四つの曲がメドレーで演奏されますが、当方には聞き分けが出来ません。

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プログラムによると、浪速、道成寺、素雅楽、砧、とあって、色々の芸能音楽から取り込まれたもののようですが、オリジナルの演奏では一曲で今夜の四曲分に匹敵する長さになるということです。

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でも此の手持ちの小太鼓の一番小さいの、其の音色か或いは胴を叩くときの音からか、カンカンとも呼ばれる六斎独特の豆太鼓の演奏は、聞き慣れるととてもいいものです。

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さて、次は六斎の基本のキ。 四つ太鼓が始まります。

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慣例に従って年少の順に始まります。

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子供隊の層は厚いです。
写真は演奏順に全員並べたつもりですが、もし抜けた子が居たら御免なさい。


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四つ太鼓の演奏の始まりの方は一人打ち。 順次人も増えて難しくなります。

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後ろに次の順番の子たちが控えています。 一回だけではなく入れ替わって何回か打ちます。

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一人打ちの場合でも、次の人がうち繋ぐときに、間を空けないようにするのがポイントです。

此の後は年齢層が上がるとともに、演奏テクニックがだんだん高度になってきます。


続いては明日は、相打ち、曲打ちとなって行きます。

≪    千本六斎会:勧善廻り棚経 

千本六斎10:四つ太鼓、山姥    ≫

2010年8月16日 (月)

千本六斎会:勧善廻り棚経

さて、前回長文の逃げを打ったとおり、本日アップの勧善廻り棚経なるもの、その謂われ由来、そして具体的な動きなどについて全く無知ですし、一夕お供をしたとは言えその点については変わりありません。  本来なれば千本六斎会の方から講義を受けてからアップすべきことなのですが、 それもようしておりません。
とりあえずはその日、目の前で見せて頂いたことの記録に留めます。 

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編成は何時もの六斎会を簡略化したようなもの。 カンカンと手太鼓と四つ太鼓の櫓、笛と鉦。
講中御縁のお家の玄関先に参上して演奏です。 一軒目はロウジの奥(従って映像無し) こちらは二軒目ですが、お店屋さんのようですね。

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欠かせないのは、子供たちの四つ太鼓。


 

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別のお宅の玄関先へ移動です。 ご近所の方が集まってきて、子供隊も張り切って交互に四つ太鼓の演奏中。

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今度はお向かいのお宅に向かいます。

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大人達はカンカン手太鼓から四つ太鼓櫓上の太鼓に持ち替えて熱演中。

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何しろ夏の京の夜のこと、浴衣姿でも暑いものはあつい。 差し入れの給水で小休止。 
私にまでお相伴を頂戴しました、有り難うございました。

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隊列は廬山寺通を西へ進みます。 飛び飛びにある目的のお宅門前で、それぞれの演技が繰り広げられます。

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玄関の戸が開いて、家人の方は上がり口に座っておむかえです。


 

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車が通らず静かだなと思っていたら、此の通り水道工事中でした。 そこの辻を曲がります。

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四つ太鼓の飛び入りは、勿論講中の人。 察するに集合時刻には間に合わなかったが、仕事を終えて駆けつけられたのでしょう。

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法華の太鼓ではありませんが、だんだん気分が乗ってきて賑やかです。
  
こういったような行事は地方でもある、或いは地方の方が盛んかも知れませんが、京は西陣あたりでの市中伝統的行事として肩肘張らずに進行していきました。 
自然体でとても清々しいものでした。
此の後もう何軒か廻って今宵は終わり、と云うことでしたが、また上の方へ向かわれます。 私はもう限界、失礼して寺之内通から七本松通方面へ抜けて帰途につきました。 結構疲れました。
講中お身内の行事に余所者が紛れ込んで、ご迷惑をおかけしたと思いますが、快く迎えて頂きとても爽やかで充実した一時を体験させていただけました。 ほんとに有り難うございました。

≪    千本閻魔堂:塔婆流し

千本六斎10:発願、四ッ太鼓(一人打ち)    ≫


2010年8月15日 (日)

