ブログ:ノルマ!!  TOPページ

                           
                      色々なご案内などを書き込んでいます。

08年8月関西ドットComがeoブログに統合された結果、多くの不具合が発生し、大変ご迷惑をおかけしております。
暫くの間此のTopページも不毛な記事だらけで、或いは顰蹙を買ったかも知れません。
時間が経っても根本的には何も解決していませんが、検索エンジン側の対応で改善されるものは妥当な線まで戻りました。
同じ会社なのに前の関西ドットComは随分面倒見が良く、苦情不平にも直ぐ適切に対応してくれたのに、eoブログはまったくダメ、、ちょうど「ママパパにっこり、お客様満足度No1」と、テレビで叫びだしたのと軌を一にしていますから、きっとCeo辺りがウオール街紛いになったんでしょう。

いけません。 不毛なことを此処から消すのが目的で書き出したのに・・・・・

 

さて筆者Sango~もとえ~eo様のご都合で今はSango-Kc、ですが、此の後期高齢者、ちゃんとした病名の立派な患者(一番えらい方と同じです)は、お陰様でなんとか保っています。
体力的には過負荷でも、お祭りなんかでカメラ持って彷徨いている方が、精神的なものを含めてバランスが宜しく、物理的にブッ壊れるまで頑張ろうと思っております。
昨年の祇園祭の前頃は多いと一日1000アクセス、400人台の訪問を頂いていて、関コム最終796,717 アクセスまで行っていたのが、今はやっと300アクセス/日ですが、でも最近になって検索エンジンからアクセスいただくキイワードが、掲載ページの内容にあったものに戻り始めたので、何れまたご来場の方も増えてくるだろうと思っています。
一時はブログタイトルがBlog:ノルマ!!からブログ:ノルマ!!に変わったために、検索も壊滅状態でしたが、今はGoogle,Yahooともタイトルを全部書き直していただけました。

 

  今現在残っている不具合ですが:

1)  ブログ内リンク切れ

関コム時代のページ(08/09以前のアップ分)内にある当ブログ内のリンクは、サーバーが無くなった為に全て機能していません。
手動で全部(1300頁ばかり)書き直す気力は今やございません。
それで同じ境遇の某氏から頂いた”ブログ内検索”窓を右欄外に設けております。
此処にキイワードを打ち込んでいただくと、Googleが開き、、そこの検索窓下にある

  ”http://sango-kc.blog.eonet.jpを検索”  ボタンをチェックしてから、再度検索ボタンを押して下さい。

Googleが収集してくれた当ブログ内の項目が(ほぼ)全て現れます。 目的ページ周辺のものもあり、ブログ内検索及び内容概観としてご活用頂くと、結構お役に立つかと思われます。 

2)   05/09/08以前の写真の消滅

これは関コムの仕様で画像は一点に限定されていた頃のものですが、横位置の写真が消失しています。 本来は移転時にeo側で修復すべきものなんですが、時間経過と共に逆の現象が起きて次第に消滅、今や全部消えてしまいました。
言っても直してくれそうにありませんので、此は閑を見て修繕しようと思っています。 

   (09/05/31修正)

 

 

2009年7月10日 (金)

みやび会:09

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7月7日七夕の日、 祇園祭では綾傘鉾稚児社参ですが、その日の午前にもう一つの華やかなな行事が行われました。
此は祇園祭そのものと直接的な関係はないようですが、時期と言い場所柄と言い、全く無関係とも言い切れません。
それは”みやび会お千度”と言って、京舞井上流の門下生である祇園甲部の芸舞妓さんらが、暑い夏の最中、そろいの浴衣姿で八坂神社に詣で、お師匠さん共々芸道上達、無病息災を祈願する恒例の行事なのでした。
何しろおおよそ百名の芸子さん舞妓さんの大集合、輪を掛けて蝟集するのがヒヒカメラマンたち。 社頭は独特の熱気に包まれます。
(あんなぁ、まいどやけど、あんたはヒヒちゃうんか?) 
(イエース、自信をもって言いますが、実はこの行事の存在も知らず、偶々おまつりかめらまんにさそわれて綾傘鉾絡みでいったんですから)

と、言うわけでもないですが、午前と午後を逆にしての昨日今日のアップです。

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八坂石段下の横断歩道を渡っていたら、何台ものバズーカ砲(長焦点レンズをつけたカメラ)が私を狙っています。
慌てて左右を見たら直ぐ後ろに綺麗どころがおひとり。

石段にも居ましたが、楼門を潜ったら左右にはずらり砲列。
私は群れるのはキライですから真ん中を歩いて行って振り返るなり一枚。

些かご年輩ですが、芸道に達したお方でしょう、四条通りを縦軸にしてきちっと決まっています。

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三々五々集まってこられて、それぞれに挨拶をし、それぞれに振る舞って、時刻には昇殿する。 いたってユルイ自由な雰囲気の集まりみたいです。

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表に立ってお参りする人もあれば、それは省略?する人もあり(だって、上がってきちんとお参りする日ですものね)  そしてお千度回りをする人も、しない人も。

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皆さん揃いの浴衣は毎年柄が替わるようで、今年は ”お茄子” です。

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着物は帯・・ですね。 緑陰に揃いの浴衣とそれぞれの帯が映えています。
(処で一寸だけ~と言うか、もの凄気になったこと。 此れ、回り方反対ちゃう??)

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段々数が増えてきました。 比例して舞妓さんも増えてきます。

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西の昇殿口の辺りは綺麗どころで一杯になってきました。 

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そして皆さん御本殿に上がって、お師匠共々芸道上達と暑い夏を無事乗り切るご祈願です。
~~コレ、ヤッパひひでしょ。 網戸越しに背中写してどうしょうというの。
(それをまたうつしてるやつは、も~どうしょうもないわ)

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私もちょっぴり狒狒的写真をば。

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そして終わって大集合写真、記念写真です。 勿論正面から本職がきちんと撮っているのですが、その回りの喧しいこと。 私はへそ曲がりを証明するためにわざと周囲を切った駒を載せます。
(ねくたいしたおっさんがひとりまざってるけど、ありゃなんや?)


2009年7月 9日 (木)

綾傘鉾稚児社参:09

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7月7日 七夕。 一年に一度牽牛と織女が天の川を挟んで逢瀬を楽しむはずの日ですが、先ず90%曇り乃至雨と言っても良い日ですね。
祇園祭ではこの日の午後2時半、綾傘鉾稚児のお千度、公式社参が行われます。
フォーマルな行事で、昇殿して稚児の宣状即ち正式に神の使い童になったことを宣せられ、その後御本殿の回りでお千度を踏みます。
此は長刀鉾稚児の時と概ねと同じなのですが、こちらの場合は六人も居て、且つ年齢的にうんと低いということから、その辺りの運用は実際上相当に微笑ましものになってしまうのが実状です。

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南の楼門に三つの日傘が見えます。 綾傘鉾稚児の登場です。

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一つの傘の左右に各一人で合計六人、烏帽子水干姿のお稚児さんが階段を下りてきます。
八坂神社の正門である南楼門は、地形の関係上少し高いところにあり、緩い階段が内側へ下っているので、こうしたときの舞台装置としては満点です。

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手水を使い神殿に上がって宣状を受けると、お千度です。
先ず正面で二礼二拍手一拝の礼・・・・なのが、なかなか、大変。 此はとても良くできました。

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御社殿を時計回りに三度回るのがお千度で、
多分千回廻るのと同じ功徳があるのでしょう。

 

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社殿の真後ろでも、正面と同じ礼拝が行われます。 此が三周で合計六回です。

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お千度を踏み終わりました。

蒸し暑い中で馴れない着物を着てみんな大汗です。

周回が終わってホッとした途端、カメラマンが寄ってきて、「はい、ポーズ」

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こちらではテレビ局のインタビューです。 本番ですぞ。

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賑やかなリラックスタイムが此の行事の特徴なんでしょう、ひとしきりくつろぎ終わって、再集合。

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行列を整え直して南へ退出します。

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神幸道から東山通りへ。 本番の日はもっと暑くてもっと長い距離を歩きます。 
ガンバッテ!  

 

2009年7月 8日 (水)

晴明神社

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五芒星 (ごぼうせい)

晴明神社の鳥居に掛かる扁額は文字ではなく此の文様。
此は火水木金土の五星を表す陰陽道の印でもあり、また桔梗紋としてこちらの社紋でもあるものです。
もう一つ角が増えると六芒星、つまりダビテの星で、古今東西で魔除け或いは魔法と縁がある文様なのでしょう。

御祭神である安倍晴明は天文陰陽博士として六代の天皇に仕え、寛弘二年(1005)に亡くなったあと神としてここ堀川通元誓願寺下る西側の辺りにあった屋敷跡に祀られたのが当社の起こりです。


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社地は昔は広大なものであったそうですが、最近では堀川の一筋西、葭屋町通にあり、比較的近年に堀川まで面して社殿なども新しくなりました。
写真は葭屋町通の南隣にある町屋で、看板のような御商売で繁盛しています。

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二の鳥居でしょうか。 葭屋町通に面した鳥居です。

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堀川から入ったところに一条戻り橋の高欄と欄干が保存されています。
戻り橋は父の死を聞いて修行中の熊野から戻ってきた三好浄蔵が、この橋の上で葬列に追いついて祈ったところ、父が一時此の世に戻ってきたと言う故事から始まって、渡邊綱が鬼女の腕を斬った話など都の北の端にあって怪異談の宝庫だった所ですが、残念ながら橋そのものは近代的で昔を幾らかでも思わせるような雰囲気は全くありませんでした。 それがまた極く最近に架け替えられて此処へ来たものなのです。

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その傍らに此があります。

式神と言って、陰陽師が操った精霊のようなものらしいのですが、夢枕獏さんの小説で知った程度が知識の全てです。
(あの小説でのイメージは、もう一寸カワユイ感じやったけど)

と、言うわけで今や修学旅行生のメッカである此の神社ですが、戻り橋を含めて妙に新しいのが気になります。

ただし、堀川通を渡って新装なった堀川の親水公園へ降りて下さい。(堀川~疎水:戻り橋から

不思議なことに此の一帯だけ、それこそ平安時代からそのままかという自然が残っていて、それが旨く修復整備された空間になって、安倍晴明の時代を偲ぶにはむいています。


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秀吉の時代には、此の直ぐ南西側に聚楽第が聳えていました。

最近になってこの辺りに千利休の聚楽屋敷があったらしいとなり、こちらの井戸も其の当時のものではないかと言われます。
その通りであれば、利休が死を賜って自刃した場所という事になります。
此の碑は葭屋町通に面して立っています。


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神前には五芒星~桔梗紋の絵馬が下がっていました。

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葭屋町通側の社地から二の鳥居一の鳥居を通して堀川通の東側のマンションの方を見返しています。

当社周辺の現在の雰囲気が出ているかも知れません。


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晴明井、と書いてあります。
利休屋敷で茶の湯に用いられたのかも知れない井戸ですが、今は浄水として五芒星の紋の水盤から溢れ流れています。

少し歪んだ形に見えるのは水の落ち口が恵方を指すように動かすことが出来るよう作られているからなのです。


恵方のことからバレル事はまずあるまい、相手が安倍晴明天文博士でもない限り・・・
と、多寡を括っていますが、実はこのページ、長期冷凍保存ものでして、最近写したものではありません。
但し冷凍物でもある程度のご賞味には耐えると思いますので、悪しからずお願い申し上げます。 

 


2009年7月 7日 (火)

変な奴?・・・ではなく、真面目な話

minolta V3

変な奴シリーズが続きますが、今回のは見たところちっとも変じゃない?  なんかの試合でミノルタが3連勝でもしたことがあるの?
だったら、結構変な話ですが・・・・  実はこれミノルタの中級35mmレンジファインダーカメラの中にあったVシリーズの3番目です。
二眼レフブームが終わったあと、ライカタイプまでは行かない一般的なカメラとしては、露出計内蔵~乃至AEのレンジファインダー式レンズシャッターカメラの時代になりました。
セレン露光計をレンズの周りに巻いたAEのはしり、キャノネットなどがその代表ですが、ミノルタにはハイマチックという対抗馬が居ました。
これが宇宙船フレンドシップ7~ソ連のスプートニク(1957/10/4)に対抗して10ヶ月遅れで打ち上げられた~に搭載されたことから、その改良型(cds露光計付き)にハイマチック7というネーミングを与えてヒットし、以降7はミノルタのラッキーナンバーとして中堅製品のシンボルになったのです。
今日のV3は機構的にはハイマチックと同類で、カメラグレードとしても大同小異、一つ前にはV2という先行機が居た・・・・・
~~何にも変わったことはないじゃないの。

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 66番 「セコ」 「コレクション」  ミノルタV3
ボデイNO 106791  ロッコールPF 1:1.8  f=45mm  1104756  最短撮影距離0.8m   最小絞22  
オプチパーHSシチズン  B、1,2,4,8,15,30,60,125,500,1000,2000,3000
MX接点切り替えドイツ接点  V(セルフ)  レバー巻き上げ(2回)クランク巻き戻し  
パララックッス連動補正付きブライトフレームレンジファインダー    追針式セレン単独露出計EV1.7~20.5 (ASA10~1600)

わかりましたか? この変わったスペック。  
空前絶後と言ってもいい、1/1000、1/2000,1/3000 のレンズシャッター。

「それがなんやね」  「なんぼでもあるがな」

しょうがないので、少し説教しましょう。 但し坊主ではありませんから、少々いい加減なことを言うかも知れない点はご容赦を・・・
そもそもカメラのシャッターは大別してフォーカルプレイン(焦点面)式とレンズシャッターがあります。
シャッターはレンズの光学系内、光が集まる点に組み込まれるのが理想で、レンズ内に絞りと並んで設けられ、何枚かで構成された羽根が中心から開いて行ってまた閉じるのが、レンズシャッターです。
それに対してフイルム乃至CCDの直前に置かれて縦または横にスリットが走るのがフォーカルプレインで、レンズ交換をするライカタイプや一眼レフカメラに用いられます。
シャッター開閉速度の調節ですが、この場合は走るシャッター幕の速度と間隔で調節します。 スローシャッターの場合は先幕が走り終わって全開状態になった後暫くして後幕が走りだし、高速になると先幕後幕が少しの透き間を空けて一緒に走る、と言ったような具合です。
走らせる速度には技術的な限界がありますが、隙間を詰めれば容易に高速シャッターが得られます。
ただし厳密に言うと写った被写体に左右(または上下)の時差が生じます。  写した自動車が走った方向によって実際より短くなったり長くなったりして写るのです。
またフラッシュは先幕も後幕も画面上に居ない全開している間に光らさねば、画面に露光ムラを生じます。
これがシンクロ速度の上限で、最高シャッター速度より低くなります。 
低速シンクロで松明の炎が後ろに曳くように写す、後幕シンクロとか言う設定があるのも同じ原理からです。
それに対してレンズ光学系内で中心から周囲へと開閉するレンズシャッターにはこれらの問題がありません。
特に全速度でシンクロが出来る(原理的に照明ムラが生じない)という理由から、ハッセルブラードのようなスタジオ作業も多い大型プロユースカメラでは、レンズ交換式でも各レンズにレンズシャターを組み込んでいるのです。
ところがレンズシャッターの泣き所は最高速度にありました。
レンズシャッターは羽根を開閉するバネの力だけによって速度を変えます。 一般に1/25辺りが基準で、バネを段々締め上げ、1/500ではバネをもう一本追加するなどして、この辺りが限界だったのです。
ドイツのコンパーシャッターにも出来ない、それをなんとかやってやろうじゃないか~~、 
技術屋魂と技術屋馬鹿が一緒くたになってトライしました。  シチズンシャッターとミノルタがタッグになって、そしてやってのけました。  
始めは1/2000まで、これがV2。 1/3000迄至ったのが、V3です。
但し此の技術的突破には、些かカンニング的要素があります。
f=1.8の大口径レンズですが、1/2000ではf=4、 1/3000ではf=8以上の明るい方が使えないのです。
1/1000まではバネの力など在来の方法を極めて速度を上げたのですが、その先は些かインチキで、シャッター羽根が全開せずに途中まで行って戻ってくる。
その途中というのが絞りに換算すると、f=4、f=8の位置になる。 つまりシャッターが絞りの役目も兼ねてしまうのです。
もちろんそれよりも絞った場合は絞りの方が働いてきますが、此のシャッター速度では限界以上に絞りを開けても意味がない。
これは絞りそのものを止めてしまってシャッターにその役目もさせ、簡易化されたフルAEメカを目指そうという考え方の試行錯誤の一環でもあったのですが、結果的には単なる”変わった奴”で終わったようでした。

注: シャッターボタンの上に乗っかって居るのは、汎用品の水準器です。 また赤いフイルターは白黒フイルム時代にあった、赤外線フイルム用のものです。

追記:

昨日カメラ屋さん(京都のフオトステーションムツミ)で冷やかしていたら、フジのGF670という新製品がありました。
本来私なんかが泣いて喜ぶブロニー判フォールデイングカメラのリバイバルです。
基本的には6*7または6*6版でレンジファインダー付き絞り優先AE 蛇腹カメラ。 
但しどうもいけません。 テイスト的に合わないのです。 簡単に言うと古き良き此の形式のカメラのいいとこがない。 なんだって畳んだ時前蓋があんなに出っ張るの? なんて言っている内に不思議なことに気がつきました。
此の記事で書いた通りのちゃんとしたレンズシャッターが、フジノンf=80mm 1:3.5を抱き込んで蛇腹の先端に付いている。 絞りリングも(当然)そこにある。 なのにシャッタースピードのダイアルが無い!~~それはフイルム巻き上げノブ反対側のボデイ上にある!
ジョーシキが混乱して蛇腹の横に繋がってあるであろうボデイとシャターを繋ぐロッドやなんかを探しました。
笑われました。 
レンズシャッターには違いないが電子制御、メカは要らない・・・のでした。
此のブログの文章の存在理由が失われてしまったような気がしてきてがっかりです。

2009年7月 6日 (月)

祇園祭泰平の舞:09

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7月5日の午後3時過ぎ、長刀鉾会所ではお稚児さんの卒業試験??が行われます。

17日の巡行当日、先頭を行く長刀鉾の上で舞われる泰平の舞の総仕上げ。
会所でOKが出たら、そのまま四条通りの窓に向かい、禿二人を従えて本番さながらの舞いを人々の前で始めて披露します。

当日の身なりは当然巡行の時と同じ。
(確か今年は新調の筈)
そして金色の蝶に蜻蛉に見立てた孔雀の尾羽をあしらった”チョウトンボの冠”を頂いて泰平の舞いを舞い納めます。


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この日は交通規制はありません。 でも大勢の見物人やカメラマンが集まって歩道は溢れ返ります。
そして会所の前のアーケードの屋根がスライドして左右に開き、四条通りに向かってあいた二階の窓を鉾に見立てて初のお披露目が行われます。

以下ノーコメントで、舞いの一部始終をどうぞ。

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今年の彼は、お茶目なのか、天真爛漫なのか、観衆との間にしきりにリレーションが生じます。 
観衆はどっと笑って拍手します。
 まぁ、ええんとちゃいまっか。 
 

7日には綾傘鉾の稚児社参、お千度です。 10日に神輿洗いとお迎え提灯、そして鉾立て、曳き初めと続きます。 

 


2009年7月 5日 (日)

奇想画その14:迷宮のテーセウス

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ギリシャ神話に出てくる英雄達の中で、最もポピュラーで活躍するのはヘラクレスでしょうし、ペルセウスなども有名です。 その他大きな物語としてはイーアーソーンを首領とするアルゴー号の物語、いわゆるアルゴーノウタイ(アルゴーの乗組員達、の意)などもあって、此の一員にヘラクレスも加わっていたりするのですが、此のテーセウスの場合はそれほど有名ではありません。
しかしながらギリシャの英雄達の中で、彼ほど”現世”に繋がっているいる者は居ないでしょう。
それは彼が全ギリシャ都市国家連合の雄、ギリシャ文明の花であり、中心であり、現代の首都でもあるアテネの建国者とされているからです。
彼は古いアテーナイの王アイゲウスの息子で、子を授かるためにデルフイの神託を伺いに行った帰り道隣国の王の娘との間に生まれた。 と言われますが、実は父親は海神ポセイドーンであるともされています。
大きくなったテーセウスは、母から父の名をあかされて、証拠の剣と鞋を得、途中多くの功業を上げながらアテーナイに向かいます。
その頃アテーナイはクレタ島の王ミーノースの侵略を受け、アイゲウス王は九年目毎に七人の少年と少女を貢ぎ物として贈ることで和議を結んでいました。
貢ぎ物の少年少女はクレタ島のラピュリントス(迷宮)に閉じこめられて、そこに住む怪牛ミーノータウロスの餌食にされた、と言われています。
彼は貢ぎ物の一人となってクレタ島へ向かい、その船出の時にもし成功したら白い帆をあげ、失敗したら黒い帆を揚げて帰航すると約束します。
貢ぎ物として迷宮に入ったテーセウスはミーノータウロスと遭遇して此を倒し、入り口から結んで置いた糸を便りに迷宮を脱出して、無事帰国するのですが、どうしたことか、白い帆を上げることを忘れていました。
絶望した王は崖から落ちて死に、テーセウスがアテネの王となります。
彼はアッティケー地方の王として中央集権的な国政を敷き、今日に至るアテネの建国者、創始者として今に伝えられるようになりました。

             ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クレタ島はギリシャ本土より先進的な文明を持っていたようで、此はエジプトなどにも近いと言うことがあったのでしょうか。
兎も角現在も遺跡が残るクノッソスのラピリンスは、如何にも海洋国家らしい~と言うことはギリシャとも共通する花やかで高度な文明があったことを示しています。
ギリシャでは後に主邑となるアテネが属国扱いであった、と言う時期もあったのでしょう。 
そしてそれから脱却して、後の強固な都市国家への道を開いていった、と言うのがテーセウスの功業であるとすれば、此のお話は他のいわゆるギリシャ神話とは少し趣が違って見えるように感じるのですが。

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迷宮の建物らしき石積みは、アテネはアクロポリスの丘、パルテノンなどが聳える頂上に至る登り道に建つ、此の一画の正門であるプロピュライアの遺跡です。
テーセウスの立ち姿は、パリのオルセーで見たフランス近代彫刻だった、と思うのですが、どうもこの辺り最近怪しくなっています。 きっとアルツハイマーの初期なんでしょう。
それは兎も角、当シリ-ズのモチーフは背景人物とも、すべて作者の勝手なイメージによる恣意的なものですから、もし雰囲気が妥当であれば良しとして下さいませ。

もう一つ、少し見え難いのですが(ある程度意識してそうしてはいます) 右の端っこに牛が顔を出しています。 勿論ミーノータウロスなんですが、正体は天神さんの参道に居るウシさんの彫像です。


2009年7月 4日 (土)

堀川~疎水:石垣の刻印

 

ここをクリック して下さい。図が少し大きくなります。

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またまた疎水~堀川の記事です。 些かしつこいですが、此の公共工事、そのくらい気に入ってます。
で、本日のテーマですが、石垣の刻印。
前に書きましたが私は二条城前の堀川通りはしょっちゅう通っている癖に、堀川の石垣は東面しか見ていませんでした。 
それが今回西面は二条城の外堀石垣で、創建当時の物と始めて知ったのです。
此処で一寸ケチを付けておきますと、二条城乃至それに相当するものは足利、織田、豊臣の時代のそれぞれに幾つかあって、これは一番新しい一つに過ぎず、京都以外の県庁の所在地ならば、多くは徳川恩顧の大名の城下町であったというような関係から、ご当地で最重要最大最古?の文化財と言うことにもなりましょうが、此処1000年の都では全くの新参者、然も都を捨てて足柄山の向こうの野蛮なところへ行ってしまった奴が、少しばかり虚勢を張って見せただけのものに過ぎません。
~と、ここまで(理不尽な)啖呵を切ると、キョートナショナリズムも満足してすっきりします。
まぁ、県庁の所在地などから修学旅行に来る子たち等で潤っているメジャーな観光拠点ではありますが、ともかくキョートでは一番新しい遺跡です。
さりながらその建設当時の石垣があって、そこには当時加役を命じられた大名達の縄張りを示すマークがある、と言うことも知らずに居たわけで、これは行って見せて貰わずばなるめぇ (なんできゅうにカントウベンになるんや?)

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二条城前でバスを降りて流れの処へ降り、案内板があるはずと探しました。 その内容が上の写真ですが、概ね北の方、丸太町までの間です。 それで北へ向いて流れの側を歩いたのですが、なんとあれだけ橋や飛び石を作って両岸を行き来させることに熱心だった設計者が、此の間に渡る設備をまったく設けて居らず、問題の東側石垣下には寄りつけないまま丸太町まで来てしまいました。 
写真は丸太町交差点下から北西を見ています。

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どうやら此は文化財保護の観点からわざとしたに違いないと睨み、今度は再度下流に向けて歩き、子細に対岸を眺めていきました。

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小さくて然も風化したものもあり、なかなか見つかりません。 でも幾つかチョーク?で判りやすくしたらしきものを見つけました。

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前の写真中央やや右ですが、中段の石のアップです。

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その下にこんなのもありました。

全く石の側面で正面からは見えません。
しかし此は風化が進んでなくてチョークもはっきりしているので見つければよく判ります。


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元まで戻って二条の橋の北、説明板のところです。 正面に ”是ヨリ北紀州”の文字がある所です。 
説明では上流側に沢山刻印が描かれていますが、私が対岸から見て判ったのは二カ所だけでした。

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その”是ヨリ北紀州”ですが、どうしても読めません。

写真でいろいろ誇張してみてもやっぱり読めません。


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諦めて下へ下がります。 二条橋の下にこんなのがありましたが、解説にはなく、どうやら作業用の窪みらしいですね。

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それより更に下。 此は単に石を割るための矢の跡です。 
此処でまた徳川へのケチ。 こちら (方広寺+豊国神社=大仏殿石垣(太閤シリーズ5))と石の大きさを比べてみて下さい。

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と言うことで、疎水~堀川の流れは此処で再び暗渠となります。 城の外堀石垣は未だ続いています。

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暗渠になった直ぐ先の所ではこんな風でした。 緑地化されたところへ歩道が延びて、そこには橋の高欄がありました。  御池橋、明治四十・・・と読めました。  昔堀川に架かっていたのでしょう。

 


2009年7月 3日 (金)

祇園祭お千度:09

七月です。 夏です。 祇園祭です。

と、書くと、なんか京都中がお祭りに浮かれているような感じですが、浮かれているのはブログ屋だけで、・・・と言うより当ブログのようにそれがノルマになってしまうと、むしろ酷暑のなか、難行苦行、と言う方が当たってしまいます。
行きがかり上先ずは避けて通れないのが一日のお千度で、長刀鉾町のお稚児さんが二人の禿(かむろ)を従えて八坂神社に詣でる初舞台です。

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南の楼門から入場して手水を使い、これから御本殿に上がって正式な参拝となります。
新しい装束を着てお化粧し、始めて大勢の前に登場して些か緊張気味。 汗が流れないようにする掛かりが右手にいる大団扇のおじさんです。

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縄張りの外にお友達が居て、手を振っているのを見つけたようです。
一瞬、緊張が解けて笑みがこぼれます。


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御本殿内の神事が済むと、お千度です。
千回廻るわけではなく、時計回りに三回御本殿の周りを回ります。

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扇風機のおじさんと、日傘のおじさんは、お稚児さんに取って欠かせない存在です。
猛暑の日差しを遮るのは勿論のこと、今日の天候なども昨夜に続いてもう一つ不安定ですから。

京都の梅雨が明けて本格的な夏空となるのは、17日の巡行頃というのが普通でしょう。


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お稚児さんの両側に居る方はお父さんと何方でしょうか? 
何れにしても手を取るのに浄布を介しています。 神に仕える清浄な身であるからでしょう。

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まぁ しかしアマ、プロ含めてカメラマンの多いこと。 (あんたはんはなにものやね)

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周回して表に戻って、二礼、二拍手、一拝です。 

後ろ正面でも行いますから、計六度の拝礼をする事になります。


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周回を重ねて少し余裕が出てきたよう。

これから一月、大変ですが頑張って下さいな。


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以下三枚は、禿のお二人と、主役のお稚児さん。

ストレートなポートレイトで失礼ですが、晴れ姿でご登場頂きましょう。


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今年のお稚児さんはお化粧するとメリハリがついて、歌舞伎役者の舞台上みたい。

高い鉾の上で泰平の舞いを舞う巡行の本番を、大いに期待して待たせて頂きましょう。

 


2009年7月 2日 (木)

上賀茂神社夏越の大祓え:09

馴れん事はするもんやおまへん。 前のページは六月の三十日、一年の半分の折り返し点の午前中に上賀茂の大祓えに出掛け、茅の輪を潜って帰って現像、処理、TXT入れてWEBページに仕立て、そのまま今朝(7/1)アップするように自動セットしてました。
そうしておいて夕刻よりの   「かぜそよぐ ならの小川の夕暮れは 禊ぎぞ夏のしるしなりける」
此の大好きな歌の、その雰囲気を実感できる ならの小川の畔へ行って、表題の”夏越しの大祓え”を・・・・・と言う筈が、 
  ~~前ページ末尾

     (そんなメズラシイことしたら、アメがふるで!! やめて!!)

誰やらの悲鳴の通りになってしまいました。
その雨も中途半端やない、概ね土砂降り、それを意地になって(年寄りの頑固、冷や水、動脈硬化)完全雨装備で出掛けて挑戦してしまいました。
こんな”山中鹿之助”やる奴はまず居なくて、例年だったら場所取りもできない大賑わい、お祭り現場で見る顔は全員集合の筈のこの”大イベント”スッカラカン。
ただ観光バスが三台ほどと、幾つかの団体が居て、屋根のあるところと仮設テントの中はいっぱいでした。

此の馬鹿馬鹿しい努力の結果ですが、相応に好い加減になりました。 ただし意地は貫いて午前の行事の続編として連日アップいたします。

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立砂の辺りに仮設テントがあり、大祓えの人形(ひとがた)の当日受付が行われています。 この雨の中を参詣の方々は、流石次々に人形に記名、息を吹きかけて己の罪障をコピー&ペーストやない、カット&ペーストしてはりました。
写真ではなんかのカルチャー団体らしき外人さんの一行が一生懸命観察中です。

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ならの小川の中に篝火が焚かれます。  ただその数も雨のせいか例年の半分以下の感じでした。

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定刻、神職さんの列が松明に先導され茅の輪を三回潜って橋殿へと向かわれます。
土砂降りで、幻想的なんてものには、ちと遠かったです。

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一同橋殿に着座、伶人の奏楽が始まります。

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人形流し、メインイベントです。

日々社頭で奉納の人形はもちろん、当日分や全国の信者から郵送されたものなど、此の半年分、数万枚の人形が流されます。

中臣の大祓えの祝詞が途切れなく続く中、神職さんの手から一種芸術的に人形の束が滑り落ちて ならの小川の流れに乗って運び去られます。

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ならの小川の上流下流には一種の結界の柵が立てられていて、その中で篝火が焚かれます。 例年はこの二、三倍も燃えているのですが、此も雨のせいでしょうか。

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人形(ひとがた)だけでなく、此の頃は車のお祓いである車形という四角いのもあって、流れていきました。

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人形流しは実に延々と続きます。

さわやかな風が吹き立つ夏の夕暮れならいいんですが・・・


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人形流しが終わると、
午前中と同じく木綿の白布、麻の白布が祭壇から取り下ろされて、
二人の神職さんの手で引き裂かれて、流れに投じられます。


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その後榊などが投じられ、神職さん等此の祭儀関係者の自己祓いが始まります。