千本閻魔堂:塔婆流し

お盆です。 所が此のブログの作者、この辺りにとても疎いのです。 
プライベートな話で恐縮ですが、仏様をお祀りするという習俗が身に付いていないのです。
京都のイベントや社寺云々と云う科白は何処へ行ったのか、ですが、実は100年前に田舎から出てきた分家の末でして、家の祖になる私の祖父が死んで初めて家に仏壇やお墓が出来た。     お宗旨も祖父の思い出の地であるお寺に葬ることを希望したので自動的に決まった。 と云う、折り紙付きの不信心者なのです。 
まあ仏様に比べて神様の方はこれ又家の事情で幾らかお馴染みな面があり、毎1日15日神棚にお榊をあげるのは現当主である私の仕事、と云った程度に身近?なんですが、仏事の方にはとんと疎い。
其の男がブログなるものを弄り、京都人でもない(100年では京都人に入れて貰えません)癖に”京都のイベントや社寺・・・などとほざいているのは、それなり京都、社寺などに関しての”なにがし”を、此は私自身の今までの中に繋いできたからですが、兎に角伝統的な仏事、従ってお盆の行事などに関してはド素人の典型です。
それがあろう事か、千本六斎会の勧善廻り棚経なるもののお供をしてしまいました。
実は夏が来るごとに六斎念仏の公演を拝見しているうちに、千本六斎会さんのHPからノルマ!!へリンクを頂いて、そちらからも大勢おいでになっている、と云ったことからなんとなく、各六斎会をほぼ全部拝見して廻り、(うそつけ!、中堂寺の清水抜けとったやないか!)などなどのうちに、本来宗教行事である芸能六斉も、公演だけではなくお盆の講中廻りをされている、と云うことを知りました。
またしても逃げを打ちますが、この行事の意味や内容、全く判っておりません。 なのに一度拝見したいというような希望を持ったところ、千本六斎さんから今年の行動予定をお知らせいただきました。
前述のような次第で柄にもないことなのですが、体調不良でも未だ目と脳味噌は生きているので、お誘いにのって此の11日から始まるご近所廻りの初日に同行させて頂くことにしました。 当日は7時過ぎに千本閻魔堂引接寺にて棚経出発の奉納をされ、逐次講中の門前で棚経をなさいます。
お供できるところまでで後は適宜勝手させて頂くと云うことで、夕刻お塔婆流しなどお盆のお参りで賑あう閻魔堂まで参りました。
と云うことで、今日は引接寺でのお盆の状況を、明日は町内廻りの映像を載せさせていただきます。
もし全てが順調に行ったとして、このページが自動アップする15日は千本六斎会の本番公演ですから、当然にお伺いするはずです。

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閻魔堂の巨大な鐘楼。  実は戦後に火災に遭って堂宇や門塀など全て失われた中での、生き残りのようです。  
”迎え鐘、送り鉦”の提灯が上がって居て、お塔婆流しに訪れた方が次々に打ち鳴らしておられました。

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御本堂もそのような次第で仮堂ですが、閻魔大王と其の眷属はご健在で、ちゃんと正面に座ってこっちを睨んでおいでです。 
今宵は沢山の提灯で飾られていて、此はいつものことですが、「お塔婆流しが出来ます 宗旨宗派を問いません」と云う垂れ幕が下がっています。

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こちらは千本六斎と閻魔堂狂言の舞台となるお馴染みの建物。 此も仮屋でしょうが、日常のお姿がこのかたちです。

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近寄った其のお堂の細部です。  お地蔵さんを中央に開基の小野篁卿と開山の定覚上人が並んでおいでです。 お参りの線香や蝋燭を此処で求めます。

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其の地蔵堂の背後が此。 お塔婆流しの場です。 
沢山の石のお地蔵さん、そして池には噴水が。

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中央で投じられたお塔婆は、ゆっくりとした水流に乗って何処へかと流れ去ります。


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お盆用のお花などを売って居られる向こう側に、したり顔をして立っている二人連れは、狂言の大名と太郎冠者。

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お塔婆流しの所からご本堂に戻りました。 庵主様が書いて下さったお塔婆を、香炉に振り翳して浄めて居られます。

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そして六斎会の一行が登場しました。  近くの練習場で集まりをされてから御本堂に移動して、閻魔様へのご奉納が済むと町内廻りに出発、と云うところです。

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大人は仕事があって集まり難いので、ウイークデイの今晩は子供ばかりだ、と云って居られましたが、子供達は勿論のこと皆さん熱演です。

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北側の廬山寺通へ出て、棚経の勧善廻り行事が始まります。 
ついて行く前にちょっと写した閻魔様の前のこれは、前回あたりから始められた閻魔堂狂言の”焙烙割”で使われて厄払いされる奉納用の焙烙です。

≪        清水寺:中堂寺六斎-獅子と蜘蛛

千本六斎会:勧善廻り棚経    ≫


2010年8月14日 (土)

清水寺:中堂寺六斎-獅子と蜘蛛

 