何しろ此の大量の罪汚れを水に流す作業をされたのですから、ご自身の払えも大事です。

色々の作法があるようですが、やはり息を吹きかけて依り代に自己の罪汚れを移されて後、流れに投じられます。

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お祓いの神事が全て終わり、神職さん方が退下されると、雅楽の伶人さんも席を立ちます。
この時やはり依り代を流れに投じて自己祓いをされていました。

今年も例年通り ”風そよぐ・・・”の和歌の朗詠も行われましたが、いやはや散々な”ならの小川の夕暮れ”ではありました。

去年の分 です。 二編になっています。


2009年7月 1日 (水)

上賀茂神社水無月大祓式09

今年も半年経ちました。 
年末には大掃除をして身の回りを綺麗にし、(昔なら)神詣ででもして身を清めたのでしょうが、神様にはお正月開ける迄待って貰ってから行くのが普通でしょう。
処で人は意図せずとも知らず知らずに不都合な行為を積み重ねてしまいます。  ことに我々凡人はそうでして、つまりは罪汚れを積み上げて背負い込んでいる筈なんです。
一年間は保たないほど多い事だろうから半年毎に精算すべし。 此れ、わたし的解釈の水無月大祓えです。
(かってなこというてんと、かみさんにおこられるで)   

水無月大祓え(みなづきおおはらえ)と言うのは正確には午前中の夏越(なごし)の神事を言う?ようで、夜の人形流しと併せて夏越の大祓、”かぜそよぐならの小川の夕暮れは 禊ぎぞ夏のしるしなりける”になるのかと、思ってタイトルにしています。

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昨日出した訂正記事通り、上賀茂の茅の輪は新しくなっていました。 
此処でも修学旅行生が嬉々として潜っています。 どうせのことなら半年分の罪障消滅、只の旅行+αの御功徳があるといいですね。

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夕べから今朝方にかけては雨。
此処暫くの真夏日が失せて、暫くは雨、それも強い雨が続きそうです。
梅雨の最中ですから当たり前かも知れませんが、明日7月1日の祇園お千度と言い、この夏越しの祓えといい、雨には余り縁がないように思うのですが、今年はどうでしょう。

それはそれとして新しい茅の輪の、みずみずしい青さは格別です。


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ならの小川の橋殿には、大祓えの式の用意が出来ていました。

参列の神官さんが、独自の自己祓いを行われるその用意でしょう。

細長い棒は陰陽(おんみょう)串と言って、当社独特の祓いの具だそうです。

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定刻十時、宮司さん以下神職さん巫女さん、一列になって登場。 
作法の通り 左、右、左、回りに茅の輪を潜られます。 此が正式の潜り初めで、以降本番です。 
(いままでにくぐったんは、無効け?) (そんなアホなことはおまへんで!)

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橋殿に着座されて大祓えの始まり。


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中臣の祓えの祝詞が流れ、神職方は色々な作法で自分自身を浄めて居られました。
幾つかの祭具は、祓いの儀式の後 ならの小川に投じられます。
罪障を水に流して浄める。 豊葦原瑞穂の国の自然環境からならではの知恵でしょう。

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祝詞が終わると祭壇に置かれた白い麻布と綿布が下ろされて、
二人の神職さんの手で曳き裂かれ、流れに投じられます。


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白布は ならの小川に浮かんで、流れていきました。  この前には陰陽串や人形のようなものも。

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最後に祭壇の榊が振られて、此も水中に投じられます。

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神職方は退座されて御本殿へ、これから夏越神事(なごししんじ)が始まります。
座って居られた辺りには、お浄めの紙吹雪が散ってますね。

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私は御本殿外から拝礼して、一旦帰宅。 家がそう遠くないこともありますが、夜の8時の神事まで待機する体力はありません。
天気が保って、ならの小川に 風がそよいでくれれば、いいのになぁ。

写真は二の鳥居前に出張ってこられた賀茂の農協。 
向こう側のテントにはお豆腐商組合のご接待が出るはずです。 此れ天下の珍味。
なんてったって京豆腐、それも組合がご奉仕される出来立てを柄杓にたっぷり汲んで、粗塩つけて頂くんですから。 


注:  珍しい事に記事が現在進行形で動いています。 帰宅して此処まででっち上げました。 大抵はアップまでに一両日掛かるのですが・・・・・

(そんなメズラシイことしたら、アメがふるで!! やめて!!)


2009年6月30日 (火)

手作市090628:上賀茂神社

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6月の28日、第4日曜日。
上賀茂手作り市に出掛けました。
この間買った”手作りベーコン”の味が忘れられなかったからです。

ところが先ずお参りにと、行って「あれ、あれ」と思いました。
茅の輪がもう立っていて、参詣の人達が潜っています。
社務所で聞いて、慌てました。
三十日に立つ、という当ブログの記述は事実誤認で、此処数年は二十何日かに立っているのだそうです。

但し、三十日には立て替えられて、十時から新しい茅の輪で神事があり、宮司さんが潜られて本番になる、と言うことに誤りはありませんでした。


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で、手作り市です。 参道の東側一帯で行われています。

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突然ですが、 「にゃ~」

凄いリアリテイですね。 もちろん手作りの商品ですよ。


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ならの小川の周りの緑陰は、此の市の魅力の一つでしょう。


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ほんとは此処で水遊びはいけないのですが、此の暑さですもの、神様も大目に見て下さるでしょう。


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庁の舎から渉渓園の方、奥の方まで大勢のお客です。

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また 突然ですが、

子供浴衣のお店のマヌカンちゃん。

これも りありてい!


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庁の舎と奈良社の前の辺りです。

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ならの小川沿いにある幾つかの小さな摂社の辺り。


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ところで、お目当てが見あたりません。
手作りのベーコン。

此処の出店は希望者多数の為抽選制、毎月出られるとは限らないのですが・・・


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本部で聞きました。
「ベーコン屋さんは?」
答えはつれないものでした。
曰く
「お肉系は衛生上の問題から出せないことになりました」

帰り、神馬舎に今日は神山号がご出張中。
こやつのお仕事は餌を貰って食うことです。
「畜生、ベーコンあってもやらへんぞ」

(ウマがべーこんくうか!)



 


2009年6月29日 (月)

朝市090628:市役所前

28日の日曜日は第4日曜日。 上賀茂神社の手作り市 の日です。
この間は月の最終日曜と第4日曜の違いを良く認識せずに行って空振りしたのですが、今日はきちんと行くつもりです。  実はお目当てがあるのです。
ところがひょんなことで、市役所前広場でも何かやるらしい。 どうやら賀茂の野菜、つまり京野菜の朝市を始めてやるらしい。
ならば市のハシゴ、と出掛けたのですが、地下鉄市役所前を降りて改札階まで上がったら、なんと此処では 浜大津こだわり朝市 なるものが開いていました。
浜大津では恒例なものが始めて出張ってきたらしく、規模は小さいですが京阪電車の職員さんがチラシを配ったりして結構力が入ってました。 

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そこから地上へ出ると、此の通り、 ”もぎたて京の朝市” です。
北区役所とJAの上賀茂、大宮の主催らしく、賀茂茄子を軸にして地元産の新鮮野菜即売会なんです。

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今も京都の市内、主に北の方に残る農家の”振り売り”を、何時ものテリトリとは離れて全員集合し、市の中心部、市役所前広場でやってやろうという試みのようです。

何より壮観なのはメーカーは違えど一律白の軽トラックが無慮数十台、広場に扇形に展開しての商いでした。
昔は大八車だったのが今は軽トラック、と言うわけです。

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荷台がそのまま産地直売店舗であることは、何時もと同じ、昔も今も同じです。

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テントがあったり無かったり位の差で、概ね皆同じ。 季節の野菜ですから商品も概ね同じ。
 賀茂茄子、トマト、胡瓜、鷹が峰唐辛子、さんど豆、枝豆、キャベツ、玉葱etc・・・

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売ってるおばさん達の装束も、何時もと同じ乃至は幾らかの演出+と言ったところ。

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どの車もありましたが、これ、此が賀茂茄子。 
まん丸で大きく、油気と合わせて調理したら絶佳です。  三嶋亭の肉を挟んで揚げたら云うこと無し・・・・・○以外は。

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ランダムに写して歩いている内にひょんなことになりました。

カメラが、写真がどうこう、と言う会話の内にブログに載せるという話になり、
「ほんなら、おばあちゃん」
と、お声が掛かって、おばあちゃんにモデル?になって頂けました。


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直ぐに、真っ赤なトマトが売れました。

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始めての試みで、場所が市役所の前ですから、お客が押すな押すな迄は行ってませんでしたが、それでも結構集まって嬉々としてお買い物してましたよ。

最終的にどんな結果が出るかは少し気になりましたが、定例化して根気よくやって、広報なども徹底したら、将来素晴らしいイベントになる可能性があるでしょうね。

従来の伝統的な振り売りに加え、是非続けていただいて、京野菜の真価を世に広めて頂きたいものだと思います。


  
 

2009年6月28日 (日)

天神さん090625:茅の輪

京都では一年の半分の折り返し、六月の晦日に、多くの神社で半年分の罪汚れを払う茅の輪潜りや人形(ひとがた)流しの行事が行われます。 
代表的なのを、と言えば、”かぜそよぐ ・・・・” ならの小川の夕暮れに行われる上賀茂神社のそれでしょうが、此処北野神社では天神さんの日の早朝、神門に大茅の輪が立てられ~~そして毟られ ます。
此の茅の輪の茅萱を抜き取って、それで小さい茅の輪を編んで持って帰って縁起物とする習慣は、多分一般的に行われていたのでしょうが、現今ではそれが普及??し過ぎてか、茅の輪が直ぐに痩せて無くなってしまうので、抜いてはいけないことになっているのが一般的なようです。 (06年の上賀茂  07年の祇園疫神社
例外の最たるもの、最も激しいのが此処北野さんで、神門の大茅の輪は概ね朝の5時前から抜かれ始めて7時頃には手の届く範囲が壊滅します。 (北野の茅の輪:その1
その情景を見に行くには自前の足~乃至チャリンコ~ないしマイカーが必要で、老人福祉証で公共交通機関利用とは行きません。
よって今年は昼間の状態を見に行くことにしたのですが、いや、暑かった!!

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”天神さん”の日ですから、いつものように露店が建ち並んでいます。 
そうでなくても人いきれで暑いその参道の突き当たり、南の楼門まで来ましたが、午後2時前の状況は此の通り。  大茅の輪の下半分は完全に消滅しています。

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側に寄ってみると意外なことに、多くの人達が一心に茅の輪を編んでいました。

去年の早朝の状態では、茅萱を大量に抜き取って持って帰るのは居ても、現場で編んでいる人は殆ど居なかったのですが。04pict9504cs3

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茅の輪の上半分、背伸びしても手の届かないところはそれなりにお化粧直しされ、その余は土間に下ろされて、誰でもが自由に扱えるようにしたのでしょう。

皆さん器用に編んでいますが、此の技も国際的になって居るみたいです。

何時も思うのですが、こういう状態が一般的になったら、地球の上に戦争なんか起こりっこない・・・んでしょうが。


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神域内に入ります。

御本殿前の中門、いわゆる”日、月、星”の三光門ですが、内庭にもう一つの茅の輪が立っているのが見えます。


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この小茅の輪は毟ってはいけません。

作法通りに潜って、身に付いた半年分の悪行や厄を祓います。


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一時全く居なくなった修学旅行生が帰って来始めました。

結構なことですが、でも彼女たち、ほんとはもう一寸良い季候の時の予定だったんでは?


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北野さんの隣は、上七軒。

関係の有無は知らず、暑くなったらヤッパ、浴衣!


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突然ですが、回廊脇に何時もあるお灯明台です。 暑くても幾つものお灯明が上げられていました。

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参拝を終えて東の門へ出、外周の露店を冷やかして帰るのですが、その前にこれ。
天神さんの日には必ず開いている長五郎餅の茶店。

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暑さで完全脱水状態、危険水準を超えてしまった私は駆け込みます。
例の如く写真も写さず飲み込んでしまった戦争中の欠食児童ですが、お餅二個にお抹茶付きで500円。 実は冷たいお茶のお代わりが利く煎茶つき350円の方を選んでいます。
でも、助かったぁ~。

 


2009年6月27日 (土)

天神さん090625:暑い!

暑い!です。 ね。  梅雨入りはしたものの梅雨前線は変なところに居て、雰囲気は梅雨末期。 世の中変なのには馴れていますが、阪神さんは去年の対巨人ゲーム差を逆更新中。
マァ、あの頃からケ-ザイが変になって行ったんですから、きっと今年は去年のお返し、新記録のどんでん返し優勝やって、世直ししてくれることでしょう。キット!

表記の日に北野天満宮に参りました。 25日ですから天神さん(の縁日)です。 
”天神さん”と言えば正月の初天神と十二月の終い天神、それに三月の梅花祭が突出していますが、此の六月も一寸だけ変わったところがあります。
よその神社では30日に立つ茅の輪が立つのです。 そして、それも早朝からえげつない”伝統的な”始末になるのです。
その辺りは昨年写しましたので、(北野の茅の輪:その1 ) 今年は早起きは止めて只の天神さんの縁日に、と行ったのですが、いやはや暑かったこと。

ブログ稼ぎはその暑さに麻痺した頭が生み出した、{あつい!!」点景を今日お送りし、明日は、今年の”茅の輪”をお送りいたします。

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冷たい抹茶のジューススタンド。

売れて当たり前!


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品物が転けてるのも、暑さのせい?

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植木市は流石に少々品物が少なかったですが、日差しを刎ね返している連中の生きのいいこと。


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牛さんは暑くても元気みたい。

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夏らしくもあり、見るからに暑くもあり。


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暑いときには激辛! ・・・・・私はその主義ではありません。

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楼門。

これが大茅の輪の現状末端です。


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東側、御前通の露店です。

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これ、蒟蒻玉。 東門のところに何時も出てますよ。

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今までアップばっかり並べてたのが、突如ワイドアングル。  でも暑いものは暑い。   

 


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関係ないのがまた出てきました。

御存知のルー。 
ワンワンくノ一嬢です。

暑いのに黒装束を着て刀を担ぎ、人混みの中に忍んでました。



 


2009年6月26日 (金)

植物園09:紫陽花-2

同じような花々です。 
前はきちんと名札を写していたのに、花そののものに馴染みが出来ると、判ったような気になってサボります。
実際はわかってないので、すぐ困ります。 さらに厚かましくなってきて、今度はわからんままに開き直ります。  そう云った次第です。
(なにイバッてんにゃ?)

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シチダンカ  七段花

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クレナイヤマアジサイ (伊奈谷)

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ヤマアジサイ

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 ? (実は虫を写していました)

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ガクアジサイ (伊豆半島)

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ミヤマヤエムラサキ

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アマギアマチャ

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ヤエガクアジサイ


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フクリン  覆輪紫陽花

葉が斑入りです。


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カムイ (桂夢衣)  京都の桂高校が創り出した新種です。

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ガクヒメアジサイ   原種のエリアにて。

 

2009年6月25日 (木)

植物園09:紫陽花-1

紫陽花も季節の花ですね。 あじさいと言うのは日本や中国が原産地で,西欧で品種改良されて多彩なものになり,それが逆輸入されて今日に至った。
元々は幽霊花とも云われてどちらかと言うと嫌われていたので,紫陽花の名所と言うのは沢山あるが,じつはその歴史は皆新しいのだ,と言う話を聞いた事があります。
それはそれとして紫陽花は私の好きな花の一つ,但し,豪華な大輪の洋種ではなく,野山の陰にひっそり咲く、どちらかと言うと貧相な萼紫陽花みたいなのが好きなんです。
と言う訳で毎年この季節私が通うのは、京都植物園の紫陽花園でも手前にある薮の方ばかり、写真もそういった連中ばかりですのであしからず。

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城ヶ崎  割にあちこちにあって色なんかの変化もあるみたいですね。

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マキノヒメアジサイ

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名札が無かった!


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これも・・・

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ヤマアジサイ (大分久住山)

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純白花ガクアジサイ

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モモイロバナヤマアジサイ

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知ってるし名札写さんかったんやけど・・・・出てきよらん。
あかいののもうひとつのほうやけど・・・あかんわ。


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撫子萼紫陽花


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大甘茶

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姫甘茶?

どうも以前に比べて真面目さが足りません。 前は映像としては良いのに名前が判らず、コメントが付けられずに没にした駒がありました。
今回は適宜アップしてから、名前を書き出したら此の有様です。

(ほな、今回のエイゾウにじしんはあるんやな?)  (それとこれとは、はなしがべつ!) 

 

2009年6月24日 (水)

鞍馬の竹伐り会式09;勝負伐り

鞍馬の竹伐り会では、実質的に二回竹伐りが行われます。
竹を伐る早さを競う条件を合わせるために、長さなどを切り揃えるのが”竹ならし”で、法要の後行われる本番が”勝負伐り”というわけです。

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稚児が「竹ならし終り候」と報告すると太鼓が鳴り、導師が着座されて法事が始まります。

その間金堂の外縁では舞楽、還城楽 (げんじょうらく)が演じられます。

これは蛇を見つけて捕らえ、喜ぶ様を現していて、それはヴェーダ神話の王が退治された悪蛇を見て歓喜する様とも、中国の西方の人が蛇を珍味として食用にしていたからとも言うようです。


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この間の赤の宮で見せて頂いた方とは演者が違うようで、ややアクションが大きくよりメリハリをつけた演技のように感じましたが、何れにしても構成が単純で舞い人が表現する意味内容が良く伝わってきて楽しい舞楽です。

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終わるといよいよ本番の始まりです。 
竹ならしと違って両座が同時に左右に出て一斉に切り始め、先に切り終えた方が刀と竹を担いで本坊へと走り、勝利を確定します。

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各節毎に五つに切り分ける、と言うことです。

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導師が外陣に出られて檜扇を翳されました。 
檜扇の儀といい、勝負切り始めの合図になります。

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以下、勝負伐り。
丹波座と近江座、それぞれの二連写です。 

 


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各節を次々に伐り割っていきますが・・・・
実際にはなかなか一刀両断とは行きません。


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こちらは近江座。


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このように次々裁ち割っていきますが・・・・・ 

此処で大ミステイク。
どっちが先に伐り割り終えたのか?、
実は映像だけでなく事実関係も把握し損ねました。
とにかく先に切り終えた方が雄叫びを上げて壇から駆け下り、本坊へと走っていきました。


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こうして会式は終わり、警衛の人を先頭に隊列を組み、一同退下です。 
赤い欄干の部分が、竹切り会のために金堂前に設えられた舞台です。

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で、舞台が空になった途端に、鞍馬校の児童達が走り上がりました。 一息遅れて大人たちも。
目指すはその辺りに散らばった竹の切り屑です。 どういう効用があるのか聞きませんでしたが、とにかく”げんのモン”でしょう。 沢山ゲットした子に見せて貰います。 

 


2009年6月23日 (火)

鞍馬の竹伐り会式09:竹ならし

牛若丸と天狗でで有名な鞍馬山は現在は単立の寺院で、尊天(千手観音、毘沙門天、護法魔王尊)を御本尊としていますが、 人々が大自然に包まれて自らの法に従って万物の調和を祈ることを旨として居られます。

鞍馬の里のお祭りとしては秋、時代祭の晩に行われる火祭りが有名ですが、これは鞍馬寺の鎮守社であった由岐神社の祭礼です。
六月二十日の午後二時から修される鞍馬寺の竹伐り会(たけきりえ)も千年の由来を持つもので、梅雨の季節の山奥(ではないけれど)の行事なのに大勢の人が集まります。
一つにはテレビ中継が必ずと言っていいほど行われることもあるのでしょう。
でも、確かに勇壮な見応えのある行事で、破邪顕正と水への感謝をあらわすお祀りです。

そもそもの由来は九世紀も終わり頃のこと、当山の中興峯延(ぶえん)上人が護摩の秘法中、北の峯から雄の大蛇が現れて上人を飲み込もうとした。  しかし一心に祈る上人の法力によって倒され、そのあともう一匹が現れたが、これは雌で鞍馬山の聖水を護ることを誓ったので閼伽井護法善神として祀られた。 と言う故事によっています。
此の会式では説話の雄雌の大蛇に倣って二種の竹を用意し、根の無い雄竹は五段に切り、根付きの雌竹を祭事の後山に戻して植えなおします。
何時の頃からか、これを近江座、丹波座の二手に分かれて切る早さを競うようになり、早く伐った方の地方がその年豊作と伝えられるようになりました。 そして前段で、先ず条件を同じくするための”竹ならし”を行い、後段は”勝負伐り”として、先に五節を切り分けた方が勝ちとなる、というルールで行われます。
竹を伐る鞍馬山の山法師、僧兵姿の方々は古来此の地にあって七仲間と言われる家柄の内、大惣法師仲間と言うこの行事に奉仕される人達です。

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会場である本殿金堂前には舞台が設けられて、中央の階段から導師他諸役が入場します。
観衆はその左右の縄張り内に詰めかけるのですが、正面一等席はこの行事の参加者である鞍馬小学校の児童が占めます。 この子達は終了後真っ先に舞台へ駆け上がって、”げんのもん”である、青竹の切り屑を拾う権利も持っています。
そのテントの向こう側にお坊さんが立って、中空に法螺貝を吹き鳴らすのが此の会式の始まりの合図です。