何処の六斎でも大トリは獅子と土蜘蛛の決闘です。 土蜘蛛は陰性で悪役、獅子は陽性の善玉 、当然最後は獅子が勝って勝利を祝う太鼓の響きに包まれるのがこちらを始め大抵の所の筋書きですが、久世のように獅子が(負けて?)居なくなって、観客は蜘蛛の糸の大サービスを受けるところもあります。

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さて、お獅子も観光客の間から現れます。

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元気がいいのが、お獅子の身上。
でも此の暑さではね。
ことに後ろ足さんはさぞかし暑いことでしょう。


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もう一匹出てきました。 二頭並んでの競演になる筈のところですが、今回新米さんは早々に退場してしまいます。

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先ずは一渡りのアクロバットです。

倒立成功。 拍手喝采。


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猫科の動物特有の仕草が続く横で、碁盤が準備されます。 五段重ね!!

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清水の舞台は真っ平らではありません。
水はけの為に少し傾いています。
飛んでもない環境です。


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五段の碁盤乗り成功!

倒立も開脚も成功!

降りるところは余り見事には行きませんでしたので割愛です。


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そして、土蜘蛛登場。 

被衣で正体を隠した妖しの影。
夜のおどろおどろしさは無くても、白昼でも結構恐ろしげです。


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お獅子の方はお休み中。 蜘蛛がやってきてちょっかいを出します。 

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獅子は怒って起きあがり、蜘蛛は正体を現します。

明るいところで見ると、とても見応えのあるご面相でした。


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始まりました。 獅子と蜘蛛の決闘。  夜、照明の中を飛ぶ蜘蛛の糸も綺麗ですが、昼間のリアルさは優るとも劣りません。

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蜘蛛は糸を吐き続け、獅子はアクロバットでかわします。

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蜘蛛の糸でお獅子はがんじがらめになりますが、最後は正義?が勝って、蜘蛛は逃げ去ります。


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戦い疲れた獅子を励ます獅子太鼓の演奏。  獅子は再び立ち上がってハッピーエンド。
これで大団円です。

中堂寺六斎会のプログラムを全て終わりました。 明るい舞台で同じ目線の高さ、至近距離。 今までも何度か見せて頂きましたが、今回は格別でした。
大汗をかきながら、堪能させていただけました。

≪    清水寺:中堂寺六斎-越後獅子から猿回し

千本閻魔堂:塔婆流し    ≫

本来ならこのまま清水坂を降りて、松原通を六道珍皇寺から六道の辻、六波羅蜜寺、若宮八幡(陶器神社)と順路で辿り、五条坂の陶器祭から京阪五条、四条まで乗って更に鴨川納涼の会場を三条へと、イベント総なめにするには時間的にも経路としても具合のいい状況なんですが、こっちの身体が持ちません。 ことに今回のような”いい”ものをたっぷり摂取した後はそうなります。 
従ってこれら全ての催しは今年は割愛です。



2010年8月13日 (金)

清水寺:中堂寺六斎-越後獅子から猿回し

きょうは越後獅子と四つ太鼓、それに祇園囃子から猿回しです。

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>長唄から太鼓曲として採譜、後半は三味線の曲ひきで有名な「さらし」を豆太鼓の相打ちで披露する<   ”越後獅子” プログラムの解説から転載。03_dsc3613cs3

夜の舞台でライトの中で見る さらし は綺麗なものですが、日中もなかなか。

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四つ太鼓に移ります。
最も基本的で全員参加型の太鼓です。
恒例として最年少者から始まり、次第に曲打ち、二人打ちなど高度化し、テンポも早くなっていきます。


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二人打ちに三人目が割り込み。 何れの場合でも次の演奏者と素早く入れ替わることが大事です。

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何時の間にか手太鼓が二箇加わって、六つ太鼓?  どんどん上級者の演技になっていって、テンポも速くなって終わります。

祇園囃子は祇園祭のお囃子が元ですが、鉾と同様各六斎によって少しずつ異なります。
(ただし、鉾の場合とと同様に、聞き分けはようしません)

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提灯を並べた鉦の櫓がバック中央に置かれているのが、芸能六斎の舞台に特徴的な情景です。

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鉦だけの静かなときもありますが、間に激しい太鼓の曲打ちが入ります。

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祇園祭の綾傘鉾と同様の厄払いの棒振りが登場します。

京の祭り舞台:綾傘鉾棒振り囃子

祇園祭10・新町通-綾傘鉾、蟷螂山

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簡単なようで此も難しいみたいです。 それに夏の祭りに此の面相は、暑い、暑い。

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猿回しは字の如く、子供達に大人が加わって、お猿宜しく全員で環になって廻る輪踊りです。

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概ねはこのように太鼓を背中に担いで、叩きながら音頭取りの周りを輪になって踊ります。

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ちっちゃい子の可愛らしい所作が、此の輪踊りの見所なのでしょう。


お終いは獅子の碁盤乗りと、土蜘蛛との決闘になります。

≪    清水寺:中堂寺六斎-橋弁慶
清水寺:中堂寺六斎-獅子と蜘蛛    ≫

2010年8月12日 (木)

清水寺:中堂寺六斎-橋弁慶

 
この橋弁慶は壬生狂言の橋弁慶から由来しています。 今回知ったのですが中堂寺六斎会が壬生狂言を実質的に継承されていた時期もあった、と云うことです。

ところでこのステージですが、清水の”舞台”の巾全部を使ってはいません。 
地方から観光に来られた方にとっては予定外のイベントで、その為に舞台から下を見下ろしたり記念写真を撮ったりが出来ない、と言うことになれば、抵抗感を感じる人も居るのでしょう。 舞台の東側のなにがしは何時もと同じに空けてあって観光客で賑わっています。
それで牛若丸も土蜘蛛も、そう言った人達の間を縫って登場、と云った具合になり、如何にも民衆の芸能らしくて結構いいものでした。

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と、言うことで牛若丸が現れました。 周囲にはまるきり無関心な人もあり。

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そして弁慶さん。 あかるい日中のことですから、仮面も衣装も小道具も、余すところなくその見事な細部までをさらけ出しています。

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いよいよ対決が始まります。 シンボル的な舞台装置としてお決まりの五条の橋の欄干が立って居ます。

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所でこの牛若丸君ですが、今回が初演、初舞台だそうです。
前任者君はベテランですが、身体が大きくなってしまって弁慶との差が無くなり、リタイアとか。


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ベンケイガナガイナギナタフリカザシ


これ、確か小学校の時、句読点の打ち方かなんかの教材ではなかった?

因みに後ろに見える擬宝珠は、ホンモノの清水寺舞台の高欄です。

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此の新人君の演技たるや、絶賛モノ。 

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弁慶と丁々発止、 立ち回りと云うか殺陣と云うか、見事にこなして大した役者です。

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どれくらい練習を積んだのか、はたまた天才か。 
刃物と刃物の撃ち合わせ、なかなかこうはいきませんよ。


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そして当然のことながら、結果は弁慶氏の敗北、降参。

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橋の欄干上までは被衣を被っていたのが、立ち回りが始まるとかなぐり捨てます。

それを拾った弁慶が牛若丸にそっと被せます。
臣従の印しと親愛の情をかたちに現したものでしょう。


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ところで逆光のせいで、此の角度ではお面の相など真っ黒けになってまるで見えず何も判りません。
此はちょっと極端な処理の仕方ですが、それなりにこの場の状況や雰囲気が伝わってくるのかも。


明日は越後獅子と四つ太鼓。

≪    清水寺:上鳥羽六斎:中堂寺六斎

清水寺:中堂寺六斎-越後獅子から猿回し   ≫

(コメントに対応した写真を”続きを読む”欄に置きました)

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2010年8月11日 (水)

清水寺:上鳥羽六斎:中堂寺六斎

     

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8月8日16時頃から清水寺で六斎念仏の奉納がありました。丁度千日詣りの御本尊ご開帳中で、毎年恒例の行事になっているのですが、実は私、清水寺で日中六斎を拝見するのは初めてなのです。

先ずは上鳥羽橋上鉦講中の方々が本堂外陣内にて念仏六斎を奉納され、其のあと中堂寺の皆さんが舞台上で発願から結願迄プログラム一式芸能六斉の一通りを熱演されました。
日中のことでも有り、仏様に向かって舞台上で演じられるのをお堂の側の縁に座ってみるのですから、同じ目線の高さで間近、何時もの夜間舞台上での演技を見るのとは大違いで、とても充実した時間を過ごさせていただけました。


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当然のことかも知れませんが、念仏六斎の御奉納は静かです。
金銀の太鼓が煌めくのが唯一華やかで、敬虔なお祈りの時間が過ぎていきました。

なお六斎念仏とは仏教で言う六斎日(月の内の8,14,15,23,29,30日)に在家のものが鉦や太鼓を叩いて精進する躍り念仏で、空也上人が始められたと伝えられます。
本来の宗教性の強いものを念仏六斎(上鳥羽など)といい、大衆娯楽がかったものを芸能六斉(中堂寺など多数)と呼びます。
主に京都での行事で、重要無形民俗文化財の指定を受けています。