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その法螺貝を合図に下の寝殿から竹伐りの主役、大惣法師仲間の人達が行動を起こし、本坊からは奏楽する伶人を先頭に導師、衆僧などが参進してこられます。


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修法の間に舞楽を奉納する方が続きます。
演じられるのは還城楽(げんじょうらく)
この間葵祭の前祭御蔭祭で、行路途次の赤の宮、賀茂波爾神社 で見せて頂いたのと同じですね。


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本坊反対側からは近江座、丹波座の大惣法師が登場です。

竹を切る刀の入った錦の袋を担いでいます。

”麻の黒素絹(そけん)を着し、玉襷を取り武者草鞋に五条袈裟を弁慶かぶりにかづく” と、解説されています。


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一同入堂して諸礼が行われます。 これはお酒を播いて浄めて居られるのでしょう。

衆僧は金堂北側にある閼伽井護法善神(あかいごほうぜんしん)の社にお参りし、法師仲間は向拝の右手に近江座、左手に丹波座と別れて向き合い、列立します。


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此の会式の進行に重要な役目を果たすのがこの子達、稚児達です。(鞍馬小学校の子たちでしょう、きっと) 
”七度半のお使”と言って、正面の導師と左右に向き合う両座の間を往復し、「竹伐りの神事、おめでとう候」から始まり、両座の竹が「見事に候」と導師及び相手の座に伝え、導師に「竹ならしあげ候」と申し上げて頷かれると、両座に「竹ならしあげ候え」と伝えます。

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こうして勝負伐りの前の竹ならし、両座の条件を同じくするための竹の切り揃えが始まります。

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大仰なアクションで切り始めます。 実際はなかなか切れません。これは近江座。

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丹波座が竹を切り揃えます。 導師と稚児達が見守っています。

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用刀はこのような形をしていて、普通の刀とはいささか雰囲気が違い、言うなれば山刀とでも称すべきでしょうか。 いずれにしても伝家の銘刀です。

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切り揃え終わりました。 法師の背中に見える青いものは南天の枝で、難転に通じる縁起物、還城楽の演者も手に持っていました。

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これで会式の前段が終わりました。
稚児が導師に向かって、
「竹ならし終り候」 と、報告しています。



 


2009年6月22日 (月)

植物園090617

梅雨の中休み、と言うよりお祭りイベントの中休みで、久しぶりに植物園に行きました。
だいたい身体に問題を抱えてホームページはきつい、ブログやったら何とかなるやろ。 それもカテゴリは賀茂川と植物園、それにあちこちの三つ。
つまり散歩範囲に限定して始めたのが、お陰様で今のところお祭りなどにもチョロットだけですが加わらせていただいています。 
ありがたいことですが、体はヨレヨレ。 今にも行き倒れしそうで、横においでの方にご迷惑を掛けているのが実状でしょう。
で、と言うわけでもないですが、殊勝に植物園へ。 お気に入りの”日本の森”を主に歩き、ついでに季節の花、紫陽花園にも行ってきました。
その辺りで数日を過ごします。

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南の正面入り口近く、大きな泰山木があって大きな花を開いています。 高いところにもですが地面スレスレの枝にもこのように。

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これも今の季節、野山に普通に見られるものですね。

ドクダミ、名と体が逆の意味で裏腹な此の草は、干すと漢方薬になります。

(実は戦後のひもじい頃、これを採って売ってました)


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さて、これは何でしょうか。

だいたい写真を写すと直ぐ下にある名札を撮ってきます。
それで尤もらしいブログにするわけですが、時々撮り忘れます。
おまけにこれのように札が見あたらないのもあるので困ります。


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これは判ります・・・札もありました。

靫草、矢を入れるウツボの形をしているのだそうです。

(じつぶつしらんのに・・・・)


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「退かんぞう」 と、言ってます。

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おだまき、 多分ヤマオダマキ


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ホタルブクロ 蛍袋。

これも名が体を表していて、然も美しい響きで良いですね。

なぜか京都植物園は白花ばかりでしたが、今年は紫がありました。


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キョウカノコ  京鹿子。

名前から言えば素晴らしいし、実際綺麗に栽培したら良いのでしょうが、日本の森の自然の中では、やや名前負けしています。


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とらのお

何トラノヲか?  迄は、詮索しないで下さい。


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フシグロセンノウに似ていますが、花の色が鮮やかです。

マツモトセンノウ だと言うことです。


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ササユリ。

ちがう?!


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これ、実になったら良く知っているのですが、何だか判りませんでした。
園内を回っているボランティアのおばさんが教えて下さいました。  
ムラサキシキブの花です。


2009年6月21日 (日)

青葉祭09:護摩壇の火

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護摩壇の火は燃え広がります。

但し生木の葉ですから、最初は白煙、蒸し焼き状態でしょうか。


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周囲ではなお色々な修法が行われます。

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そしてなぜか、二人の方が付ききりで絶えず水をかけて回ります。

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しかし段々火勢が強まって、芯の方から赤い火炎が立ち上り始めます。


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燃え上がり、壇を組み立てて居る櫓が見え始め、そしてそれも炎上です。


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此の段階で護摩木が投げ込まれ始めました。 
大勢の先達達が争って投げられますから壮観です。


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家内安全のご祈祷札のようです。 白木に奉書が巻かれて願主の名が記されたものが、台一杯に載せられて浄火に翳され霊力が加えられるようです。

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鞄や持ち物を先達さんに渡すと、火に翳して浄めていただけます。 皆さん争ってお渡しする中に私のα900も混じっていました。
(これですべてのαにごかごがあるかも・・・)  (まさか)

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柴燈大護摩供は終わりました。 山伏さんも退場し、観衆も散りました。
そこで此の騒ぎになります。 
未だ居た人達に残り福、祭壇のお供物が配られます。 御菓子や蜜柑などの分配が主ですが、最後の終いには大物が登場。

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私は紅白の大鏡餅を。 と、願ったのですが、こういったことはやはり女性の方が圧倒的に強いですね。

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結構草臥れた (あほな欲かくしや) (かんけいおまへん!) わたくしは収蔵庫に入り込んで、長谷川派の絵の真ん中にへたっていました。 (勿論写真はありません)
その後もう一つの祥雲禅寺の遺物とされる本坊庭園に移動して、エネルギーをチャージしました。 たまたまNプロとご一緒して触媒になって頂けました。 ありがとうございました。

 

2009年6月20日 (土)

青葉祭09:柴燈護摩の秘法

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大護摩は金堂西北にある柴燈護摩道場と呼ばれる一画で行われます。
私の知っている限りでは最大級の大がかりなもので、大勢の先達が種々の秘法を修されます。 その一々については全く理解しませんが、見たままのことを写して且つ記述いたしましょう。
写真は護摩壇正面、護摩供を修する席?で、終わった後に写したものです。

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何は置いても先ず法螺貝の音が響きわたります。 その数も半端ではありません。

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祭壇を前にして三列に並んだ山伏さんが、鈴を振り声を合わせての祈念です。

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道場の広場の真ん中に護摩壇が築かれていて、祭壇の反対側正面に管長さんがお座りです。

 

先ずは斧。
まさかりを翳し振るっての修法です。


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次いで弓矢による四方の祓い。

此はよく見かけますが、こちらの場合は最後に護摩壇そのものにも矢を射掛けられていました。
特別に大きな矢のようでした。


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その後は剣の祓い。

武士が大小刀として腰に差すような普通の短刀ではなく、白鞘で両刃のあい口です。

写真では周囲の景色が写り込んで、刀身に彫り物でもあるかに見えます。


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最初の写真に載せた祈念の席ですが、何をされているのか判りません。 
扇子などを敷き、紐で繋がった円い筒を両手に持って、重ねたり放したりして念じて居られました。 

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そしていよいよ点火です。 大蝋燭の浄火から松明のささらに火が移されます。

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護摩壇正面です。 二つの松明の炎が翳され交わされています。

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浄火が掲げられて管長猊下が見守られるなか、
先達が柴燈護摩供願文を読み上げられます。


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そしていよいよ着火です。 

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松明は護摩壇の下奥深く差し入れられて、火は内部から燃え広がります。

明日に続きます。


2009年6月19日 (金)

青葉祭09:お練り行列

青葉まつり。  まさしく今の季節のお祭りですが、この場合は東大路七条にある智積院のお祭のことで、毎年六月十五日に行われます。
この日は弘法大師のお誕生日、そして中興の祖興教大師も六月十七日にお生まれとかで、慶祝法要や柴燈護摩、そして広大な境内の諸堂巡拝、灌仏、雅楽、ご詠歌等の行事があり、庭園には桔梗や紫陽花の花々も咲き乱れ、国宝収蔵庫や本坊庭園なども開放されるなど、盛り沢山で、ご信心の方々は勿論のこと、我々不信心者も大いに心を豊にさせていただける一日なのです。

此のお寺ですが、真言宗智山派の総本山。 
川崎大師、成田山、高尾山、大須観音などの著名なお寺を大本山別格本山として抱えている大寺で、本山だらけの京都のなかでも格別ですが、本来高野山から別れて紀州にあった根来寺の流れです。
もともとは学問の府であったのですが、戦国時代には相応の武力を持ち、根来の僧兵は強大をもって鳴らしました。 秀吉に逆らって攻め滅ぼされたのが、豊臣滅亡の後家康から現在の地を与えられて復興したのです。
ここには秀吉の夭折した長男を弔うために建立された、桃山時代でも最善最美な寺院、祥雲禅寺がありましたが、その堂宇はすべて廃絶されました。 (この辺りについては当ブログの 太閤シリーズ1~10  をご覧下さい)
但しその中を飾った桃山障壁画の最高傑作、私に云わせれば世界絵画史上十指にも入ろうかという、長谷川等伯、久蔵父子の楓図、桜図は智積院の手で保存されて今に残りました。
此の国宝絵画収蔵庫もこの日は開放されていて、私などは真ん中に座り込んで至福の時を過ごさせて頂けました。   

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桔梗。 私の好きな花の一つです。 
何故かは知りませんが、此のお寺のご紋は桔梗です。
今の季節広大な庭園に数多く植えられていて、ことに正面参道の両側を埋める列植は壮観です。
只今年は時期的に外れたのか、不作なのか、そうとも言えない状況でした。


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今回は偶々北門~太閤坦への通称”女坂”から入ったのですが、本坊玄関前でお練り供養の用意が始まったのに出会いました。 

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十時からの金堂での慶祝法要の為、管長猊下が輿に乗ってお出ましになります。

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大勢の山伏、先達の方々。 柴燈大護摩厳修の為お練り行列に先駆けられます。