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中堂寺の方は賑やかです。 ことに若い人や子供たち、層の厚さがありますね。

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何と言っても清水の”舞台” そこの中段がステージ、で我々はもう一段か二段上の床に座って見ることになります。 鑑賞という点ては素晴らしい環境。 但し写真には超逆光で最悪の状態でもあります。

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発願の演奏ですが、何度も見せていただいているのに、具体的にどの部分がどういう演奏なのか、いまだにはっきり把握できていません。
此は一番始めにある触れ太鼓のようなものと(私が)理解しているアクションです。


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其の音からカンカンとも言う、六斎独自の小太鼓が先ずは登場。

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ご開帳の御本尊を前にしての奉納です。 発願のお経は常にも増して丁重、荘重にとなえられました。

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お経が終わると、いよいよ芸能六斉本番です。

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出だしは六段、すがらき、石橋とあって、これらを総称して側(か)と云う、と云うことです。

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相対した打ち手が色々な曲打ちを含む太鼓の妙技を披露し、アクションが変わり、太鼓のサイズが替わりなどして進行します。

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演技の舞台は日蔭になって、背後の遠景を含む周囲は夏の烈日です。 至近距離から子細に演技を見せていただけて、画面の収まり的には今までにあり得ないほど巧く撮らせて貰えましたが、ライティングだけはお手上げです。

明日は狂言の橋弁慶、子細に逐一撮らせていただけました。 以降各演目たっぷり撮りましたので一週間ばかりの連載になります。

≪    本日休業:10/08/10

清水寺:中堂寺六斎-橋弁慶    ≫

2010年8月10日 (火)

本日休業:10/08/10

鶏鉾の悪さの続きです。

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上   : オリジナル
中   : 昨日のアップ分。 空は借り物。
下   : 消したいものを消したもの。   

電線と白いビルがなければ・・と云うのは一種の擬古趣味からでしょうが、そう言う意見を持つたのは、やはり元の画の画面の納まり方が良かった、雲の格好も含めて適当だ、と云うことがあって、良い画だな、と思っていた、と云うことがあるのでしょう。
つまり電線と白いビルのマッスは雲の形と相まって、実は構図上適切に存在していたわけです。
それで今度は空を借りてくる(盗んでくる)のではなく、ごく素直に”イランモン”を消してみました。 技法的には電線類をスタンプツールで周囲に合わせて消していく、と云うことで、粗雑で面倒な(手間は掛からない)やり方ですが、相手が雲とか砂利道のように、ある程度均一で無性格なものである場合には、大きめのスタンプを大胆に使ってほぼ完璧に処理できます。 
今回の場合の問題は白いビルの処理で、一旦はやはりマスクして切り抜いてみたのですが、結局スタンプしまくって誤魔化しました。 其の結果は生き残った部分との繋ぎ目のエッジの辺りが曖昧になってしまって、大きくして見たら見られません。
まあ結果的には前のも今度のも、当初期待したようには良くならず、”わるく” なってしまいました。
腹立ち紛れに、次はもっと ”悪い” ことをして誤魔化します。

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”広々とした空に、鉾が高く高く聳えて進む。”  (消した分)
”狭い街路を押し分けるようにして鉾がくる。”  (もとの分)

修辞的にはどうにでもなりますな。 (ケッキョク画がたいしたことないんやんか)

≪    本日休業:10/08/09

清水寺:上鳥羽六斎:中堂寺六斎    ≫

2010年8月 9日 (月)

本日休業:10/08/09

8月8日は清水寺での上鳥羽六斎、中堂寺六斎のご奉納に参上しました。 即整理してアップすればいいのですが、スタミナがありません。 纏めるまで二三日休業です。

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これで電柱と白いビルがなければ、言うことないんですが。

(消してもたら?)
(チョトきついかも)
(やってみ)
(考えてみるわ)


 祇園祭10・新町通-鶏鉾  より


7月25日アップの”祇園祭10・新町通-鶏鉾”のなかで、誰やらが唆しました。

それでお隣のビルと電柱、電線類を消したみたのですが、なんかすっきりしたと云うより、寂しくなってしまいました。

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原因はやはり元の画のコンポジションを取ったとき、存在するものは存在するとして肯定して写し込んでいることが一つ。 つまりあるがままそれなりに構図を整えた、と云うことでしょう。
もうひとつは置き換えた雲の格好が、オリジナルに比べて適当でない~簡単に云えばもうちょっと上の方が賑やかであって欲しい~、と云うこともあり、ですか。
どっちみち当日写したよそ様の鉾の空を盗んできたのですから、もう少し増しなのは無かったのか、と云うことで、其の意味では原材料の収集不足乃至検索不十分のズボラのせいです。 
(空の雲なんかイツでもナンボでもあるやん)
因みにテクニック的には町屋二軒と鉾以外を切り抜いて、透明部分に他の画面の空を貼った物ですが、その空も電線がいっぱいで、なかなか適当なものが無く、この場合も相当量の電線と入り込んでくる鉾の一部を消しています。
ちょっとだけ自慢したいのは、鶏鉾の屋根方さん二人が手に握っている左右のトラ綱から中の三角形は元の鶏鉾の画面の空で、綱の線一本で内と外は別の絵なのですが、其の割には雲の形も空の色も巧く連続させている、と云うことでしょうか。
(ヨ~みたらばれるで)  (説明せえへんかったらワカランかも)

もうちょっと弄って、休業日のネタにしてみましょう。

≪    矢取神事10:下鴨神社

本日休業:10/08/10    ≫

2010年8月 8日 (日)

矢取神事10:下鴨神社

下鴨神社の矢取神事、 いつ頃から行われているものか知りませんが、 御手洗池を使った勇壮なもので、お祭りとしては夏越しの祓いに相当するもののようです。 
8月6日、神門に茅の環が立てられて、本殿での夏越祭の後、18:30御手洗池に置かれた矢の束を男どもが奪い合う行事が行われます。 この際に今までに納められた厄払いの人形が神職の手から撒かれて御手洗の水中に落ち、厄が流される、と云うもののようです。  此の水中の矢を奪い合うと言うことは、当社御祭神である玉依媛命(たまよりひめのみこと)が流れてきた矢を枕元に置いて就寝されたところ、上賀茂神社の御祭神である別雷神(わけいかづちのかみ)を懐妊された、と云う神話に繋がっているのでしょう。    

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神門の茅の環。 夏越の祓いは大体6月30日のものですが、八坂神社の7月末日もあります。 今宵のこちらの夏越しの祓いが、恐らく一番遅いものでしょう。

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御手洗池の中にこのような物が置かれています。 五十串と言って、真ん中に親が2本周辺に48本、計50本の矢に見立てた串が立てられたもの。 男どもが此を奪い合います。 但し一般参詣者の手には渡りませんから、それ用の小さいものが別に用意されて水中に浮かべられています。 (済みません、五十串の向こう側、井上社の前に隠れています)

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神事が始まりました。 少し変わった調子の祝詞が奏されます。 前に置かれたものは池に撒かれる人形を収めた箱です。

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神事か終わると、小さい串の箱が池から取り上げられて運ばれていきます。 此は希望者に授与されます。

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神事が終わって五十串の争奪戦が始まる間に、子供たちの太鼓の奉納がありました。

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太鼓が終わって静かになりました。 何人もの神職が御手洗池を囲んで周囲に立たれます。 手に持つのは人形(ひとがた)を収めた箱。

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遠くから掛け声が聞こえ、白装束の男の一隊が現れました。 御手洗池の両岸に分かれて立ちます。

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いきなり始まりました。 矢の争奪戦。 宙を舞っているのは神職が撒かれる祓いの人形です。

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五十本の矢は忽ち奪い尽くされてしまいます。

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大きい矢を奪った者には何か良いことがあるのでしょうね。 兎に角アッという間に争奪戦は終わって、男どもは手に手に得物を持って引き上げていきました。

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静かになりました。観覧者も引き上げた後、気がついたら台上に此が置かれていました。 参詣者に授けれる五十串のミニチュアです。 幾らお納めしたら良いのか判らぬまま、写すだけ写させていただいて帰りました。
(そんなんやから、ご加護がないんやで) (そら、まあ、そうや、けど)  去年の分です

≪    上賀茂神社アートプロジェクト2010

本日休業:10/08/09    ≫

2010年8月 7日 (土)

上賀茂神社アートプロジェクト2010

上賀茂神社でなんかやってるらしい。 情報は入っていました。 リンクiを頂いて居る女性方は皆さんマメですから、あちこちから情報が入って助けられています。 でも申し訳ありませんが、この場合は無視しました。 なんかアート系らしいが一回分のブログにはならんやろ。 第一暑いし。
所が5日の朝日京都版に記事が出ていました。 それやったらイコか。 植物園の温室は10時にならんと開かへんし~食虫植物展のことです。
上賀茂神社は本来散歩圏(のはずれ)でした。 ブログ初めた頃は上賀茂神社まで賀茂川堤を行って帰ってくるのが一つのパターンでした。 それが今回は上賀茂さんへ行って植物園に寄って帰ってくるのに、バスを4系統乗り継ぎました。 正に世も末。 モウあきまへんわ。 

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上賀茂神社アートプロジェクト2010、略称KAP。 此が今回のイベントの正式名称でした。
主催は神社と上賀茂自治連合会、そして京都精華大。 約100名の若いアーチストが参加して、地域とアートが出会い感じ合う、と云うもののようです。
具体的には神社境内を主に、明神川畔の社家町や店舗も加えたエリアに造形作品が展示され、映像系の公演などもある。 期間は7月29日から8月8日  (またオソオソのれぽーとや!)