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管長猊下のお輿にお供の方々。 法具や履き物を捧げた方がいらっしゃいました。

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お練り行列の女性達。

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東大路から緩い坂を上って金堂への正面参道です。 青葉祭の名に相応しい緑です。

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御本堂である金堂が見えます。 最近新築なったばかりの大きなお堂です。

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金堂にお着きになって慶祝法要が始まりました。 御本尊は大日如来です。

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金堂前の柴燈護摩道場では、最後の点検とリハーサルが行われていました。

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祭壇には不動明王がお出ましです。
百匁蝋燭の浄火が点じられ、多くのお供物が飾られます。 

 

 

(此のお供物がどうなるのかは、本シリーズを最後までご覧になる必要があります・・・。)


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山伏さんも全員所定の席に着き、大先達の総奉行が立たれました。

管長猊下をお迎えして、これから柴燈大護摩供が始まります。

護摩供はあちこちで行われていますが、こちらの場合は極めて盛大で、多くの秘法が厳修され、それは大がかりなものでした。


明日明後日大護摩の行事を掲載します。


2009年6月18日 (木)

なんとなく上賀茂神社:090612

なんとなく上賀茂神社に参りました・・・と、言うのは少しばかり偽りで、この間の”第5日曜 ”同様、一寸した情報の誤りの結果でした。  上賀茂にもお田植祭があり、実は去年そのハイライトを撮り損ねていたのです (此も情報不足のせいでした) それで・・と出掛けたのが今度は日どりの間違い、十日に済んだ後でした。
転んでもタダ起きるもんか、と、とりあえず、頭記の日にちの上賀茂寸描です。 
従いまして何時もの報道~絵はがき調ではありません、 ご了承の程を。

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上賀茂のシンボル。 立て砂の天辺なんですが、このように松葉が立ててあり、東側のには二本、西側は三本の葉になっています。 
訳は知りませんが昔からの決まり事で、オバQとは関係ございません。

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ならの小川にも瀬はあります

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奈良社、庁ノ舎、校倉

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摂社須波社の石の階


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御物忌川の手水のひとつ

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大樹の枝の上、 背景は楼門の赤

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岩上(がんじょう)。 賀茂祭祀の原点である磐蔵

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摂社岩本社、
巌の上にチョコンと座ってお出でです。

最も上賀茂らしい一画、私のいちばん好きな辺りです。


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摂社沢田社=山口神社。

こちらも田の守り神で、お田植祭 は此処でも行われます。


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山口神社の前は渉渓園といい、曲水の宴の会場です。
真ん中にある巨大なスダジイを中心に、此の季節、まさに緑の世界です。


2009年6月17日 (水)

お田植祭:伏見稲荷09

梅雨、雨の季節。~~風物詩と言えば、飛び交うツバメと田植え歌。

これ、わたくし程度の古物でも  「古いなァ」   と、思う情景~感情ですから、今の人から見たら古典を通り越してコテンコテンの廃棄物でしょうね。

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伏見のお稲荷さん。全国稲荷社の総本社として社頭にはお狐さんが立っています。 そのお狐さんがくわえるのが稲穂の束。 お稲荷さんは古典的日本国の主要産業であった稲作と豊かな稔りの守り神なんです。 
従って、と言うかその神前に供えられるお米(ご料米)は境内の神田で育てられ、その作業の節目節目は祭礼化されているわけです。
まず四月十二日11時から水口播種祭が行われて籾種を撒き、六月十日午後1時から早苗を植える田植祭となります。 そして秋十月二十五日11時から稲を刈り取る抜き穂祭と続き、収穫された稲は十一月二十三日の新嘗祭に神前に捧げられると言うわけです。

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米作が産業の基幹、石高で諸藩の経済力が示された時代には、本当に大事な祭だったんでしょう。 そのことは工業立国の今でも基本的には変わっていないでしょう。 少なくとも汗を流して働いて何かを創り出して生きていくのが人間本来の姿である限り。
(0の桁のかんじょうだけしてぜいたくするのはにんげんじゃねぇ)

写真は田圃の中の早苗が整然と並ぶように、畦の中央に立ててあるガイドラインのワイアです。

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さっき書いたお祭りの時間は全て祭儀が始まる時間です。 従って行事だけ写そうという不逞のカメラマンの仕事は1時間以上後からになりますが、そう言っていると大きなお祭りでは何も見えないポジションしかありません。 結局早く行って待つのは良いのですが、この日のように真に田植え日和?の雨になると大変です。
結構濡れて待っていると、神田へ神職方がお出ましです。

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先ずは田の浄め、お祓いから。

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水田の給水口と排水口に、忌み串らしいものを幾本も建て並べて、お祓いをされていました。


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現地での神事が終わると、供えられていた早苗が配られて、田植えが始まります。
早乙女・・・と言うにはベテランの方々に男衆が加わって、ビニールの合羽こそあれ、素足素手に菅笠姿で雨のなか、泥田に入って腰を屈めての作業です。
(お米はだいじにせなアカンで、 おひゃくしょうさんのくろうをおもわなアカン!)
なんてこと言う親は今は居るはずもないですね。

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早乙女達が田植えを始め、テントの中では汗衫(かざみ)装束の神楽女による”御田舞”が奏されています。

田植えの儀の奉仕は、三島初穂講の方々と言うことです。


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 お田舞歌

1、やましろや稲荷の神の御田祭り
  いざもろともに往きて舞はばや

2、八束穂の稲荷の御田におり立ちて
  まひつかなでつ植うるさおとめ

3、稲荷山かげをひたせる斎田(いわいだ)
  八束(やつか)垂穂(たりほ)のあきの色みゆ。

 ~伏見稲荷大社HP より~


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今は田植えも機械力、それはそれでよいことですが、此の作業が日本農業の基層、シンボルみたいなものでしょうね。7

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神田の西端は、境内の八島池に接し繋がっています。

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反対側の山手も幾つかの区画で作業完了です。
神事は終わって神職方は帰られて、残りの畝にラストピッチの作業が続きます。

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早乙女さん達に負けじと段々激しくなる雨の中、完全ウオータープルーフ態勢で撮影していたのですが、下半身はずぶ濡れになりました。
いいトシして他愛が無いというか、アホというか、とにかく日本の多雨に相応しい天候でした。
写真は隣の八島池の杜若です。 

2009年6月16日 (火)

京の祭り舞台:岩滝の獅子神楽・乱の舞

丹後半島は天橋立の内海、岩滝に伝わる獅子神楽はそれは素晴らしいものでした。
京の祭り舞台というイベントは、ご覧頂いたように千年の都京都のお祭りの中でもセレクトされたものばかり。 それも市内のお祭りの中へ郡部から乗り込んでこられて一歩も引かないどころか、三番も舞っていただいてお世辞抜きの圧巻でした。
此は是非本場で本番を見なければ・・・と言うお神楽の、その最後の演目は”乱の舞” りゃんのまい です。

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此のお獅子、後ろ足が入って四本足の時と、前だけで後ろの人は介添え役の時があるみたいです。  出だしはいきなり大きな威嚇?のポーズ。

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此のお神楽は少し今までのと進行が違いました。 舞台縁まで出てきたお獅子は辺りを睥睨しています。

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なんと飛び降りて、その辺りを歩き回ります。

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自分の縄張りを回って悪魔を威嚇し、追い払うのだそうです。

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私も睨まれて威嚇されました。  一人前の悪魔に認めて貰えたのかな?
(あほ! ただのビンボーがみやで) (・・・・)

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舞台へ戻ったお獅子は、例の”猫科の動物”の仕草を始めます。

架空の動物の唐獅子が猫科とは、誰が決めたのかしらん。


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身体のあっちこっちを噛んでいます。

結構念が入っていて面白かった。


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そして何か見つけました。

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舞台前中央に置かれた扇子です。
この日は風があって、飛ばされないように介添えの人が付いていますが、此の扇子を銜えるようです。

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銜えて、取りました。

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そして・・・・飛ばすか何か、そしてそれによる吉凶でも占うのか何かするらしいんですが、もう一つよく判らないままに終わりました。
巧く行くとなんか素晴らしい芸が見られたのかな??

とにかく熱演でした。 お祭りの華であることは勿論でしょうが、お面なども豪華で良くできていて、エンタアテイメントとしても凄いものでした。
機会があったらぜひご覧になる値打ちがありますよ。 

因みに 板列稲荷  はこちらです (Google地図)

 


2009年6月15日 (月)

京の祭り舞台:岩滝の獅子神楽・剣の舞

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岩滝の獅子神楽。

二つ目は、剣の舞。

先ずは猿田彦が登場です。
~~見ていて天狗ではなく猿田彦、と思っていたのですが、帰って岩滝のHPを見つけたら、やっぱり猿田彦でした。

お神楽ですから只の天狗ではないだろうと思ったのですが・・・・


(ホンマは鼻の形みて、そうおもいよったんでっせ)
(アホなこというと発禁になるで)


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猿田彦は錦の袋に入った剣を持っています。 そしてそれを両手に捧げて天を仰ぎます。
多分神様に捧げているのでしょうが、此の動作は途中で何度も、そしてお獅子も同様の所作を繰り返します。

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お獅子の方は口に剣をくわえての登場です。

此も天を仰いで祈念している?ところです。


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剣を携えた獅子と猿田彦は相対します、
が、必ずしも戦うのでもなさそうです。

多分二つがペアになり、宝刀の力で四方を浄め、邪気を祓うものなのでしょう。


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このようにして何度も天を仰ぎます。 天~神に祈りを捧げる儀式でしょうか。

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終わって今度は睨み合い~~のように見えます。

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やっぱり対決! らしい?です。

獅子の口の刃は、半ば抜かれています。


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猿田彦の方も抜刀しています。


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チャンバラが趣旨のお神楽ではないようですが、此のブログで見ていると、単純に怪獣対怪人の決闘になりかねません。  
そうではなくて神聖な奉納のお神楽でありますぞ。

此が終わって三つ目は、乱の舞(りゃんのまい)となります。

 


2009年6月14日 (日)

京の祭り舞台:岩滝の獅子神楽・鈴の舞

一番最後の演し物は獅子神楽でした。 
市内ではなく丹後半島の付け根、岩滝に伝わるもので、伊勢大神楽本流の流れを正しく汲むものと言うことです。 その存在も知らず、もちろん初見なのですが、これが実に凄いもの。
おおむねの流れはその辺のお祭りで見る獅子舞や六斉会でのお獅子と共通したところ~例えば猫科の動物の仕草の真似~などもあるのですが、そのアクションの練れていること、お面や小道具などに至るまでの高度な本格さなど、とてもグレードの高いものを感じさせます。
今回登場の各芸能は筋金入りで高名なものばかりですが、それらと同等のすごい素晴らしい芸術芸能を見せていただけました。、

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岩滝は天の橋立が抱く阿蘇海の内湾に面した波静かなところで、そこの板列(いたなみ)稲荷神社の例祭で奉納されるのが此の獅子神楽だそうです。

東町岩滝大神楽保存会


平安神宮では七種類ある演目の中の三つ、
鈴の舞(本日アップ分)
剣の舞(明日)
乱(りゃん)の舞(明後日)
の三猿目を見ることが出来ました。


まずは鈴の舞から。


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お獅子は後ろ足が布の中に隠れた四本足の演技~普通に見るお獅子~剣の舞~と、
この舞のように後ろは表へ出てアシスタント役を務める、いわば個人プレイのような舞とがあるようです。


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とにかくデカくて威厳のある、そして相当に細工の細かい獅子面が鈴と御幣を振って踊ります。


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アクションも大きいです。
終わってご挨拶の時に素面を見せて頂いたら、相当な年輩の方でした。

すごい!