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とにかくヨウケあります。 広い空間を自在に使って暴れ回り、走り回っています。 その点は素晴らしいですね。 花灯路の夜などでも同じような趣旨の展示がありますが、こちらの方がよりおおらかで活発で見よいものでした。

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分類すれば彫刻に属する、三次元造形物がメインですが、彫刻というのではなくアートと云うんでしょうね。~~コレ、物凄く深遠なテーマでッせ。

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前のは牛の頭骨、此は金鍍金付きのハンギング

20世紀で一番不毛な芸術分野(ことに日本で)は彫刻なのでしょうが、此処にあるのは彫刻ではなくアートである。

まあ、何れにしてもそれだけの行動力と手に技がなければ出来ひん仕事ですわな。
(おまはんにはもうおまへんな)
(ホンマのこと、いうもんやない)


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雰囲気は出てきました。 それはそれでよし、それはそれでアートでッしゃろ。 Goo~

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風に揺れるシンプルで可愛い小さなモビール。 (実は)一番共感いたしました。

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白い布の並列として(カメラマンは)捉えたのですが、前へ廻ってみたらお人形さんでした。  もしかしてアラブのイメージかなんかやったら、もうアカンけどな。

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庁屋の横に相当暴れた、いい雰囲気の藤の木の棚がありますが、そこに絡ませた赤いネット。 良く納まって新しいシンフォニイがありました。

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西の鳥居の脇、ならの小川畔。 首吊りの木?は写真が下手なせいで、此も一種の雰囲気はありました。

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こちらは作品No:0  判ります?

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ならの小川の中に畳が一枚。   作品Noはもちろんあったと思いますが、カメラマンはもみじと日の影を見ています。

≪    京都植物園:食虫植物展10

矢取神事10:下鴨神社    ≫

アートってなんや? 単に芸術未満のちょっとばjかり非日常な俗景。 とはちがいますわなぁ?


2010年8月 6日 (金)

京都植物園:食虫植物展10

京都植物園恒例行事の一つ、食虫植物展。 今年も行って来ました、(8日まで)
動機は極めて単純、まるきり子供と一緒、単にケッタイな格好した草が虫食べるという事に対する素直なワンダーだけ。

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係の人にいきなり引っ張って行かれました。 只の草の葉の上に点々とゴミがついています。
私の目ではそうとしか見えません。 言われるままに写しました。 帰って大きくしました。
それがこれです。

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一枚目の写真のロング?です。 葉っぱの表面の腺に虫が粘液で捕らえられます。
ムシトリスミレ属。

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こちらは落とし穴タイプの捕虫器を持った一群


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ヘリアンフォラの類、ギアナ高地の低温多湿の所にいて、丸くなったのは葉っぱ。先端の赤い玉に虫がおびき寄せられて、足をすべらせて中へ落っこちると言うことです。

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中には消化液が溜まっており、壁はつるつるの絶壁で出られません。 現場では真っ暗けで中が見えないので、ストロボを焚いて覗きましたが、犠牲者の姿は見えません。 もうトケテもた?

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此は団扇式の捕虫装置を持った連中。 ハエトリグサ。 二枚貝みたいな捕虫葉は中に虫が入ると閉じてしまいます。 綿棒を中へ突っ込んで閉じさせる実験をさせて貰えます。

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いちばんそれらしい格好をしたのはウツボカズラの類ですね。


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此は愛好家が多く、多数の園芸種があるようです。 確かに一番判りやすい格好で、沢山並んでいる中には物凄く巨大なのもありました。

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葉っぱが巻いた落とし穴タイプ。 中を覗き込むのに懸命で、なんという名か判らずじまい。

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水草系の捕虫植物も二種類出ていました。 タヌキモとムジナモ。 どちらも日本の植物で、名前が凄いですね。

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これはムジナモ。 ウキクサでリング状についた葉っぱはハエトリクサと同じような構造をしているらしいです。 もう自生している所はない絶滅危惧種。

此の展覧会、毎年ありますが去年辺りとは出品物も展示法も大分変わっていました。 さっぱりして子供達が写生したりしていていい雰囲気でしたが、説明板と展示物との関係を良く把握せずに帰ったものですから、解説不能、僅かにつけた説明にも間違いがあるかも知れません。
もともとカッコウの変わった被写体としてしか認識していないものですから・・・済みません。、

≪        京都植物園:10/08/02・日本の森-2

上賀茂神社アートプロジェクト2010    ≫

2010年8月 5日 (木)

京都植物園:10/08/02・日本の森-2

   

日本の森の続きです。 ランダムに且ついい加減に並べています。

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レンゲショウマ 一つだけ寂しく居ました。

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ヒオウギ、 檜の扇、宮廷人の持ち物になぞらえたネーミングとか。

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カンゾウ ヤブとノの見分け方、一時覚えたのですが忘れました。 調べ直すのもメンドクサイ。

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オミナエシ 女郎花(ちゃんと漢字変換します) 秋の花。 写したのは実は蜂の方です。

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名前、判りません。

でもなんとなく秋を予感させるいい感じです。


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カワラナデシコ どうもこの辺り琵琶湖周辺一帯が荒れていて、花が痛められています。

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これ、タマアジサイ。
今時分の紫陽花で、もっと見事なまん丸な玉になる筈なのですが、今年はそうはいかないようです。


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カノコユリ 鹿子百合
すっきり綺麗で良い花です。


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これも名前は判りません。
花には違いなくても,、およそ花としての観賞用にはならないでしょうが、凄く雰囲気があって好きです。


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季節がずれますが、これも正真の紫陽花です。 日本の森の直ぐ外の木陰に一つ、ぽつんと咲いています。

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此は百日紅、シマサルスベリと言うらしいのですが、其の花の終わった?枯れた?所に結構虫が集まっていました。

≪        京都植物園:10/08/02・日本の森-1

京都植物園:食虫植物展10    ≫

植物が不作でも虫が沢山撮れればそれはそれで善し、子供の頃は植物が嫌いで動物が好きだったのですからそれもよし。 なんですが、実は虫の写真は難しい。 
ある程度の装備と相当な経験、技術が要ります。 (当ブログにリンク頂いているライデンさんのページをみてください)

 



2010年8月 4日 (水)

京都植物園:10/08/02・日本の森-1

8月2日、朝顔展の後、例の如く日本の森に向かいます。
正直言って朝顔展はつけたり、出汁。 朝顔という花は大好きなんですが、どうも今の品評会で評価されるものとは好みが違います。
それはさておき、6時半の植物園オープン。 相手が生き物だから当たり前と云えばそれまでですが、お役所である府立植物園が此の時間に開園されると言うことは大いに喜ばしいことです。
広い園内を仕切るわけでもありませんから、私は好きな日本の森の朝の空気を満喫できます。

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とはいうものの、暑いことは暑い。 
体調に自信がもてない今日この頃、せっかくの爽やかな朝日の木陰も結構シンドイ上に、今は花ももう一つ。
撮りはしましたが、従来ならばしっかり名前なども調べ、判らなければ花が綺麗、写真が綺麗でも割愛したものですが、その辺の根気が続きません。
結果的にはいい加減、ズボラを満載、ブログ全体が安物になりましたが、ご容赦下さい。


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とりあえず今多いのはこの花、桔梗。 これも私の好きな花。 日本的な花でしょう?

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白花の桔梗もあります。 桔梗の旗印は明智光秀、私は信長フリークですが、光秀も大好きです。 (ヘンジンやな) (キョウビそうでもおまへんで)

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フシグロセンノウ。 木曽の山中で初めて見ました。 独特の蛍光色を帯びた色調です。

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其の花の群れたところへ現れたのは揚羽蝶。 多分カラスアゲハ。 右後羽根の突起の部分が無くなっていて飛びにくそうでした。

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これ、ユキミバナの筈ですが、春にセツブンソウが居た群落に咲いていました。
入れ替わったのか、混じっているのか、はたまた私の見間違いか?


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名前、調べてません。
目立たないけど子細に見ると良い花です。


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ヤマユリ
ユリの季節ですが、一時のように森の中一帯百合とまでは行きません。
シーボルトか誰かが日本はユリの国と言ったそうで、昔の日本は百合だらけだったようです。


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カノコユリ。 鹿子百合

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ミソハギ だ、と思います。
琵琶湖の畔で大きくなっていました。


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其の隣のサワギキョウ。
未だこれからなんですね。


≪朝顔展10:京都植物園    ≫

京都植物園:10/08/02・日本の森-2    ≫


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