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御幣と鈴、
ですから一番フォーマルかつスタンダードなお神楽で、口切りは何時も此なんでしょうね、きっと。

動作自体は激しく派手で、かつ単純ですが、全体の印象は優美で勇壮、味わい深く、如何にも奉納の獅子舞らしい、と言う感じです。


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白虎楼を背景に、暫しそのお神楽のフイリーングをどうぞ。


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此の舞の場合、殆どが大口開けていますが、此のお獅子、口の開け閉めを含めて、とても表情豊かなんです。

全身のアクションもそうですが、表情?も意外に繊細な表現が出来るようで、お面の出来もそれだけ優秀なんでしょう。


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特に目の光り方が秀逸で、明るい太陽が照っているせいもあるのでしょうが、睨まれると怖いくらいですよ。

(こいつ、ナンカわるいこと、してよんな)


明日は猿田彦?と獅子が戦う”剣の舞”です。 


2009年6月13日 (土)

京の祭り舞台:北野天神太鼓

棒振り囃子の次は北野天満宮の神若会 北野天神太鼓会の皆さんの演技です。
此の会は比較的最近結成されたようで、今回始めて公演の曲もあるとか言うことでしたが、和太鼓の勇壮な響きで会場を涌かせました。
ただしビデオでない悲しさ、私の技量ではスチール写真に音を写し取ることは不可能なので申し訳ないですが、余りシャッターしていません。
と言って、此処の分だけ省いてはいけないと、些か無理をしていますのでご了承下さい。

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と、言うわけで、演奏の一部始終をフォロー出来ていません。 これは口開けの辺りですね。

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終わりの・・三曲目・・だった、と、思います。

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それなりの連写で、熱演の程を・・・・

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 フィニッシュ !!  

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六斉会などでもありますが、此処でも最年少、会のマスコットガールは三歳とのことでした。 

 

2009年6月12日 (金)

京の祭り舞台:綾傘鉾棒振り囃子

もうすぐ七月、暑い夏です。 祇園祭です。

祇園祭の綾傘鉾は昭和54年に新しく復興した鉾で、他の巨大な山鉾とは違い、小さくあっさりした傘ですが、その由来伝統は古く、応仁の乱以前の記録にも登場すると言い、風流傘(ふりゅうかさ)と言う、やすらい祭の花笠など同じく華やかな作り物で厄を祓い神意を慰めるものです。
そしてそれについて歩くのは異装をし飾り立てた者たちで、移動しながら囃し立てて各種のパフォーマンスを繰り広げ、厄払いの効用を倍加しようとするわけです。

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棒振り囃子は、念仏六斉で此のブログでもお馴染みの、中堂寺六斉会 が奉仕されているもので、何時の公演にも演目に加えられていますが、新人の初舞台なども多く、それはそれで楽しく見せて頂いているとして、本日は祇園祭本番での皆さんの出演です。 

 


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棒の長さは五尺弱=1.5m-  両端に着く房は一尺ほど~30cmばかり。

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太鼓方は二人ペアで、一つの太鼓を持ち、対面して打ちながら移動して、各種のパフォーマンスを繰り広げます、
お面を額のところに付けて頬かぶりをし、目だけ出していますが、これは男面と女面見たいですね。


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東側から舞台に登場です。

棒を振ることによって厄を祓います。


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覆面をして面を曝さないのは何故でしょうか。
特定個人ではなく民衆全体の代弁者として個性を隠している・・・のかな?

(モノスゴきんだいてきカイシャクちゃうか??)


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祇園囃子の囃子方がユニフォームの浴衣姿で続きます。

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太鼓方のプレイです。

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次第にボルテージが上がってクライマックス。 棒振り方も太鼓方もアクションが大きくなりました。 
私は行列が流れている時の演技しか知らなくて、こうした姿は始めて見せて頂けました。
フルバージョンは山鉾巡行の際も、要のポイントでしか見られないものなのでしょうね。

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そのあとの棒振りさんの単独演技。
これはよく見せて頂けます。


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だけどこれ、
すごい汗でしょうね。

ことに七月十七日の本番では。


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終わって白虎楼の方、西方へ退場です。 もちろん太鼓を鳴らし棒振りながら。

祇園祭の時は前を流れていく行列の中の一瞬?でしか見られませんが、今回は堪能させていただけました。 


2009年6月11日 (木)

京の祭り舞台:胡蝶の舞

京の祭り舞台第二幕は可憐な胡蝶の舞いです。
これは九月十五日の勅祭石清水祭で行われる放生会で奉納されるものです。
生き物の命を大事にする放生の行事は、仏教系のもののように思いますが、石清水八幡では創建当時から行われていたようで、石清水祭の主要なテーマということです。
この胡蝶の舞は左方の迦陵頻(かりょうびん)と番(つがい)になる右方の舞いとされて、極楽に住む迦陵頻迦の鳥と、此の胡の国の蝶の姿をした童子のペアは、色々なお祭り行事に欠かせない存在として登場してきます。

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左舞台袖から胡蝶が順次登場して、四羽になり、優雅華麗な舞いを披露いたします。

余分な解説はそぐわないでしょうし、又ようしませんので、画像でのその愛らしさをどうぞ。

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手にするのは、菜の花??

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此の羽根が何とも可憐ですね。

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舞楽は平安雅楽会の皆さんのご奉仕でした。


明日は祇園祭綾傘鉾の棒振り囃子です。


2009年6月10日 (水)

京の祭り舞台:維新勤王鼓笛隊

梅の日の行事で下鴨神社に行ったとき、社務所のカウンターにあったパンフレットを貰って帰りました。  (タダのモンはなんでももってかえりよるんですわ)

中に 天皇陛下即位二十年記念 ”京の祭り舞台”なる催しの案内がありました。
7日の日曜日14時から、平安神宮であるようです。
取りあえず出掛けて見ましたら、あの広いコート、宮廷、龍尾壇の真ん中に仮設舞台があって、京都のお祭りでの出し物、伝統芸能が五つばかり行われていました。
6月は梅雨枯れでブログは不作ですから、これ幸いとばかりにのさばらせて頂こうと思います。000t_dsc2464cs3

プログラムは五つ、
最初は時代祭のトップを行く維新勤王鼓笛隊。 次は石清水祭の胡蝶の舞い、祇園祭は綾傘鉾の棒振り囃子と、京都ならではの、ど性骨が入った伝統文化ばかり、それに北野神社で昨年辺りから始めて太鼓と、府下は丹後岩滝の板列(いたなみ)稲荷の獅子神楽。
此の最後のは始めて見せて貰ったのですが、それはハイグレードなお獅子でして、鈴、剣、乱の舞いと三番ありました。

調子に乗って撮りまくり、本来なら圧縮してグレードを上げるべきところを悪のりして、一イベントに一日を割り当ててブログを膨張させてしまいます。
ご覧になって、もし退屈されたらそれは撮影者がヘボなせいで、出し物のせいではありません。

雨気が去ってカンカン照りの元でしたが、何しろ見応えのある催しでした。


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日曜日とて、さすがは平安神宮、大勢の参拝客です。
(これでもみんな悲鳴を上げているほど”新型”の影響受けてるんです)

その応天門を潜ってやってきました。
あの時代祭のプロローグ、あの音色が。

 ぴぃひゃら、どんどん

京都市民にとって一種郷愁の音色、そして近代国家日本の夜明けを告げるあの音色。

(この感情は今日の催しに一部の人が期待し画策しているかも知れない思想信条とは無縁、むしろ反対の極にありますから為念)


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錦の御旗です。

何時も思うのですが、鳥羽伏見の戦場に始めてこれが立った時、それまで日和見していた土佐は官軍に参戦し、幕府に忠実だった藤堂藩などは戦線を離脱した。

多分誰もが初めて見た筈の旗印が、どうしてそれだけの影響力を行使できたのでしょうね。
日本という国の一般民衆の知的レベルや社会の高度さがあってのことなのでしょう、 多分。


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周りが広いので一見そうも見えなかったステージですが、随分大きな物でした。

私はやや逆光でバックに白虎楼が写りこむ隅っこの最前列に座り込みました。
座席は既に満杯でしたが、この頃の私は大抵のところに椅子(兼踏み台)を持っていきますので・・。


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此の服装も好きですね。
当時一般的に手に入る材料や仕立て方で、日常的に着馴れたものをアレンジして、新しい戦闘態勢に馴染む軍服?を作り上げたのでしょう。
多分それもごく自然に。

そしてチョッピリかっこいい。


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汚れたり破れたりするであろう旗指物に、錦を使う。
こりゃぁ確かに並のモンではないわいな。


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指揮者が紅白の手旗を振ってリズムを取っています。
刀は腰にではなく背中にしょい、兵卒の肩にあるのは元込銃。


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袖の白いところにある線の数が違いますね、軍隊の階級を示しているのでしょう。 そして左の肩に付けているのが”キンギレ” 錦の切れ端なんでしょう。  だとすれば、これが官軍の印です。

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横笛って言うのはなんの仕掛けもないので、音を出すのが結構難しい~私の子供の時の経験では~ですが、音色そのものは素朴で且つ日本ズバリのように感じます。

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演奏が終わって退場です。 背景は東側青龍楼のほう、神苑の出口側です。

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今どき珍しい、揃った足並み。 すべてがこうであってはむしろ不可ですが、たまには、或いはこうした時には、必要でもあるし良いものですね。

時代祭は幕末から次第に時代を遡って京の都の千年=日本の歴史を振り返りますが、その先頭の此の行列は江戸開城後のいわゆる戊辰戦争の頃、京都北郊山国村の有志が組織した言うなれば草の根の民兵、義勇軍、人民軍の姿を現しています。
当初は実際に参戦した人も参加していたようですが、今は時代祭を支える市民組織によって奉仕されています。 


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